【Ⅵ】—2 妙案

「なかなか、妙案は浮かばないものですね」


 長く続いた沈黙を、ノベリが割った。


 ここに至るまでに何度か意見が出て、そのたびに議論はなされ、芳しくない結論が出ることが繰り返されていた。


 風呪と水呪を用いて港まで強引に船を進めるか? 船は大きいため、呪力の枯渇が先に来よう。では、助けが来るまでここに留まるか? やはりそれにも呪力の問題があり、加えて食糧の問題もある。ならば、氷の上を歩いて陸まで渡るか? どこに薄氷があるか分からず、誤って海へ落ちてしまえばそのまま死ぬかもしれない。闇呪で声を届け、ミゼに助けを求めるか? 人間の数が多く【転移の呪】は負担が大きくなりすぎるため、いつベイデルハルクが現れるか分からない今頼るべきではない——


「【熱風】に【風守】の合成呪ですか。船を包むほどのこの大きさとなると、確かにすぐ呪力は尽きてしまいそうですね」


 ふと、ノベリが頭上を見上げて言った。風の守りが吹雪と寒さからランテたちを守ってくれているが、ランテはこの大きさの防御呪を見たことがない。合成呪となれば、難度もより高く消耗も著しいだろう。


「……そうですね、あまり長くは持ちません」


「加えて思考まで巡らせていると、すぐ消耗しますよ。打開策はこちらで考えますから、あなたは呪の維持に集中していてください。呪力の残量が厳しくなれば代わります」


「ありがとうございます。聞いてはいるので」


 頷いて、セトは少々視線を下げた。いつも呪を使うときの、集中したまなざしになる。テイトから、集中した方がより効率的に呪力を使えるため、呪力の消費量が少なくて済むという話は聞いていた。この場においては大変貴重な腕のある風呪使いだ、なるべく彼に別の負担をかけないようにしなくてはならない。


「守り自体は別の属性呪でもできると思うんですけどね。寒さが遮断できません。炎呪なら寒さは防げますが——ああ、東大陸の核は健在なので、こちらの炎呪使いは呪を使えますよ——炎呪では熱くなり過ぎますし、船が燃えてしまう危険性がある。風呪はよく弱いだとか使い勝手が悪いだとか言われるんですけど、便利なものですよ」


「え、風呪ってそんな風に言われるんですか?」


「知りませんでしたか? まあ、近くにいたのがセトさんだったなら、風呪の弱みはさほど感じなかったでしょうね。攻撃呪も防御呪も出が早い代わりに威力や効果が高くないんですよ。他属性に比較するとね」


 テイトは各属性の長所については教えてくれたが、短所は教えてくれなかった。その理由は、確証はないが分かる気がする。使い手の技量が高ければ高いほど欠点は補われていくだろうから、下手に油断を招くよりは知らない方がいい。


 しかしそれよりも、ランテは気になることがあった。聞いてみることにする。


「オレがそれを聞いたことがないって、記憶を見たことで分からなかったんですか?」


 ノベリはああ、と言うと顎に緩やかに手を添えた。


「あなたの人生全てを見ることはできませんよ。あなただって、生まれてからこの方全てのことを覚えているというわけではないでしょう? あなたが印象的なものとして覚えているものを、こちらは見せていただいているんですよ。時系列もばらばらですし、脈絡のない映像が組み合わさっていることもあります。ですから、あなたの全てを理解できたとは言えません。時期が現在に近づけば近づくほど、正確に記憶は残っていますがね」


「そうだったんですか」


「それに一人で全てを見ることは時間的に難しいですから、大勢で分担し、要点を書面にして共有します。注意してはいますが、記憶を見る者の解釈も少しは含まれるでしょうから、やはり全てを正しくというわけにはいかないでしょうね」


 色白の手が——職業軍人だと聞いていたから、その白さはとても意外なものだった——自らの顎を撫でて離れる。ノベリはなおもランテから視線を外さず、続けた。


「当然私もあなたの記憶を拝見しましたが、そういえばその中に一つ、今回のこの一件を打開し得る可能性を発見していたんですよ」


「えっ、本当ですか?」


 目を丸くしたランテに、指が差し伸べられる。その指は胸元を指しているようだ。


「始まりの王に託された遺灰。これで、時を戻すのですよ」


「あっ、海の?」


「いえ、海ではなく、祠のですよ」


「そんなことできるんですか?」


 丸くなった目がいつまでも戻らない。そんなランテをおかしそうに見て笑みを深くし、ノベリは言う。


「分かりませんよ、やってみるまではね。おそらく大精霊を戻したり、亡くなった兵たちを戻したりはできないでしょう。ですが、大精霊がいたときの状態を復元することはできるかもしれませんよ?」


