【Ⅶ】—3 狙い
騒ぎが起こったのは、支部に戻ってレクシスに面会したとき——その瞬間と言ってもよいほどの頃だった。
「レクシス指揮官、失礼します。あっ、副長、お戻りでしたか! よくぞご無事で……」
会議室の一つ——今はここにレクシスが常駐していることから、指揮室という名が仮につけられていた——に駆け込んできた兵は、セトを見つけるなり声を震わせた。ありがたいが、今はここへ慌ててやってきた、その理由の方が気になる。
「ありがとな。で、レクシス指揮官への報告だろ? 外そうか?」
だからそう促すと、兵は——今年からの新人兵で、名は確かフエンだ——はっとしたような顔になる。一息飲んでから、慌てたように話し始めた。
「あ、いえ、レクシス指揮官、副長にも同時にお伝えしたいのですがよろしいですか?」
「無論だ」
「では。南東商業区の三地点に突如黒獣が出現しました。現在の警護部隊の担当人員では、市民の誘導がやっとです。黒獣はいずれも大型でとても手に負えません。どうか増援をお願いしたく」
「副長殿、貴殿が戻られたなら指揮は貴殿が執られるべきだ。差し支えなければ」
レクシスの視線を受ける。立場を重んじてのことだろうが、それは最善ではない。きっとレクシスも分かっていながら、手順を踏んだだけだ。
「いえ、オレは戻ったばかりで支部の現状を正確に把握していないので。この件での全体指揮はお願いします。オレは現場の指揮を。構いませんか?」
「身体を悪くされていると聞いているが。それに長旅の後だ」
「相手が黒獣なら遅れは取りません。それ以外の何かが……何者かがいれば、追って伝令を出します」
間違いなく召喚士はいる。だが、三地点とはいえ南東商業区に集中して黒獣が召喚されていることから考えるに、今のところ召喚士は一人の可能性が高そうだ。だとしたら、それほどの脅威ではないが。
「それより、まだ早朝で人がそれほど多くない商業区に黒獣を召喚しているということが気になります。大きな被害を狙った襲撃ではない以上、陽動かもしれない」
セトの危惧を受けて、レクシスも頷いた。
「支部から兵を吐き出させた後に支部そのものを襲うつもりか、あるいは」
「騒動から一番離れた北門あたりを攻めて、外側からより多くの敵を呼び込むつもりか」
後に続いたセトの言を受けて、レクシスが再度の頷きをする。
「そして、これが副長殿が戻られた矢先に起こったことだ、という事実も無視できない。狙いが貴殿である可能性もある。いずれにせよ何か他の目的を感じさせる襲撃だ」
「采配は任せますが、オレに護衛の兵を割く必要はありません。知り尽くしている場所です。いざとなれば撒けるので。商業区の騒動を収めるのに兵舎から十人ほど兵を連れ出します」
「……兵の少なさが気になるが、そちらは貴殿のよいように。支部の防衛と門の警備の強化はこちらで、今すぐに取り掛かる」
「ええ、お願いします」
それまでおろおろとしながら様子を見守っていたフエンと、目を合わせる。
「フエン。兵舎で、今すぐ南東商業区へ向かうよう十人くらいに声を掛けてくれ。全員で一緒に、北側から向かってきて欲しい。進路に黒獣がいたら、分断せずに全員で交戦してくれ。無茶はしなくていい。被害を出さないようにな」
「はい。副長は?」
「オレは先に行ってる。もう怪我人も出てるかもしれない」
「わ……かりました、すぐ行けるようにします!」
勢いよく駆け出したフエンの背を追うように、セトもレクシスに会釈してから指揮官室を後にする。廊下の窓から階下を確認してすぐに飛び降り、目的地に急ぐ。
南東商業区はノタナの宿がある区域だ。あと少しでも長くあちらで過ごしていれば、こうして出遅れずに済んだかもしれないが、過ぎたことを考えていても仕方がない。商業区の中でこの時間に襲われて一番大きな被害が出るのは、宿が集まったあの一角だ。そこから向かうことに決め、風に乗った。
市中で黒獣と戦うのは、当然初めてだった。街への被害を考えると、できるだけ高位の呪を使いたくなかったが、相手は大型で結論使う他なかった。この場にユウラやアージェがいれば武器で仕留められたかもしれないが、現実はそうではなかったゆえに。人を巻き込んでいないのは確かだが、建物に少々被害が出ている。看板が落ちた宿、窓ガラスが割れた店——ざっと確認してから、セトは声を張った。
「黒獣の襲撃、及び今の呪で店に被害が出た方は、お手数ですが後で支部に申請に来てください。すみません。怪我人はいませんか?」
