5:この生命を導に

【Ⅰ】   支え

「忙しいのに、また仕事を増やして」


 出立前、多忙の副長は手ずからユウラの槍を手入れして持ってきてくれた。穂先どころか、柄の部分まで丁寧に処理されている。


「これは仕事のつもりでやってない。せめてもの願掛けだ」


 槍が手渡される。使い慣れているはずの槍が、ほんの少しだけ普段と違って見え、重みもわずかに増しているように感じられた。


「無理はしないこと」


「分かってるわ」


「ああ。武運を」


 こういう場面ではいつも決まってセトは口数が減る。今回も類に漏れずそうだった。しかし今日はユウラの方も、さほど多くを語る気にはならなかった。そんなことをしたら、死ぬ準備をしているみたいではないか。


「あんたも気をつけて。槍と見送り、ありがとう」


 そう言って踵を返し、槍を背中のいつもの位置に留めて、足を踏み出す。ここまでは通常の任務にでも出かけるときのような、淡白な別れだった。いつもと違ったのは、かなり歩いてしまってからふと後ろ髪を引かれて振り返ってからだ。


 遠くにはセトがまだ佇んでいて、自分の姿をずっと見送ってくれていた。目が合ったかもしれない、と思うなり彼はすぐさま視線を逸らしたようだ。振り返られるのを全く想定していなかったらしくて、ユウラは気を良くした。どんなときだって、彼の想定の範囲外にいられることは嬉しいことだ。


 息を吸って意識的に顎を上げる。勢いよく、言葉を送り出した。


「あたし、勝つわ」


 既に表情は見えない距離にいるので、その言葉がどんな感情を彼に与えたのかは分からない。右手がひらりと上がったことで、声が届いたことは分かった。ユウラも右手を上げて一往復だけ揺らす。これで今度こそ後ろを見ずに行けそうだ。


 ——お前は勝つよ。


 そう思っていたのに、微かに吹きつけた風が耳元に囁きを残したので、つい再び振り返ってしまった。先刻まで遠くに見えていた姿はもうそこにはなく、だからこそその言葉が気休めのつもりで言われたものではないことを理解する。


 耳に触れる。声はまだそこに余韻を残しているようだった。忘れたくないから、少しの間だけ目を閉じてその余韻に浸る。知らず、微笑んでいた。敵に対しての強い憎しみはある。けれども、決して我を失うことはないだろう。あの一言だけで自分が信じられるのだから、不思議な話だ。






 エルティまでの同行者は、テイトと兵が数十名——主に外門警備でセトの指揮下にあった元中央兵たちで、今回新しく北の隊に加わった者たちだ――だった。先頭をユウラとテイトが行く。黒獣は数体出没したが然程強くはなく、道中それらしい苦労はない。


「熟練した呪使いで属性呪を一つも使わない人とは、僕も初めて出会うよ」


 テイトとは敵将ソニモについて語らっていた。情報はソノやモナーダから仕入れていた。今話題になっているように属性呪を使わない呪使いであること、武術は護身術以外に心得がないこと、用兵については可もなく不可もない程度の水準であること。総じて、前激戦地総指揮のリエタと同格程度の強さだということだ。もっともリエタは用兵には優れていたということで、その点での差は大きいのだろうが。


「属性呪を使わないってイメージが湧かないんだけど、どう戦うの?」


「【幻惑の呪】はよく戦闘でも使われるけど、目くらましとか補助的用途で使われることが多いし……無属性呪って大抵は時間がかかるから、あまり戦闘向きではないんだ。呪力の消費量だって多いしね。僕もあまり想像がつかないけど、モナーダさん曰く彼が得意なのは【幻惑の呪】と、金属類、特に武器類の【実現の呪】らしいよ」


「武器類? 奴には武術の心得がないんでしょ。武器を実現してどうするのよ」


「相手を【幻惑の呪】の術中に嵌めてしまえば隙はいくらでもできるから、武器さえあれば心得がなくても止めはさせるよ。直接触らなくても頭上に武器を作り出せば、というのも考えられるし」


「対個人なら強いのかもしれないけど、対複数相手だとそれほど機能するようには思えない戦い方ね」


「うん、今のところは僕もそう思う。複数人で相手するようにしながら、それでも油断はしないようにしよう。新任ということもあって、モナーダさんも彼についてはそんなに詳しくないみたいだったから」


