第1.5話 都市伝説の話

 この街はかつて小さな集落がいくつかあった場所で、それらが寄り添うようにして現在の形ができた。その集落の一つに他所の土地からやってきた物好きな名家がいた。その名家は集落の住民と同じ場所で暮らすのを嫌い、集落が見渡せる場所に家を建てようと計画を立てていた。そこは坂もあまりない面白みのない場所だたので難儀したが、隣接するように山があるのを見つけ、そこに屋敷を建てようとした。しかし、屋敷を建てるのに丁度よい場所には既に神社が建立されていたという。

 その神社は遥か昔からその土地一帯の人々が信仰していた山神のもので、近くの山々には必ず少なくとも一棟の神社が建てられていた。また、供物を捧げないと神の怒りが災いとして降りかかるとされ、年に一度供物を捧げる祭りを開いていた。農作物が豊かな年であれば作物を。家畜が多く育てば家畜を。そして、そのどちらも不作である場合は若い人間を。そうしてこの集落は長い間平和が保たれていた。しかし、よそ者の名家にとってはそんな話些末なものに過ぎず、人々の非難を余所に神社を取り壊すと西洋風の大きな屋敷を建てた。集落の人々は山神の怒りを恐れ、それ以来名家には近づかなくなった。それから数年後、名家には二人の子どもが生まれた。双子の姉妹で、両親でさえ判別が難しいほど容姿はよく似ていたそうだ。しかし、姉妹は普通の子どもではなかった。一人は病弱で、一人は健康だった。

 一人は生まれた頃から何かしらの病を患っていた。どんなに腕の立つ医者に見せても正確な病名はおろか原因すら解明するに至らず、どんな処置を施しても彼女の病は治る事はなかった。

 もう一人は生まれた頃から健康で、どんなに命に係わる怪我をしても一日もすれば完治してしまう再生力を持っていた。また、双子の片方と違い極端に成長が遅かった。

 病弱な娘は十五を迎える頃にはペンを握る力すらなく、健康な娘は十五年経つというのにまだ年端もいかぬ少女の姿をしていた。

 名家は生まれた双子の数奇な運命を嘆いた。そして、もしやこれが山神の怒りなのかとさえ考えた。娘の奇妙な現象を解決する為、当主は街中を駆け回った。

 誰でもいい。娘に降りかかったものが本当に呪いであるなら、祈祷師にでもすがる勢いだった。

 そんな時、事情を聞きつけた一人の僧が同じ山神を信仰する神社からやってきた。当主は藁にすがる思いで娘をどうにかできないかと頼み込んだ。

 僧は神妙な面持ちで、一つだけある。と答えた。

 当主はそれがなんなのかを強引に聞き出し、膝から崩れ落ちた。

 娘を助ける条件それは――どちらかの娘を山神に差し出すことだった。

 当主は苦悩したが、双子の母は大いに賛成した。彼女は双子の不遇な生まれを責められていたので、娘が正常に戻るのならどんな手段でも使うつもりだった。

 娘を救うための儀式は少女たちが寝静まった頃すぐに執り行われた。この儀式の詳細はわからないが、結果はうまくいったようだ。娘を一人失ったが、一人は元の身体を取り戻した。かのように思われた。残された少女は確かに健康的で成長も少しずつ早くなってはいたが、それでも発達が遅い。当主は儀式について詰問しようと僧の元を訪ねた。神社に足を運ぶと何やら騒がしい。当主は一人の坊主を捕まえると何事か尋ねた。儀式を仕切ってくれた僧は山菜を採りに山へ入ったきり戻ってきていないのだという。いつ頃からいないのか聞くと、儀式を行った次の日からのようだ。

 何やら嫌な予感がする。当主は急いで屋敷へ戻ると示し合わせたように窓の割れる音と何かが地面にぶつかる音が周囲に響いた。音のする方へ向かうと、正常に戻った娘と妻が倒れていた。四肢は通常曲がらない方向を向いており、大量の赤い液体が広がっていた。

 本当に山神の怒りを買ってしまったのか。しかし怒りを鎮める為の手順は施したはずだ。それなのにまだ山神の腹の虫は収まらないのか。一体どうしたらいいのか。

 そんなことを愛する家族の死体を目にしたまま呆然と立ち尽くす当主に強い風が吹きすさんだ。どこかから視線を感じる。怖くなって辺りを見回すが誰もいるようすはない。当主は腹が立ってきた。たかが神社を壊した程度で何故ここまでの仕打ちを受けなければいけないのか。

 思わず当主は叫んでいた。私たちの仕打ちを見てほくそ笑んでいるのか。殺してやる。殺してやる。ひそひそ隠れていないででてきたらどうだ。

 肩で息をしながら叫ぶ。声は山に空しく響いてるのみだ。がさり、とどこかから音がした。音の方を見る何かが山の奥の方へ走っていく影が見えた。まるで山の方へ誘っているような、嘲笑うような影に更に怒りを燃やし当主はそれの後を追った。

 道らしい道もない場所を進んでしばらくすると開けた場所にでた。そこには小さな祠があった。家を建てる前に来た時、こんなものはなかった筈だが。当主が祠に近づいてみると、またがさり、とどこかで音がした。辺りを見回す。先ほど追いかけていた影は見当たらない。がさり、とまた別の方向から音がする。それは段々と増えてきていた。

 がさり、と音がすればまた別の方からがさり、と音がする。まるで会話をしているように、当主と祠を取り囲むように木々のこすれるような音が増えていく。屋敷で感じていた視線も徐々に増えている気がする。

 何が自分を見ているのか。どれだけの数がいるのか。小さい何かが取り囲んでいるのか。それとも巨大な蛇のようなものが包囲しているのか。分からない。

 当主は自身の怒りを忘れるほどの恐怖に包まれた。来た道を戻ろうにも音のする方へ向かわねばならない。腹を決めて動こうにも足がすくんでそこから一歩も動けない。

 大粒の汗が頬を伝う。空は厚く仄暗い雲が覆っていた。ピンと張りつめた糸のように緊張が頂点に達した時、背後に気配を感じた。

 緊張の糸が切れる。当主は振り向いた。

 空と地面が流転する。

 何が起きたのか。分からなかった。

 視点が何回転かすると、地面に落下する。

 目の前で何かが噴き出している。それは赤く。祠と辺りにまき散らされていく。それは誰かの身体のようだった。

 黒に閉ざされる視界の寸前、娘によく似た少女を見た気がした――。


 名家の惨状が発見されたのはそれから何日かしてからだった。集落の人々は山神の怒りが波及するのを恐れ名家の屋敷周辺を立ち入り禁止にし、そこから長い間多くの供物を捧げ続けたという。


――これがこの街に伝わる本当の噂だよ。

 息を呑む捜索隊を前に涼やかに少女は笑う。

 これから街の人が忌避しているような場所に足を踏み入れるのかと考えると心底嫌な気持ちになったが人命が危ぶまれているのだ。ひとまず眉唾の噂は置いておくことにした。

 捜索隊を取りまとめる壮年の男が少女に礼を言うと少女は最後にこう付け足してきた。

 もしその女の子が山神の呪いから解放されていたら、祠にいると思うよ。

 それだけを言うと少女は家へ引っ込んでしまった。

 心に引っかかりを感じたまま、捜索隊は青年が行方不明になったとされる場所、屋敷周辺へ足を運ぶこととなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編集 根本仁 @Amadare_N

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る