【Ⅴ】—1 証

 祠を落とさんとしてクレイドが来る。その情報が伝わってから、連合軍は揺れた。六属性の中で最も使い手が多いのが炎呪だ。ゆえに炎の祠の防衛は何としても果たしたい。しかし相手は、ベイデルハルクに次ぐ強敵であるクレイドだ。


 立ち向かうか、明け渡すか。議論はしたものの答えは一つしかなかった。易々と明け渡しては、次もまた同じことが起こる。そうなれば残り五つの祠のうち幾つ残るか分からない。だから、敗北と犠牲を覚悟で抗戦するのみだ。


 地理の関係上、前々から元中央軍が防衛することは決まっていた。しかしモナーダの私兵はそう多くなく、戦力の不足は著しい。やむなく中央に残されていた証持ちの兵たちも加えた。彼らは洗礼を受けさせられておきながら、能力不足と断じられ、滅ぼす予定の首都に置き去りにされていた兵士たちだ。穀潰しとでも思われたか、満足に食事が与えられていない者も多かった。今回のことがあって、ようやくふさわしい量の食事を摂れるようになったが、それから長い時間は経っていない。意志も確認してやれず、体調も万全ではない——そんな状況で玉砕覚悟の戦地に連れ出すことを、モナーダとて躊躇ためらわないわけではなかった。


 しかし、もう知っている。将として立っていると、非情にならねばならない瞬間が幾たびも訪れる。どうしても手が欲しい。そのためにモナーダは、心を殺して彼らを利用することにした。


「モナーダ様、前線……壊滅です」


 報告を受けずとも、見ていれば分かった。兵の質と量、将の才と策。どの要素においても勝ち目がない。


「ああ。皆、よく戦ってくれている」


 屍となった兵は、既に目視では数え切れない。敵にも相応以上の被害は出ているが、あちらは構成兵のほとんどが証持ち、この戦場で使い捨てるつもりで防衛戦を突破させているのだろう。クレイドにとっては想定内の被害のはずだ。


「……儘ならないものだ」


 将として正しい言葉を発した後に、正しくない言葉を添えてしまった。シュアと共謀しての策は、敗北の寸前に用いる最後の手段として準備済みではある。しかしどこか心の隅の方に、何かの奇跡が起こってこの戦いに勝つ、などという展開を期待する自分がいたらしい。隣で聞いていたエマレが——モナーダの下に残った最後の隊長格の兵だ――静かに答えた。


「いいえ、昔よりも余程気の儘ではないですか。巨悪に屈して汚らわしい生に甘んじるより、自分は好きですね」


 一息置いて。


「このような言葉を口にすることができるようになったのも、あなた様のご決断があってこそ。感謝しております」


 エマレは表情の動かない男だった。その彼が、静かに口元を緩めている。隙間風が通り抜けかけた胸を、綺麗に繕われた。


「私こそ部下に恵まれて、本当に感謝しているよ」


「ありがたきお言葉」


 敵が連れて来た膨大な数の証持ちは、こちらの防衛網を突破するための矢である。しかし同時に、クレイドを守る幾重もの壁でもあるのだ。ゆえに、彼に接触し準備した策を使うためには、その壁を打ち崩していかなけばならなかった。


 ——私が敵将に届くように、道を切り拓いてくれ。


 証持ちを含めた味方兵全員に、モナーダはそう呼び掛けていた。彼らは一途にその命を全うしてくれている。波のように次々襲い掛かって来る兵たちを、命尽きるまで薙ぎ倒す。また一人倒れた。さらにもう一人。彼らは、白い鎧が赤く染まり切るまで戦い続けてくれた。己が命じたことながら、酷なことをさせている。視覚でそれを分からされるが、今更だ。部下の屍はもう幾らも踏みしめて来た。妻の屍もだ。ここで意を翻せるほど、高潔な生き方はしてきていない。


「出ます」


 エマレが歩み出した。既に深くまで侵入されている。まだまだ証持ちの波状攻撃は留まることを知らず、迎え撃つ新たな刃が必要だった。


「……ああ、頼んだ」


 エマレは、腕のいい光呪使いだ。モナーダやシュアが——彼女は切り札として身を潜めている——対クレイドのために呪力を温存せねばならない今、彼は自陣の最高戦力と言える。彼がここから敵の証持ちを壊滅状態に追い込まねば、此度の策の成就はない。あの背にかかる期待と重圧は大きい。


 中級紋章呪【燦然】、【綺羅】が立て続けに敵軍を襲った。少なく見積もっても四十はこの攻撃で倒れたが、その者たちを乗り越えて兵がまた押し寄せてくる。呪力よりも先に心が折れないかが心配になる敵の数だ。エマレに限れば、そんなことにはならないだろうが。


 光が幾度も爆ぜるのを、モナーダはただ黙って見つめていた。エマレと彼の率いる兵たちはその大部分が呪使いで、攻撃能力が高い。相手がただひたすらに向かって来るだけの証持ちだったこともあり、三百以上の敵兵力を削いでくれた。しかしそこが、彼らの限界だった。