「副長さん、ありがとう。こっちの片づけはもう俺らでどうにかできる。大した怪我人もいねぇよ。それより南の酒場通りのあたりがやばい。行ってやってくれ」
看板が落ちた宿の主人、すなわち一番大きな被害を受けた人間がそう言う。ならばと頷いた。
「分かりました。騒動が落ち着いたらもう一度巡回に来ます。何かあれば、そのときに」
確かに南の方から物音がした。遅れて悲鳴も聞こえて来る。本当は先に召喚士の方を探りたかったが——このままでは鼬ごっこになりかねない——今まさに危機に瀕している民たちを放っておけないのは、当たり前のことだ。さっき倒したものと同じような黒獣が召喚されているとしたら、報告通りあらかじめ配置されていた警護部隊の手には余る。市中警備には、基本的に経験年数の浅い兵が宛がわれるからだ。兵の安全のためにも急がなくてはならない。
「副長!」
動き出そうとしたときに、後ろから呼び止められた。
「そちらには、私たちが」
それぞれに武器を握る兵たちの数は、たったの五だ。しかし先頭に立つニーナを始め、彼らは全員かつての激戦区派遣部隊の者たちである。ケルムで診たとき彼女の右足の怪我はかなり重篤だったが、ここまで駆けてきたときの動きから現在は大きな問題はなさそうだ。
「今日の元の担当は?」
「ご心配なく。正門担当ですが、夜勤でした。交代後にここに来ておりますので、穴は空けておりません。十五人の人員を三班に分け、それぞれ三地点の黒獣に向かっております。我々はここを目標にしていましたが、これより南側に加勢します」
「助かる。頼んだ」
ニーナはユウラを慕う後輩だ。彼女に指導を受けたことも一因だろう、腕のある槍使いとなり、やがて派遣部隊に抜擢された。激戦区でも負傷したとはいえ生き残ってきたのだ、実力は申し分ない。後ろに並ぶ者たちもそうだ。
駆けていく兵たちを見送る。手が空いた。これで根源を断ちに行ける。意識を集中して呪力を探ってみる。黒獣と交戦中の兵たちも呪力を使っているから読みづらい、が、騒動から離れていく呪力を一つだけ拾えた。セトが拾える範囲にいるのだ、それほど遠くはない。方向からして目的地は東門だ。逃げようとしているならば呪力は抑制しているはずだが、それでも感知できる程度ならば、底は知れている。
実際、追いつくことにも、制圧することにも、大した苦労がなかった。街中で広範囲に作用する呪を使われたらという懸念は、最初のたった一度の【風切】で無用のものと化した。手加減の余裕すらあったほどだ。足を傷めて倒れた呪使い——召喚士だろう——に上から剣を突き付ける。若い男だ。
「襲撃の目的は」
ハリアルや自分が指揮を執れなくとも、主戦力が祠へ出向いていようとも、エルティはこの程度の召喚士一人でどうにかなる街ではない。それはベイデルハルクらも熟知しているはずだ。男は口を噤んだきりでセトの問いには答えない。やたらと左肩を気にしている。この後何が起こるかは知っている。デリヤやモナーダのときと同じことだ。
「腕を失う覚悟があるなら命は助けられる。ただし、情報と交換だ。どうする?」
「……そっちは、俺が喋った後に殺すこともできる」
「ああ、できるな。生かしても無罪放免ってわけにはいかない。裁判にはかける。その上で選べよ」
淡々と言って聞かせれば、男は一度唇を舐めた。悩んでいる間に、左肩が発光し始める。制裁が始まる——
処置が早ければ、もしかしたら。考えついたと同時にセトは実行した。紋章が描かれていると推測できる部位を削ぐように剣を動かしてみる。男が苦悶の声を上げるが、命を取られるよりはいいだろう。白炎が上がる前に、削いだ部位を風に乗せた。直後にそれは宙で燃え上がり、他には害を与えないまま燃え尽きる。
腕を断つことは避けられたとはいえ、出血は多い。手早く止血だけはしておいた。剣は突き付けたままで動かさない。生理的なものだろう、薄く涙を浮かべながら荒い息を繰り返す男に、セトは再度問うた。
「これで制裁で死ぬことはない。どうする? 喋って牢か、喋らずに墓か」
今度は、悩む時間を置くことなく返事が来た。
「屋敷だ」
「屋敷?」
「ハリアルの屋敷。息の根を止めろと、大聖者様が。それで聖者様が向かわれて」
思考より先に身体が動いた。男を掴み上げて、また風に乗る。心を占めた焦燥を追い出すためには、二度の深呼吸が必要だった。
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