【Ⅲ】—4 言葉

 得意なのは受ける剣だ。敵の攻撃を受けて受けて受け続けて、敵が疲れてきたときに攻勢に転じるのが、いつものナバの剣だ。


 ——普段の振る舞いも、それくらい慎重であればよいのですけど。


 これは、相性が悪すぎて——相性を除いても実力差で負けそうだが——勝てたことのないフィレネの言だ。彼女の鎌は力強過ぎて受けることを許してくれない。かといって躱そうとも、足場を滅多打ちにされて自由を奪われ長持ちしない。しかし彼女は、ナバの剣に一定の評価をしてくれていたと思う。新人の剣術指導を任されることは多分、誰より多かった。


 レイグの剣も、やはり腕力の差が大きすぎてナバには受けられない。強みを殺される焦燥は幾らか感じていたが、フィレネと相対しているときと似た立ち回りで対応ができることはよかった。しかもここでは、足場を崩されるという心配がない。フィレネよりもやりやすいと前向きに捉えられる理由が、一応存在する。


 突きを左へ避ける。レイグを中心に据えて彼のリーチ内で円を描くように、ナバは足を運び続けていた。剣を横へ振らせたいという目論見があった。避け続けるうちに分かったことがある。彼はまるで証持ちのような戦い方をする。要は、思考能力に乏しい。無理やりに誓わされたのだとしたら、能動的に考えられなくても当然だろう。だから、ナバのこの誘導にもいつか乗って来る。そう信じて疑っていなかった。


 ジェーラの矢は時折放たれていて、狙いはいずれも正確だ。レイグは大体二回に一度は避け、残りは受けている。致命的になるものだけ避けていると思しい。痛覚もないのならばそれで十分と判断したのだろう。しかし、着実に矢によるダメージは蓄積しているはずだ。ナバは静かにその蓄積が閾値を超える瞬間を待っていればいい。実際動きは少しずつ鈍くなっている。


 それでも、何度か剣が身体を掠めた。そろそろ自分も血塗れと評してもおかしくない格好になりつつある。息も切れて来た。辛さを感じ始めたそのときに、ようやく機会はやって来た。


 横薙ぎだ。


 剣が振り切られた瞬間に地を蹴って、思い切り距離を詰めた。伸びきった腕の肘の関節部を左手で握り締める。力の差があるから、あまり時間的な猶予はない。左腰の後ろへ遣っていた剣を狙いを定めて放つ。腹だ。継ぎ接ぎを縫い合わせたようなそこを裂き直すための、一振り。


「あっ」


 成果を確認する前に、危機が訪れた。左腕がいとも簡単に振り払われたのだ。相手の剣腕は自由になった。一方こちらの剣はまだレイグの腹の中で、身を守る手段がない。


 やはり、保険を作っておくのは正解だった。


「副長!」


 一声で全て伝わる。信じていた。だから、身を守るための措置は何も講じなかった。ただただひたすら、腹の中の剣を進ませることだけに集中する。


「お馬鹿さん」


 声を聞いた直後、轟音がした。事が起こっているのが背中の向こうでも分かる。フィレネがナバごとレイグを地の底へ送り出した音だ。


「あはっ、最高っすよフィレネ副長」


 身体が浮いた。こちらへ向かっていたレイグの剣が、自分から離れていく。ほとんどが計画通りに進んだ。しかしまだやり残したことがある。この腹を裂き切ってしまわなくてはならない。そうすればきっと、墜落の瞬間にレイグの身体は上下が分かたれるだろう。そうなれば、たとえ動いたとしても大きな脅威にはなり得ない。癒しの呪だって、発動したとしても上下分かれた状態のまま新たな傷を塞ぐのみだろう。


 腐敗し始めているレイグの傷を見たときに、思いついた一計だった。最善は危機を作らぬまま腹を裂き切ってしまうことだった。それができないかもしれないから、フィレネにすぐ傍に来てもらっていたのだ。これが保険だった。ナバが仕損じたとしても、フィレネの力を借りて聖者を地まで落とすことができれば、レイグはゼラの言っていた「粉微塵」状態になってくれるかもしれない。かもしれない程度の可能性に己の命を捧げたくはなかったが、これ以上の案は自分には生み出せなかったのだから、仕方がない。


 そして、どうやら踏ん張れない状態で腹を裂き切るのは無理らしい。剣はどこかで引っかかっているのか、レイグの腹から離れなかったが、自分がもうその剣を握り締めていられそうになかった。


