【Ⅱ】—5 達成

 槍で穿たれ、雷に打たれ、像に潰され。それでもなお、ソニモは絶命していなかった。さすがに苦悶の表情こそ浮かべてはいるが、瞳はまだ笑っている。それがユウラを滾らせ続ける。


 ふと、焼き切れた赤い紐が視界の端をちらついた。


 ——これだけは、持って行きたいの。


 最愛の妹の言葉がユウラの鼓膜を内から打った。この紐は病に倒れた両親の元を去るときに、ユイカが遊び道具の中からこれだけはと望んで持って行ったものだ。妹が攫われた後、宿に残っていたこれを手放せなくて、白軍入りしてから後は槍に結わえて持っていた。何度も修復しながら使っていた大切なものが、今、焼け焦げて失われつつある。


 有り余る力で槍を握っていた指から、少し力が抜けた。ただれたその指を、涼やかな癒しが包み込んでいく。


 ——お前は勝つよ。


 勝つ。そう、勝たなくては。彼は、相討ちになるくらいなら祠を落としてもいいと言ってくれた。妹だって、絶対に戻ってきてほしいと願ってくれた。そんなにも帰還を望んでくれる人たちがいるのだから、こんなところでくだらない男にかかずらって、命をくれてやるわけにはいかない。


 すっと、息を吸った。取り込んだ空気は冷えていた。


「あんたのこと、千回くらい死ねばいいと思ってるわ」


 一度、ソニモの胴から槍を引き抜いた。貫通していた腕の方は刃を離れなかったので、そのまま槍を地に突き立て直してソニモを縫い止めることにする。


「でも……あたしなんかより、ここにいる子たちの方が、もっとずっとあんたを憎んでいるはずよね」


 槍を残したまま、ユウラは一歩、後ずさった。ソニモの身体にまた一つ像が落ちてきて、その足先を潰す。苦悶に跳ねた身体を尻目に、さらに三歩四歩とユウラは後ろに歩んだ。


「あんたが踏みにじった子たちに、今度は踏み躙られなさいよ。それが、似合いの最期だわ」


 テイトが地呪で足場を作ってくれる。視線が上がって、今度はユウラが高いところからソニモを見下ろした。一つ、また一つと、少女たちは自らの手で憎き敵に制裁を与えていく。その様を、ユウラは静かに見つめていた。


 怒りも憎しみもやるせなさも、消えたわけではない。ユイカに与えられた苦痛が解消することはないことと同じで、この感情もなくなりはしないのだろう。復讐を遂げたところで、永遠に。だがユイカにもユウラにも、この先という行く末があった。だからいつまでも後ろを振り返り続けているわけには、いかない。


「あなたは、許す、のですか、私を」


 ソニモは既に魂の抜けてしまったかのような顔で、ユウラを見上げていた。


「許すわけないでしょ。この人でなし」


「人でなし……ですか」


「人でなしよ」


 像は墜落しきった。が、ソニモにはまだ命があった。運よく——いや悪くかもしれないが、首から上を潰されずに済んだらしい。今なお発声までできている。しかし、手足はもう死んでいる。そして胸部腹部を辛うじて守っている像が重量に耐えかねて軋んでいるから、もう時間の問題だ。


「あんたは自由を望んだのに、それを実現するための行動を起こさなかった。自分で誰かに言われるがままの道を選んだくせに、結局我慢ができないで、溜まった鬱憤を自分より立場の弱い人間にぶつけて、搾取して、悦に入っていた最低の生物だわ。あんたによって人生を歪められた人間が何人いると思う? 文字通り万死に値する。一回死んだくらいで罪は償えない。とことん苦しんで死んで、二度と生まれてこないで」


 言葉を投げつけるくらいでは、癒えるものなんてありはしない。分かっていたが、悔しかった。ソニモはユウラの言を聞き届けると、目を閉じる。


「ええ、もう……生まれて来ませんよ。私には、この世界を生きるだけの……強さが、足りなかった、ようですね」


 ソニモは静かな声で述べ続ける。


「誰も彼もが、あなたのように、強くはない。分からないあなたは、幸福、なのですよ」


 次の言葉を言い終えたときが、断罪の瞬間と重なった。身を守っていた像が根元から折れて、その上に積み上がっていた少女像たちは遂に仇を絶命させんと迫る。大地が大きく振動した。最初に少し、次に多くの血の塊を吐き出して、それきりソニモは動かなくなる。