 いつだって、そこが戦場である限り、呪力切れの呪使いたちに訪れる運命は残酷なものだ。一応、懐に忍ばせた短剣を抜きはする。だが付け焼刃の護身術は、こんなところでは何の役にも立たない。十いた最精鋭の呪使いたちは、あっという間にエマレ一人を残すのみとなってしまった。


「エマレ……」


 心を意図して鈍らせていても、胸を苛む痛みを堪えかねてモナーダはその名を呼んだ。彼には老いた両親がいる。そして弟は、ちょうど息子が生まれたところだと聞いた。彼の他にも、あちらで斃れたレレイは孫に会えるのを楽しみにしていた。もう姿が見えないワーノは娘の結婚を心待ちにしていたし、先程斬られたユッタは天涯孤独で、いつか家族を作る夢を持っていた。


 皆みんな、本当は死なせたくなかった。幸せな未来を描けたはずの人間が、なぜ踏み躙られていかなければならないのか。どうして戦場は、こんなにも惨いのだろう。


「ご覧ください、我が主」


 エマレはモナーダを振り返り——つまり、敵に背を向けて——両腕を広げた。遥か天から光が幾筋も降りてくる。呪力はもう底をついていたはずだったが、命を振り絞って、彼が唯一使える上級呪【光芒】を放とうとしている。


「六百いた敵兵が、これで残りわずかとなりましょう。この結果が、我らの矜持と忠誠と信頼、そして感謝の証」


 背後からの槍が、彼の胸元を突き通った。それによって身体を傾がせながらも、エマレは呪の発動を止めなかった。


「受け取ってください」


 降り注いだ光の束たちが、敵兵の残党を貫いていく。エマレが倒れてしまったから、光が蹂躙する戦場の様子がよく見えた。


 ああ、と思う。あれだけ厚かった敵兵の壁が、もう疎らにしか残っていなかった。エマレたちが命を消費することで切り拓いてくれた道が、モナーダの前に確かに存在している。後悔も懺悔も、今度こそ封じた。この道を埋もれさせてはいけない。


「見事なものだ」


 クレイドがようやく動く。剣を抜き、ゆっくりとこちらへ歩を進めてくる。


「だが、証持ちの軍勢と貴様が手塩にかけて育てた兵二百では、到底釣り合わんだろうに、愚かなことよ」


 敵の言う通りだった。こちらは苦楽を共にしてきた二百の兵に加えて、同数の証持ちの兵も犠牲にしている。このままでは釣り合いなど取れない。


「俺を倒せると思ったか?」


 クレイドは笑んではいなかった。表情の無い顔で問い掛けてくる。


「倒したいとは思うがね」


「貴様の兵が千いる兵舎にいた俺を、倒せると思ったか」


 二度目の問いにはやや嘲りが染みた。モナーダと千人の部下たちを一度に相手したとしても、負けることはなかった。ゆえにこの戦いは無謀だ。言葉の裏に示されたことを理解はしたが、何一つ変わるものはない。


「倒せるから立ち向かうのではなく、倒したいから立ち向かうのだ。それが人というものの生き方だ。ようやく思い出せたよ」


「ならばその生き方で生きてみろ」


 構えを取ったクレイドが、一瞬の静止の後に消える。刹那、間近で銀が煌いた。


 身体能力で叶うはずもないのは、当然分かっていた。だからモナーダが選べる手段は、防御呪を張り続けること以外にはない。上級防御呪【恩寵】は、【加護】の上位互換の防御呪だ。防御力、耐久力において数段高い効果を持つ。


「くっ……」


 しかし敵は達人、確実に意識の薄いところを狙って剣を出してくる。モナーダとて呪使いとして腕に覚えがないことはない。できる限り満遍なく意識を行き渡らせているが、それでも最も脆弱なところが繰り返し狙われる。まだ破られてはいないが、このままでは時間の問題だ。さらに時間を稼ぐには、別の手段を講じるしかない。


 【光速】で少々後ろに下がった。できた時間で上級攻撃呪【光輝】を行使する。足元から筒状の光を生み出す【白光】の上位呪で、複数箇所を狙えるものだ。クレイドの行く手を先読みするように幾つか仕掛けたが、その全てを読み切られて、一度として掠ることすらなかった。


「この状況において、降伏しない精神力だけは認めてやろう。だが、その他の全てが足りん」


 再び【恩寵】で耐えるだけの時間が訪れる。何度も何度も防ぐ。しかし剣筋を読む必要のある我慢比べで、武道を専門としないモナーダが勝ることはなかった。遂にクレイドの剣はモナーダの光の防御膜を破壊して、モナーダに迫る。


 あと一度で、というのはモナーダも事前に察知していた。だから、危ういところで最後の手立てが間に合った。より発動の早い【加護】を内側に張る。だがこの呪の耐久力では、今度こそこの一撃を耐えるのが最後になろう。


「しぶとさも加えてやる」


 目の前で剣が振り被られる。万事休すか、と息を吐き出したところで、時が止まったように静かになった。

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