【Ⅲ】—2 天秤

 数による正面からの強行突破。中央が選んだ策は愚直だったが、大軍だからこそ選べる択でもあった。


「うへー、上中下に準まで司令官がより取り見取りっすね。ここにこんな数の司令級を送りつけて、本拠地の守りは大丈夫なんすかね」


「一般兵もかなりおりますし、見たところこれでも三割程度ではありませんこと? あちらは数だけは豊富ですからね。召喚はしてこないところを見るに、召喚士は温存でしょうか」


「あーいや、来ましたよ、後方。一、二……七っすね」


「その程度ですか。嘗められたものです」


 以前、ここで北支部と合同演習をしたことがあった。そのときに隙のない布陣だと思っていた防衛線を、風呪を用いた上からの突破で崩された。以来、上から来る攻撃への対策を念入りに取り入れたため、鳥型の黒獣七体程度では問題にならないだろう。


「南方より黒獣七体が飛来しています。上空対策班、対処に当たりなさい」


 フィレネの指示はよく通る。両岸の対策部隊は指示を受け、早速上空への攻撃準備を始めた。雷属性を主にした呪の他、呪具を括りつけた矢なども用いた波状攻撃だ。当然、動き始めるのはその班だけではない。部隊の大部分が谷間に進軍しているこのタイミングで、フィレネの右手が上がり、勢いよく下ろされる。


「始め」


 土属性の呪使いが呪で敵軍の退路を塞ぐ。王国軍は作り上げられた土壁の向こうから攻撃を加え、一兵たりとも逃さないよう敵を封じ込めた。そこへ投げ込まれるのは、一杯に膨らんだ袋たちだ。内容物は油。敵が目論見に気づく前に、炎呪が放たれる。


 一面の紅蓮。風の防御呪越しにも伝わる凄まじい熱風が、ナバたちのもとまで届いてくる。方々の断末魔は、轟音に紛れてすぐに聞こえなくなった。


「……何人、死にましたかね」


「きっと、半数は」


 顔色一つ変えないフィレネと会話をしながら、ナバは中央本部中庭での戦いを思い出していた。今のこの光景をランテが見たら卒倒するだろうな、と考えて口の中で笑う。ランテの志や北の面々の受容を立派だとは思うが、同じやり方をしようとは全く思えない。慎重ゆえか、怠惰ゆえか、それとも覚悟ゆえか。これから戦うのに、答え探しは不要だろう。ナバはそこで思考を切り上げた。


「聖者もこれで死に切ってくれませんかねぇ」


「戦いに希望的予測は不要です。事実のみ捉え、真実のみ汲み取りなさい」


「はいはいっと」


 黒煙が酷い。こちらには空気の心配はなかったが、視界の確保までにはしばらく時間を要すると思われた。


「じゃ、そろそろ持ち場に戻りますね」


「そうなさって」


 見えない以上、いつ聖者がここにたどり着くか分からない。持ち場を空けるべきではないと判断して、ナバは階段を五十ほど降りた。段差がある上に、各所に防壁を衝立のように築いている。地の利は間違いないが、不死に近い身体で向かってくる相手にどれほど有効かは不透明だ。


 希望的予測と共に、不安もまた戦には不要なものだ。ナバは剣をすらりと抜いて一息ついた。






 いくばくかの時が流れた。黒煙が薄まる。徐々に谷の惨状が明らかになり、また、その中で生き残った者たちが進軍してくる様も分かるようになる。


「戦闘準備、進めろよ。絶対にこの先には行かせるな。最悪敵を連れて飛び降りろ。いいな?」


「はっ」


 ナバ班に所属する九名は皆精鋭だ。本当ならこんなこと伝えずとも理解していよう。無駄な指示だったかもしれない。しかし、他に必要な言葉は何も見つけられなかったから、仕方がない。


 火の海を越え、その後の両岸からの追撃も乗り切って、この祠がある地点まで到達してきたのは百と少しだ。篩にかけられ生き残った強者だけがやって来る。最後尾には聖者の装束を纏う者も認められた。ああ、とナバは納得する。できる剣士だというのは一目で分かった。それも、自分より遥かにだ。


「レイグさん!」


 呼び掛けたのは、ジェーラという王国軍のリーダーの女騎士だ。彼女らは螺旋の数段下にいるから、その姿は分からない。しかしその呼び掛けによって、彼が誓う者である可能性はかなり高まった。嬉しくはない情報だったが、知らないよりは知っている方が良いに違いない。もう一息、ナバは息を吐き出す。命を懸けるそのときが近い。


 無論両岸からの攻撃は続く。しかし、それによって減る数はもう多くはないだろう。後はナバら精鋭が個人技で一人一人を圧倒していくしかない。


 自分が小心者であることを、ナバは正しく理解していた。立場がどうにか臆病を顔に映さないよう留めているが、今、誰にも見えない肉の内の心臓はけたたましい程に鳴っている。手足も本当は震えてしまいそうだ。怖くて怖くて堪らない。すぐにだって逃げ出したい。そういう本音をどうにか押さえつけて、ここにいる。いつものことだから慣れてはいるが、無論心地よいものではない。