「ええ」


 何度か指揮を担当したことはあるが、これほどに大きな戦いでというのは初めてだった。呪にはそれほど通じていないので、テイトが共にいてくれることを大変心強く思う。他にもアージェやリイザなど、隊の中には指揮経験者も多い。無論大きな責任は感じているが、自信は喪失することなく戦地に立てそうだ。


 話し込んでいると、もうエルティの外壁が進行方向に見えて来た。遠征に出ることはよくあったが、これほど帰還までに時間がかかったのは初めてかもしれない。


「あの」


 後ろから元中央兵の女性が声を掛けてくる。名は既に聞いていた。サナだったか。


「我々はエルティに住居はありませんが、どうすればよろしいでしょうか」


「支部に兵舎があるから、そこを使って。発つまでに一日は空けるつもりだから、短いけどその間に少し身体を休めて。食堂も使ってもらって大丈夫よ」


「ありがとうございます」


「それと、サナ。あなたは光呪が上手く使えるし指揮も採れるって、セトから聞いてるわ。小隊長を務めてもらうつもりでいるの。あなたが中央から来た人たちをまとめて」


「私が?」


「あなたが」


 サナは唇をきゅっと結んだ。覚悟を決めた瞳が、ユウラを見上げる。


「承りました。必ず……お役に立ってみせます」


 中央兵への認識を改めなくてはならない、とユウラは思った。彼女らは準司令官以下の立場にあった者たちで、腐敗貴族たちとは違うのは分かっていたが、実戦経験不足による小心という中央兵の特徴は持っているだろうと考えていた。とんでもない。ユウラは始め、彼女らを戦地に連れて行く気すらなかった。エルティに留まらせ防衛強化の人員に充てるつもりでいた。戦地へ赴くことを望んだのは、他でもない彼女たち自身だ。


 ——微力ですが、お力になりたい。我々も兵士です。命を懸ける覚悟はあります。前線に置いてくださって結構です。働かせてください。あなたがたは、私達に正しくあるために立ち上がる勇気をくださいました。恩返しがしたいのです。


 そう言ってくれた彼女たちのことを、ユウラはもう仲間と認識していた。甘いかもしれないが、それが北流だとも思う。我々の根底にあるのはいつだって信頼だ。


「ありがとう。全力で戦いましょう。でも、生きて戻るのよ」


「はい」


 死人を出さないというのは不可能だ。そんなことは分かっているが、一人でも多くの人間が帰れるように采配するのが自分の役目であり責務だ。この死なせるまいという気持ちを忘れずにいなくては。決意を新たに、ユウラはエルティへと進む道を歩んだ。






 エルティに到着したのは、昼下がりの頃だった。まずは支部に戻って各所に指示を与え、時間が空くとすぐにユウラはノタナの宿に向かった。


「ノタナさん」


 扉を開けて呼びかければ、直後に奥から——厨房の方だ――足音が聞こえてくる。血相を変えて、といった様子で飛び出して来たノタナは、ユウラの姿を認めるなり涙を溜めた。


「ユウラ……ユウラ、よく戻ったね……」


 普段とは違う弱々しい声でそう言うと、ゆっくりと近づいてくる。その後は、優しく抱き締められた。ふわりと美味しそうな匂いが漂って——ノタナはいつも料理の匂いを纏わせている——ユウラの方も、込み上げるものがあった。涙を零すまでには至らなかったが、瞳が潤んでいるのを自覚する。


「ノタナさん、心配かけてごめんなさい」


「全くだよ。寿命が縮まるかと思ったね。でも、帰って来てくれたからいいさ。本当に待っていたよ」


 頭が撫でられる。その手が震えていたように感じられて、ユウラは黙ってノタナを抱き締め返した。前に見たときよりも痩せていた背中をそっと撫で返す。


「セトも無事……とはいかないけど、少し身体を悪くしただけで、安静にしてたら治るって薬師も言ってたから」


「そうかい。何よりだよ。テイトやランテも無事だね?」


「ええ。皆、忙しくしているけど大丈夫よ」


 とても心配させてしまったが、こうして誰かが心配して待ってくれているということは、間違いなく自分たちを支えてくれていると感じる。だから、ユウラは言った。


「ノタナさん、いつも待ってくれていてありがとう。だからあたしたち、帰ってこれるのよ」


 小さく嗚咽を漏らしたノタナを、ユウラはしっかりと支えた。こうして心配をかけ続けるのをやめられるように、勝ちたいと改めて思った。

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