【Ⅴ】—2 逢着

「ご無沙汰しております、クレイド聖者」


 モナーダの隣に、シュアが進み出て来た。傍らにはキーダも控えている。剣を両手で掲げたままのクレイドが、視線だけ声主に向けた。


「成程。情報源はそこか」


 祠攻めに対策を打たれていたことへの納得だろう。シュアは微笑みで応じた。


「今際に誓いましたの。私の屍を見てもう私には興味を失くされたのでしょうけど、慢心でしたね」


 おそらくは、聖女を守るための言だ。ベイデルハルクもクレイドも、この点に疑いは持たないだろう。また持ったところで、尋問役のシュアが手元にいない以上事実の確認などできるまい。


「お身体、動きませんでしょう?」


 柔らかな微笑を湛えながら——仮面で口元しか見えないが——シュアは言う。クレイドは動きを止めたまま、無言で彼女を視界に留め続けている。


「私は長い間、尋問担当として中央に尽くしてきました。その間に得た知識、技能、情報……それら全てを、あなたたちにお返ししようと思うのです」


 胸に手を当て、少しだけ首を傾げて、ゆったりと語る。


「王国記を読み、ミゼリローザ姫とセト副長のお話を聞き、誓う者について調べ、そしてあなたの呪力を詳細まで読みました。クレイド聖者という人物に迫ろうと思ったからです。あなたを攻略するために」


 シュアの手がモナーダの前に微かに翳される。クレイドは動きを止めているが、今は手を出すなという合図であろう。


「王国時代のあなたは比類なき剣の達人で、騎士長にまで上り詰めた。そこに到達しても研鑽を怠ることはなく、また、新人とはよく手合わせをしていたそうですね。けれども、一度手合わせをしたら二度と同じ相手とは剣を合わせなかった、というのも知っています。やがてあなたは主を裏切ってベイデルハルクにつき、新たな国興しに加担した。その際に誓って、七百年以上の月日が流れた今もなお存在し続けている。そして……あなたにとっては最近のことになるでしょうか。聖女との間に子を成したのは」


「何が言いたい?」


「その人を知るにあたっては、まず来歴を知るのが一番なのですわ。そこから分析を重ね、人物像を割り出す。効果的な尋問を行う際に必要なことです」


「俺を尋問しようと?」


「いいえ。尋問は不要ですわ。もう全て分かりましたから」


 わずかに眉を上げたクレイドの前で、シュアは背筋を伸ばし直した。


「あなたの誓いは、己の最盛期の剣技を破る人物に出会うこと。そうですね」


 表情を含め、やはりクレイドに動きはなかった。シュアが重ねる。


「剣術を極めたあなたは、己の限界を知りたがった。しかし平和な国の中では、必死に剣を振るう者はなく、いつまで待とうともあなたに比肩する存在は望めない。そのためベイデルハルクに加担し、平和な世界の崩壊を求めた。その際、時呪の呪縛から逃れるために誓ったのでしょうか。それとも、己の肉体の衰退から逃れるためにかもしれません。いずれにせよあなたは誓って、あなたの最盛期の剣技を保存した。それからも、あなたは七百年待った。それでもやはりあなたに並び得る才の持ち主は現れない。だからあなたは、自分の血を引く者を作ろうとしたのでしょう。その者にこそ己を凌駕することを求めた。こう考えれば、あなたの行いの全てに筋が通ります。そしてこの仮説は、その細部まで研ぎ澄まされた呪力が示すあなたの気質にも矛盾しない」


 翡翠色の双眸が、静かに細められた。


「誓う者を倒すためには、誓いを成就させるか破らせるかすればいい。ゆえに俺の誓いに迫ったか。それで、どうだ? 次の手に繋がりそうか」


「目的は違いますが、最後の問いには頷きます。私は私の能の全てを以って、この先に進む者たちのための導を造る」


 最初に落ちたのは仮面だった。音を立てて転がり落ちて来たそれは、モナーダの足元で止まった。顔を上げたときには既にシュアの姿はなく、纏っていた衣たちは花が開くようにゆっくりと解け、地へと舞い落ちた。彼女はまだ肉体の実現しかできないのだろう、服や装飾品は実物を使っていたらしい。