「何が、幸福よ」


 握り込んだ指が強く傷んだ。目を落とす。指は爛れたり裂けたりして、見ていられないほど酷い有様だった。


 強い人間は、最初から強いわけではない。強くありたいと願うから強くなれるだけで、痛みを感じないわけでも、悲しみや苦しみへの耐性を持っているわけでもない。誰しも心の強度は変わらないはずだ。耐えられるか耐えられないかに強さの差があるだけで、強いことを幸福と言われるのは腹立たしくてならない。


 ユウラとて最初から強いわけではなかった。妹を連れ去られたあの日に感じた絶望は、今思い出すだけでも身が震えるほどのものだった。そこから立ち上がってここまで来られた理由として、出会いに恵まれた面は確かにある。が、自らの意志と忍耐なくしては辿り着けなかったと、胸を張って言える。


 ユウラに最初に槍を握らしめた目標は今達成された。骸に突き立ててある槍が大きく歪んでいるのを見て思う。今度はもう一つの未来の理由のために、新たな槍を握ろうと。


「ユウラ副官、お見事です」


 重傷のリリンが苦しそうな息の下、声を掛けて来た。ユウラは黙って彼に近づいてから答える。


「あなたたちや、テイトの助けのおかげよ。ありがとう。リリン隊は負傷者を下がらせて手当に当たって。あなたもよ」


「……はっ」


 やや悔しげな返答を聞く。これほどの怪我を負っていながらまだ戦いたがる部下に、勇気を与えられた気がした。


「剣を貸してもらいたいのだけれど」


「もちろん構いません、が、ユウラさんも負傷を」


「見た目ほど深くないの。あたしは無理はしないから大丈夫よ。借りるわね」


 ちょうど高いところにいて都合がよかった。剣を受け取ってから、腕を高く掲げて空に向けて呪力を放つ。狙いは戦場の奥、敵が固まるところ。腕を下ろすと同時にそこへ稲妻が走り落ちる。中級攻撃呪【落雷】。雷光が閃いて雷鳴が轟いた後に、兵たちの視線がユウラに集まった。


「敵将聖者ソニモは討ち取ったわ。各々焦らず、己にできることを全うして。完勝するわよ!」


 奮い立つ兵の声を聞く。テイトと目を見交わし合ってから——指揮権を委ね直されたのが分かる——ユウラは戦場を見渡した。優勢、それに間違いはない。しかし残念ながら、犠牲がないわけではなかった。五、十……ざっと、三十五。全員が絶命しているかは定かではないが、遠目からでも懇意と分かる者まで倒れ伏している。


 事実は事実として受け入れる。無論、心は軋む。ただしユウラは将だ。今、嘆く暇などありはしない。


 最前線でアージェが気を吐いている。ほぼ個の力だけで、六、七は倒しているだろう。負傷しているのはここからでも知れた。それでも彼の動きには、微塵も鈍りがない。その姿にどれだけの兵たちが励まされているか。リイザは中衛で休まず矢を撃ち続けている。彼女が殺しを嫌がることはよく知っている。歯を食いしばって涙目になりながらも、狙いは正確無比だ。どれだけの覚悟をもって弓を引いているか。新しく仲間になったサナら元中央兵も、数人の犠牲を出しながらも立ち向かうことをやめていない。ほとんどが光呪使いである彼らの攻防によって、どれだけ軍が助けられているか。


 そして多対多の戦いにおいて、テイトは戦力の要だ。これまではユウラの代わりに指揮を執ってくれていたため、全体に注意を向ける必要があったが、これからは彼が敵の攻略に集中できる。早速生まれた炎に、呪を行使しようとしていた三か四の敵が飲み込まれた。攻撃も防御も、百人力の働きをしてくれるに違いない。


「作戦は最終攻勢へ切り替えて。右翼の被害は中前衛がフォロー。指示は以上よ。今からあたしもそこに入る」


 事前に幾つかのパターンの作戦を緻密に組んで、それら全てを詳細まで兵全員に徹底して周知させ、戦場では簡易な指示しか出さない。自らも前線に加わって戦うためのこの方針は、他でもない直属の上官から習って覚えたものだ。すっかり自分のものにできているのを実感して、ユウラは背を伸ばした。借り物の剣は、そうとは思えないくらい手に馴染む。


「行くわよ」


 自分に向けて囁くように言って、ユウラは前線へと勇ましく足を踏み出した。

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