【Ⅱ】—3 変転

 何にせよ、この体勢を立て直さなければ話にならない。像に挟まれて自由に動かせない身体をどうにか操って、座るような体勢になるまではこぎつける。そこまできたところで、大きな影がユウラを飲み込んだ。仰いで、眉を寄せた。無数の剣が雲のように連なって、ユウラに刃を向けている。


 負傷は命取りだ。分かっていても、甘んじて受け入れる覚悟が必要な展開だった。今の足場は敵の呪によってできた像、拠りどころにはできない——そう考えた矢先に、直下の像がふっと消えた。


「おや、やりますね」


 身体の自由が利かないことに、この戦闘で初めての焦燥を感じていたユウラだったが、ソニモのそんな声を聞いて今一度戦場を見渡した。落下しながらも、テイトの炎呪が五重もの【加護】——周辺の光の子らの呪だ——を破ったのを認識する。


 数年間同じ隊で戦ってきたから、ユウラもテイトも互いを熟知していた。ユウラの扱う雷呪はまだ熟練の域には達していない。この数の剣の負荷に耐えられる防御呪は扱えないし、かといってこれらを破壊し尽くすことのできる攻撃呪もまた持ち合わせていない。テイトはそれをよく知っている。


 言葉を交わすどころか、表情を見合うこともできない状況だった。それでもテイトは、ユウラが最も今求めていたことに不足なく応えてくれた。


 瞬時に空気が凍てつく。ぱきぱきと音を立てながら広がる氷に、剣の群れたちが次々飲まれていく。テイトが安全な退路を作ってくれた。受け身を取って着地した後、すぐにそちらへ向かう。敵の意のままの石像は当然ユウラを自由には進ませなかったが、それをかわしながら行くことくらいは造作ない。


 が。


 左足を、何かが貫いた。そういう感覚があった。激痛に足がもつれる。あえなく、ユウラの身体は地面に投げ出された。後方にだって気を遣っていた、不覚を取られるような隙は作らなかったはずだ。なぜと思いながら左足を確認するが、不思議なことに無傷だった。確認した瞬間に痛みは消える。そうか、幻惑の呪で痛覚を支配されたか。


 早く立ち上がらなくてはと、腕を立てたときだ。既に、幾本もの剣がぐるりとユウラを取り巻いていた。


「ユウラ!」


 テイトの警鐘はよく聞こえて来た。ユウラからテイトは見えないが、テイトからユウラは見えているらしい。水呪の【水鏡】でも使っているのだろうか。そのような、今の局面の打開にはなりそうもないことを考えてしまうくらい、どうしようもない状況だった。


 土属性の防御呪がユウラを守らんと展開されるが、剣の動きはその土壁の完成よりも早かった。テイトの呪の発動は決して遅くはないが、【水鏡】でこちらの戦況の確認をしているならば、映像が届くまでに多少時間的なずれがある。それゆえの遅れだろう。ユウラはせめてもの足掻きとして、中級防御呪【雷雲】をまとった。指定範囲に触れたものを雷で叩き落とす呪だ。五は落とせた。六はどうにか避けた。八はテイトの防御呪が間に合った。しかし。


「うっ……」


 三振りの剣に、身体を捉えられる。一つは頬を掠め、一つは右の二の腕を削ぎ、そして一つは左脇腹を裂いた。致命傷を避けはしたが、決定打には足る負傷と言えた。


「呪の耐性が低いのですよね。あなた相手なら、幻惑の呪一つで隙が作り出せる。さて、止めにしましょうか」


 ゆっくりと、頭上に巨大な刃が——歴史の教本で見たことがある、断頭台に備わっていたような刃だ――形成される。聞いていた通り速さこそなかったが、ユウラの周りで像が塔を作っていて、逃げ場が失われている。テイトが防御呪を用意してくれているが、障害物に邪魔されて強度が落ちているこの状態では、どこまで耐えられるか。


 頭に過ぎったのは、誓いの呪を使うという選択肢だった。それしかない、かもしれない。槍を手元に引き寄せる。頭上のあの刃で命を絶たれては、誓いなど為す前に逝ってしまうだろう。ならばこの槍でと、強く握ったそのときだった。