 剣を掲げたままだったクレイドが一歩二歩と後ずさる。声は上げなかったが、力のこもった左手が右胸の辺りを掴んでいる。苦しんでいるのは傍目にも明らかだ。隙だらけだが、モナーダは見守ることしかできない。今手を出せば、シュアの妨げとなってしまうかもしれないからだ。


 ——策についてですが、賭けになる、とは申しておきます。


 当然、シュアからは事前に全て聞いていた。


 ——クレイドは誓う際、ベイデルハルクの助けを受けています。王国滅亡時の状況を鑑みるに、時を止める時呪発動時に誓えていたのはベイデルハルクのみで、クレイドは発動後に誓っています。一人では動きようもない。誰かの関与があったと見るのは自然ですし、実際彼からはベイデルハルクの力に似たものを感じるのも事実です。誓う者は呪力と思念の集合体。そこに混入した異物は、必ず隙になります。私はその隙から、彼の中に入り込むつもりです。彼の中にさらに私という異物を混入させ、彼の存在を曖昧なものにする。誓ったことで、己の肉の器の呪縛から離れたからこそ選べる策ですわ。けれど……


 ここで彼女は、自らの両手を握り合ったのを覚えている。湧き上がった不安を鎮めるような仕草だった。


 ——誓う者は、肉の代わりに誓いという一念を器とする。その器を突破して内に入り込むことが必要です。そのために必要なのは、彼を理解すること。彼への同調が不可欠なのです。得意分野ではありますわ。そればかり磨いてきましたから。ですが、彼は異常者です。理解しきれるか分かりません。そしてこの見立ても全て誤っているかもしれません。何せ、誰も試したことがないことです。モナーダ様、あなたはそれでも、私に協力してくださいますか。彼が我々に近づくよう兵を戦わせ、そして彼の呪力を読み切る時間を稼いでくださいますか。


 顔は隠されていようとも、声色だけでシュアの懸命さは伝わって来た。だからモナーダは頷いたし、兵も納得して命を懸けてくれた。


 その方法でクレイドは倒せるだろうかと聞いたモナーダに、シュアは力なく首を振った。


 ——いいえ、おそらくは、できません。少しばかりの弱体化が見込めるか、あるいは多少の時間稼ぎができる程度かと思っています。それでも、必要だと私は考えています。少しずつでも近づかねば、手は届きませんわ。私はそのための踏み台、いいえ、導になるつもりです。


 モナーダの兵たちも、そしてシュア自身も、全て成すことは成した。後はこの賭けがシュアの言うような導となり得るか。答えが出るまで、モナーダはただ待ち続けた。


 精密に呪力を読み続ける。シュアほどの能はなくとも、モナーダとて中央では指折りの呪使いだったという自負がある。クレイドの内側で起こっている戦いの逢着点を、正確に見定めなくてはならない。呪力の操作能力においては、確実にシュアの方が上手を行く。クレイドは剣の達人であるが、呪においてはただの上級者でしかない。しかし、それでもシュアは勝算を低く見積もった。そしてそれは、正しかった。


 呪力はすなわち精神力だ。呪力操作は経験で培われた技術でもあるが、強固な精神を持つ者は呪力を安定させる能力に長ける。クレイドはベイデルハルクの力の一端を己の中に混入させておきながら、錯乱することなく自我を保っていた人物だ。そこに新たに一人が加わっても、要領は既に掴んでいたのだろう、すぐに身体の自由を取り戻した。


 振り被られたままだった剣が、モナーダ目掛けて落ちてくる。呪力感知で事前に危険を察していたため、避けることは叶う。【恩寵】も再び張り直した。かなり抑えられているとはいえ、クレイドの中にまだシュアは残っている。今こそ援護が必要だ。


 陰からキーダが飛び出して来た。これまでよく辛抱したものだ。決定機と思われたが、彼の剣は空を切る。クレイドの間の取り方にはもう異物混入の影響は見られないように、モナーダには見えたが。


「剣先が掠りました。本来ならあり得ません」


 剣を専門とする人間が言うのならそちらが正しいだろう。まだ好機は続いている。ならばとモナーダも再び攻勢に転じた。出の早い中級呪【光線】を放つ。額を狙ったそれは当たることはなかったが、やはり髪を掠めたように見えた。