 東の兵は今際においても声を上げない者が多い。代わりに、「一班、殲滅」「二班、殲滅」と敗北と散華を機械的に伝達する声だけが響いてくる。仲間たちを殺して踏み越えながら、強者が迫っている。また息を吐き出した。きちんと息を吐いていないと、過呼吸で戦闘前に使い物にならなくなってしまいかねない。それくらいの恐怖がナバの背にのしかかっている。直前に班員にあんな言葉を投げかけておきながら、情けない。


「六班、殲滅」


 殲滅報告は、次の班がすることになっている。ナバたち八班の前の七班が、これから戦闘に入る。遂に、来る。


「残存兵はおよそ二十。聖者は存命。上り始めてから五回は致命傷を受けていますが、今はもう無傷ですね」


 【水鏡】で戦況を窺っていた呪使いが静かに伝えてくる。名はゼラで、東では呪部門で上から三本の指に入る実力者だ。彼女は次に、敵の進路を塞ぐように氷の防御呪を張った。


「あの誓う者、多分完全な誓う者とは別ですね。肉体に癒しの永続呪がかかっています。もしかしたら実現の呪で造った器ではなく、本物の肉体を使っているのかもしれません。その場合、器を粉微塵にしたらきっと死にますよ」


「そりゃいいことを聞いた。副長にも伝達してくれ」


「ご自分でどうぞ。仕事してください、副官殿」


 ゼラは東の兵には珍しく優しいことで有名なのだが、ナバだけには冷たい。理由は知れていた。元々は恋人だったが、ナバの二股が原因で別れたという過去を経ているからだ。


 班長の自分が離れるわけにはとは思うが、フィレネに情報を伝えないわけにもいかない。ナバはやむなく数段階段を上った。そこで声を張り、フィレネに先ほど聞いた内容を伝える。その途中だった。自分の班とナバとを隔てるように、氷の壁が生み出されていったのは。


「おいゼラ! 何してる!」


「七班殲滅。残存兵は聖者を含め十八」


 ゼラはナバの言葉など聞こえていないかのように、極めて冷静に殲滅報告をする。


「早くこれをどけろ!」


 焦って氷の壁に爪を突き立てると、氷が指を這った。慌てて払ったから大事はなかったが、とても登れそうにはない。


「班長、違命ご容赦を。しかし我々にも使命があります。班長や副長をここで死なせない。そのために策を練りました。ここで我々が敵兵を足止めし、その間に螺旋階段を落とします。聖者以外は必ず葬ります。もし聖者が残りましたら、そのときは班長が」


 氷の向こうで、ゼラは決死の、いっそ悲壮なまでの覚悟が染みた策を、あくまで淡々と語る。確かに、最後には敵を連れて飛び降りろとは言った。しかしそれはあくまで最後の手段だ。こんな最初から命を投げ捨てるような真似をされて、黙って引き下がれるわけがなかった。


「おい待て、勝手なこと」


「天秤よ、ナバ」


 唐突に昔の砕けた喋り方に戻って、ゼラは続けた。


「班員九名とあなたなら、あなた。あなたとフィレネ副長なら、副長。分かるでしょう? 私もあなたも、東の人間だもの」


「ゼラ」


 ゼラはナバのすぐ傍に【水鏡】を作り出した。薄い水面にゼラの微笑が映る。これまで見てきた彼女の笑顔の中で、最も美しい。ぞっとするほどだった。


「強くなってね。また二股なんか、しなくていいように」


 ——あなたの弱さ、私は好きよ。でも今回の弱さは許せないかな。あなたも許して欲しくないんでしょう?


 一年前、別れを切り出されたときの言葉が、ナバの耳を駆け抜けていった。何から何まで見透かしてきた、賢過ぎる女だった。だから振られたかった。弱い自分の上に懸命に被った仮面を、全部剝がれてしまいそうだったから。


 彼女はそれをも理解していたらしい。いやきっと、それだけではない。ついさっきまで逃げ出したくて堪らなかった自分の心の内さえも、彼女はここに至るずっと前から見通していた。だからナバのはらを決めさせるために、こんな策を用意したのだ。


 再び名を呼ぼうとしたところで、地が激しく揺れた。あちらとこちらを隔てていた氷壁に亀裂が走り、すぐに砕ける。視界が開けてよく見えた。自ら足場を崩して落ちていく、九人仲間たちの姿が。


 一人一人と、目が合った。東の人間として、班長として、彼女らに言うべき言葉は知っていた。知っていたけれど、ナバにはどうしても言えなかった。


 「よくやった」なんて、とても。

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