「えっと」


 言われていることの意味がよく理解できなかった。考え直しているうちに、セトが深い集中を解いてノベリを見たことに気づく。


「遺灰については私もランテから共有を受けていますけど、どれだけの力を持つかは全く分かっていません。いずれ頼る必要が出て来たときのために、効果のほどを知っておくことは必要だとは思っていますが、今すべきかというと」


「しかし回数の限られたものでしょう。どこかで試す必要があり、しかし無駄にはできない。ならば使いどきは今だと思いますね。この異常な寒さ。どこが一番堪えるかと言えば、元々寒冷地の多い北支部管轄地域でしょう? 間違いなく。解決のために、試せることは試すべきでは?」


 セトは一度口を閉ざして、言葉を選び直してから続けた。


「呪の関連なら、私の見立てよりあなたの見立ての方が正確だと思います。大精霊がいたときの状態を復元することによって、この寒気の鎮静まで見込めるんですか?」


「さあ。そうなればいいですよね、としか」


 一旦その言葉を返事にして、ノベリは緩く腕を組んだ。ランテとセトが二人とも静かに彼を見つめていると、説明が続く。


「祠の内部、大精霊がいた場所のみの時を遡らせることによって、世界に大精霊が存在していると錯覚させる。ないものを——欠けてしまった大精霊の力を作り出すことはおそらくできないでしょうから、呪使いたちの炎呪の復活までは見込めませんし、いずれ限界も来るでしょうが、均衡が崩れていることを一時的にごまかせるかもしれません。一種の幻惑の呪のような効果を期待しているんですよ。これならば時呪の対象は祠の内部のみですから、生物対象よりも余程やりやすいですし、まだ効果も長続きするでしょう。可能性は少なからずあると見ています」


「それを実行しようとしたら、ランテは移動が必要になりますね。【転移の呪】は誓う者だけの呪ですが」


「そればかりは、ミゼリローザ様を頼りましょう。誓った方にしか扱えない呪ですから。ランテさんだけの移動ならば、彼女自身の記憶も戻った今、自分を移動させるのと同じこと。問題ないでしょう」


 今度は、ランテの方に二対の視線が向けられる。


「ランテ、最終決定権は遺灰を持つお前にある。数少ない機会だ。今の話を聞いてお前がやってみたいと思うなら、そうしよう」


 セトが丁寧に言葉での確認をくれたので、もう少しだけ甘えることにした。


「セトの意見が聞きたい」


「……オレは」


 一度そこで止めた後、セトはちらりとノベリを見遣って——目が合ったと思われたとき、ノベリは笑って肩を竦めた——ランテに目を戻した。


「試してみる価値は感じてる……けど、他のところを心配しててさ。祠では防衛戦があって、しかも敗戦してる。当然敵に鉢合わせするかもしれないタイミングは避けてもらうけど、それでも、お前とミゼに見せたくないものを見せることになる」


 蘇ったのは、視界一杯に墓標が立ち並ぶ場所——ケルムの墓地だった。セトの言うように、もし炎の祠へ向かうのならば、もっとずっと生々しい光景を目にしなければならないだろう。ぎゅっと、ランテは服の裾を巻き込みながら拳を握った。


「起こったことは、ちゃんと知らないと。大丈夫」


 ここまで言ってしまってから、ラフェンティアルン王城の惨状の記憶が追いついてきて、ランテの目の裏を焼いた。厳重に封をかけたくなるほど残酷な光景は、既に知っている。今度は瞼をぎゅっと閉じた。


「……うん、大丈夫。王都もだったから、覚悟はできるし、ミゼも大丈夫だと思う。知らないままでいる方がきっと、良くないんだ」


 薄く目を開くと、何も言わずにただ頷いたセトが見えた。それを確認して、ノベリが闇を呼ぶ。ミゼの声が聞こえてきても、今回ばかりは胸は弾まず、針で縫われたような痛みに耐えなくてはならなかった。

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