 しかし近接戦闘で呪使いが武器使いに及ぶことはない。次の手よりも先に剣が迫る。防御呪がある——そうは考えたが、油断はしなかったはずだ。それなのにモナーダの上級防御呪は、たったの一振りで破られてしまった。


「なぜ……うっ」


 疑問の声を上げている間に、その一振りで肩を斬られた。致命傷にならなかったのは、キーダが隣から剣を差し込んでくれたからだ。


「剣では見込みが。あなたの呪で」


 言葉は長くは続かない。キーダの剣がクレイドの剣に捻じ伏せられる。直前に彼はモナーダを後ろへ押し出してくれたため、それ以上の負傷はなかった。しかし代わりに、キーダが剣を取り落とすことになる。


 【恩寵】は間に合わない。【加護】ならとモナーダは二人分の防御呪を展開するが、先程上位呪が容易く破られたのを踏まえると、こんなものは気休めにすらならないだろう。見えていた敗北ではあった。が、あまりに呆気ない。せめて最期に何か攻撃をと、掲げた両手の中央に光を灯らせたときだった。


 モナーダとキーダが、ほとんど同時に強い光を纏った。身体がぐん、と引っ張られる。【光速】——シュアの呪だった。


「シュア様!」


 キーダの鋭い呼び声の後に、シュアの声が光の中に響いた。


 ——負けておきましょう。次に勝つために。まだ私たちは、戦い続けなくては。


 祠とクレイドとが同時に遠ざかっていく。クレイドの中に留まったシュアを置いて、モナーダとキーダは敗走していくのだ。その敗走すらも自発的な選択ではなかった。シュアによって、矜持——負けてなお生き恥を晒すものかという意地——や同調——戦友が死ぬなら己もという安易な仲間意識——に引きずられて命を捧げようとした、愚かなだけの行動を正された。クレイドを揺るがすという目的はもう果たし、これ以上は戦い続けようと敗走しようと結末は変わらない。早いか遅いかだけで、祠が落ちるのは明白だった。であるならば、情報と戦力を少しでも持ち帰る方が賢明だ。そしてそうできた方が、このシュアの勇敢な行いにより価値を付与することになるとも、理解できる。


「……シュア様っ!」


 シュアの光速は練達の域にあった。二人分を別々に発動してなお、クレイドが追うのを諦めるほどの飛距離と速さがある。だからキーダが何度叫んだところで、またどれほど手を伸ばしたところで、あの場には帰れまい。モナーダは黙って、両眼を閉じた。己とて同じように手を伸ばしたい気持ちがある。命尽きるまで戦い抜いてくれた仲間たちを大勢、置いて来てしまった。クレイドは屍と大精霊なき祠の抜殻に興味は持たないだろうから、後から戻れば連れて帰ることはできよう。分かっていても、仲間たちを見捨てるような気がして、また己の方も取り残されたような気がして、胸が塞がる。


 光が消え入って地に足がついたとき、もうモナーダの目の前には凄惨な戦場の姿は映らなくなっていた。キーダがすぐ傍にいて、呆然と立ち尽くしている。正確無比な【光速】を、シュアはクレイドの中から使ってみせた。誓う者になると呪の能力は向上すると言われるが、彼女の才と胆力あってのことだろう。感服し、また、無駄にはできないと思った。


「キーダ君」


 呼び掛ければ、キーダはすぐに我を取り戻した。こと中央においては、良き主に仕える副官が、見合う人物であるとは限らない。しかし彼については、主に見合う器であった。


「分かっています。シュア様の御意を汲まなくては」


 どうにもならない感情が複数入り混じって渦巻くだろう彼の心中は、きっとモナーダが一番理解できる。だからそれ以上声は掛けなかった。





 その日、炎の祠は陥落。大精霊は忽然と姿を消し、西大陸の炎呪使いも、あえて野生の小精霊との契約を選んだごく少数の者だけを残して、全員が能力を失った。必然炎の【呪具】もほとんどが機能を果たさなくなる。さらに、まだ冬は遠いはずの西大陸の気温は急落し、北地区を中心に大雪に見舞われることになる。


 祠防衛戦の敗北はただの一つだった。しかしその一つが、大陸の半分に予想を超えた打撃を与える——

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