 冷涼な光が、ユウラをふわりと包み込んだ。その光は発熱している負傷部位に集うと、ゆっくりと痛みを取り除いていく。速度も緻密さも、普段目の前で使われるそれとは練度が大いに違った。それでも分かる。これはセトの癒しの呪だ。まだ完成していないけれど、永続呪を掴みかけているのだろうか。呪をかけてもらった覚えはない。一体いつ、と考えたところで、光は槍から発されていることに気がついた。手入れをして持ってきてくれたあのときか。


 ふ、と笑みが漏れた。どうしてこうも、岐路に立つたび彼が関わるのだろう。妹との日々を失ったあの日もそう、槍を取ろうと決めた日もそう、北を出ようとしたときもそう、洗礼を受けた状態から戻るきっかけもそう、そして今もそうだ。おかしくて、なぜだか、とても力が湧いた。


 誓いの呪? そんなものなくたって、あたしはこいつに勝てる。なぜなら、ユウラの耳元にはあの言葉があった。勝てると信じてくれている人がいる。だから負けられない。


 両の手で槍を握り締める。そうしてユウラは、落ちてくれる凶刃に真っ向から対峙した。


 恐れてはいけない。勝負はあの巨大な刃の側面に、ユウラの槍の穂先が届くようになってからだ。ゆえに、限界まで引きつける必要がある。完成した刃はすぐに動き始めた。落ちれば落ちるほど速度は上がる。あの勢いにあの鋭さ、当たれば即死は必至だろう。しかし、まだだ。まだ、まだ、まだ——


 ここ。


 渾身の力で、ユウラは槍を刃の側面に叩きつけた。刃はたわみ、歪曲する。生まれた空間がユウラの身を守った。先程までの脅威は、像の幾つかを巻き込んで堕していく。


 秘術の制御が戻らない中、無理に力を使った。筋をかなり傷めたらしく、両腕が痺れている。また、効きが遅い癒しの呪では治しきれなかったか、脇腹から新たに血が流れたのが分かった。しかし、生きている。上から見下ろしてくる聖者に、不敵に笑ってみせた。


「終わり?」


 ここまでの交戦で分かったことがある。ソニモの呪の出の早さと、ユウラが身体を操る速さとは、ややこちらの方が上だ。しかもしれは、相手が攻めているときの——つまり相手にとって精神的に余裕のあるときの話だ。


 ——ユウラ、呪はね、防御呪が一番難しいんだよ。相手の攻撃に合わせないといけないというタイミングの話もそうだけど、何より攻められているという劣勢で心を乱さない集中力が必要だから。一般に防御呪の練度は、攻撃呪のレベルの五から八割にしか満たない人が多いんだ。覚えておいて。


 テイトの教えを聞き直しながら、思考する。属性呪を使わないソニモは、これといった防御呪は使えないはずだ。だから今こうして像の塔を駆け上がっていくユウラを阻むためには、何かを仕掛けるしかない。けれども、奴に何ができるのか、その手の内は大方理解した。足場を奪うことも、五感を支配することも、武器を作り出すことも、もう対策が取れる。


 像を動かされるより先に次の足場へ。先んじて手を打たれないように読みづらい足場を選べば、幻惑の呪や実現の呪の位置指定も難しくなろう。着実にソニモに近づいている。攫われる妹に伸べた手は届かなかったけれど、今こうして握る槍は、奴に届かせてみせる。


 最後の一歩、像を踏みしめ蹴り上がる。下向きに握った槍をソニモ目がけて突き立てる。風が唸るほどに、速く。


「ぐあっ」


 身体の中央を狙った下突きは、標的が足場を失ってまで逃れることを選んだせいでやや右に逸れた。肩口を捉えるが刺さりが甘い。落下によって、勢いを半減以下にされた。


 実戦慣れはしていないのだろう。しかし、随所で見せる判断はそのほとんどが正しい。聖者に抜擢されるだけのことはある。好機はそう何度も訪れないだろう。引くか押すか一考して、ユウラは押すを選んだ。


「ユウラ、引いて。仕切り直そう」


 テイトの声はきちんと耳を通ったが、決断は変えなかった。槍に雷電をまとわせる。それがソニモに流れ込んだところまでは見届けた。


「誤り、ましたね」


 感電する直前に、敵はそんな言葉を残す。途端だ。


 視覚、聴覚、触覚——そして味覚、嗅覚。ユウラは全ての感覚を一挙に失った。

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