「あー、死ぬなら綺麗に死にたかったー」


 剣から手が離れる。このまま墜落して肉塊になるだろう死後の醜さと、命懸けの一計すら遂行し切れなかった醜さと、両方とを嘆いてナバは一言零した。そうしながらも最期に上司の顔が見たくて、くるりと宙で身を返す。あの人は一体どんな顔をしているだろう。少しくらいは惜しそうな顔をしてくれているだろうか。しかし期待は瞬時に裏切られる。ナバの瞳に映ったのは、勇ましい顔で大鎌を振り被る彼女の姿だった。


「おどきなさい。邪魔です」


「ひえっ」


 変な声が出た。フィレネのやりたいことは分かる。しかし、どけと言われても宙でどうどけというのか。何とかレイグから距離を取れるように身体を捻ってみるが、当然そう容易くはいかない。フィレネは長くは待ってくれなかった。あまり離れられなかったナバの身体を掠めて、凄まじい勢いで大鎌が飛んでいく。切っ先が横腹に食い込んで身が裂けたが、どうにか鎌の軌道を逸らすことはなかったので、叱られることはない……といい。


 大鎌はくるくると回転しながら、レイグの下へ到達した。狙いは腹の傷からやや下方にずれていたが、身体を二つに分かつには十分な衝撃を与える。刈り取られて弾き飛ばされた腹から下を少しの間目で追っていたが、見ていられなくなって、ナバは代わりに再び空を仰いだ。


「ありがとうございました。ほんと、お世話になりました!」


 最後はフィレネ頼りになってしまったとはいえ、望んだことが成就して、ナバは誇らしい気持ちだった。だからそれを叶えてくれた上司へ向けて、出来得る限り爽やかな別れの挨拶をする。しかしなんとも薄情なことに、フィレネはナバを見てもいなかった。流石に最期くらいは、数年付き従った部下に労いの言葉をくれてもよいのでは? そう不貞腐れたときに、フィレネから何やら指示が出る。


「緑呪班!」


 まだ敵が残っていたのかという思考が駆け巡って行った後、背に何かが当たる感触がして、直後、ナバは一面の緑に埋もれていた。背や腰が何かに当たるたび、ぱきぱきと音を立ててその何かは折れていくようで、同時にこちらも痛みを覚える。


「うえっ」


 いくらか勢いが収まってから、大きく頑丈なものにぶつかって受け止められる。そこに至るまでナバには状況が全く飲み込めなかった。が、痛みを堪えつつ周りを観察して、自分が葉の生い茂った木の中にいるらしいことを理解する。中級緑呪【大樹】だ。崖の側面に木を生やして、落ちていく自分を止めたらしい。よく間に合わせたものだなんて、暢気に感心してしまった。腰か背骨か肋骨かを折るような悲惨な目に遭っているというのに、ランテに毒されたかもしれない。


「ナバ、返事なさい。死にましたの?」


 さして心配していなさそうな声が上から降って来る。こちらが返事をせずとも、答えが分かっている聞き方だった。


「生きてるんすけど、動けませーん。多分どっか骨いっちゃってます」


「腰が抜けただけではなくて? では、そのままでいなさい。聖者の確認をしてきます」


 言葉の通り、半ば宙吊り状態のようなナバを置いたまま、フィレネはレイグの確認を優先するだろう。流石だと感心してしまった。確かに不安定さは感じないから、落ちるようなことはないだろうが。


「どうかお早めにお願いしますー。怖いんで」


 軽く応じながら、ナバは右腕を持ち上げてみる。一本ずつ指を動かしてみると、どれもしっかり自分の意志に呼応した。どこかを折ったが、身体の機能を失うような事態にはなっていないらしい。骨さえ繋がれば、まだ自分は戦えるようだ。


 先に落ちて行ったゼラたちは敵味方入り混じって落ちて行ったから、おそらくは助かっていない。自分はレイグと二人きりで落ちて行ったから、こうして助かった。つまり、一対一の場面を作ってくれた部下たちの命のおかげで、ナバは今生きている。


 落ち着いて考えてようやく、あのとき落ちて行った部下たちに掛けるべきだった言葉を見つけられた。「無駄にはしない」と、きっとそう言えれば良かったのだ。


「……まだ、もっとやるからな、オレは」


 今更言ったところで誰にも届くまい。それでも、弔いとして捧ぐ言葉を、口にせずにはいられなかった。


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なんと伊達サクットさんが、拙作【Rehearts】で二次創作をしてくださっております!

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