【Ⅴ】—2 縁

 その一言で映像は途切れた。戦いを止めたのは、ランテの言葉でも行動でもなく、存在そのものだった。それも、恐怖によって止めたのだ。


「これ以上は止めておきましょう。あの後もあなたは大勢に襲われました。しかし身体がどんな状態になっても、あなたは戦いを止めることをやめなかった。根負けしたのは、相手の方でした」


「……そうだったんですね」


 王国時代、ランテは誓いの呪というものの存在は知らなかった。王国の流れを汲むラフェリーゼの多くの者もまた、誓いの呪のことや誓う者の存在を知らないのだろう。ああいった反応になるのは理解できる。


「このときからあなたは誓う者とは違いました。誓う者は実現の呪で自らの身体を造りますが、その器が酷く破壊されれば精神体に戻ります。しかしあなたは、どれほど凄惨な姿になろうとも精神体にはならなかった。もちろん常人とも違うのは、ご覧の通りです」


「はい」


「あなたと殿下がベイデルハルクから突き付けられたことは、概ね事実でしょう。あなたは殿下によって造られた。当時殿下は、戦いを止めたいと願うと同時に、あなたを想ってしまったのでしょうね。それゆえに戦いを止めるための存在が、あなたをかたどって生まれた。いえ、それだけではなく……」


 オッドの深い海のような色の瞳が、鏡のようにランテを映している。自分を見つめてくる自分に、試されているような心持ちになる。


「死した世界の人の願いも、あなたは受けているのかもしれません。この世界を守って欲しい、まだ夢を見させて欲しい、だから頑張って欲しい。そういうあらゆる希望を——我儘を受けて、あなたは生まれ、動き、ここにいる」


 言葉の選択に何やら他意を感じる。そこまではたどり着いても、その先が分からない。やはりセトにいてもらった方が良かったかもしれない。ランテが黙っていると、オッドはさらに続けた。


「言葉を選ばずに言えば、あなたは世界にとっての駒とも言えるかもしれません。都合のいい夢を見続けさせてくれるための駒。あなたに対峙するベイデルハルクの思想に惹かれる者も、導師の中にはいます」


 瞳の奥の海の中にいるランテが、どうすると問うている。どうすべきかは分からなかった。だからランテはいつもと同じことをする。ただ、素直に心に従うのみだ。


「駒は嫌です。だから駒にはなりません」


「では、どうするつもりですか?」


「夢を続けるだけの世界では終わらせないつもりです」


「どのように?」


「それは、これから考えます。オレは頭がいいわけじゃないから、どうしたらいいか多分一人じゃ思いつけません。オレたちがここに来たのは、一緒にベイデルハルクを倒したいからだけじゃないんです。この世界をどうしていったらいいか、ラフェリーゼの人にも考えてもらいたいんです。オレはとにかくベイデルハルクは絶対に間違っていると思うけど、セトはベイデルハルクの考え方そのものを否定はしないって言いました。元白軍の人たちの中にも、そういう考えを持った人もいる。そういう違う考え方の人がたくさんいた方が、いろんな意見が出せて、世界が良くなっていくと思います。ベイデルハルクだけは倒さないといけないけど……」


 もしもベイデルハルクがああいう暴挙に出なければ、彼と未来を語り合うこともあったのだろうか。どうしてあのような手段しか選べなかったのか。ランテは初めて、ベイデルハルクに問うてみたいと思った。ただ、やはりどんな理由があっても許すことはできない。既にたくさんの命が奪い取られ、多くの人の運命が捻じ曲げられてしまっている。分かり合うには、取り戻せないものが多すぎる。


「不思議な人だ」


 不意に柔らかくなった声で——元々固い声ではなかったのだが、今、明確に柔らかさが増したのを感じた——オッドは言う。思いもよらないことを言われたので、ランテは瞬いた。


「不思議、ですか?」


「ええ。人は拠りどころを求めるものです。それがなければ迷ってしまう。あなたは、己の全てを否定されかねない成り立ち方をしている。その事実を突きつけられてなお、微塵も揺らがない。しかも、生き方の指針も……これからやるべきことの全ても、見通せているわけでもない。それで不安にならないのは不思議です」


 ランテは少し考えた。


「でも……それって皆一緒じゃないかなって、オレは思います。生まれたときから何のために生まれて来たのか分かってる人なんていないし、自分がどうやって生まれて来たかも覚えていなくて当たり前じゃないですか。親が息子だって言ってくれるからそうなんだって信じてるけど、本当は違うかもしれない。しかもそれって、周りの人の話を聞く以外に確かめようがないと思います。今のオレがどうやってできたかについても……オッドさんが言っているような感じでできたのかもしれないけど、違うかもしれない。そういう分からないことって、考えても仕方ないって思うんです。そんなどうしようもないことを考えて不安になって立ち止まるより、今自分がどうしたいかを考えて動く方が、オレに合ってるかなって。だって、せっかく動けるんだから」


 ここまで勢いのままに話して、ランテは自分の手のひらを見た。


「オレ、最初に死んだときのことを覚えているんです。自分が自分の身体と繋がっていない感じ……手とか足がどこにあるのか分からなくて、動きたくても動けなかった。だから動けることって、すごいなって思います。この身体が本物か偽者かなんてどうでもいいし、オレがこうしたいって思うことが、誰かにそう思わされているんだとしても、間違いじゃないって思えるなら、皆がそう思ってくれるなら、それでいいです。何かできることそれ自体が、オレにとってはとても嬉しいことだから」


 言葉にしていくことで、自分を太く支えるものの正体が分かった気がした。それが嬉しくてじんわりと笑うと、オッドもまた微笑んでいた。


「あなたがそのような方だったからこそ、殿下も今日この日まで在り続けられていたのでしょう。あなたが、殿下の拠りどころでい続けてくださったからです。それについて、まず、感謝を申し上げます」


 感謝の言葉には誠意が染み渡っていた。ランテがランテのしたいようにしてきただけだったから、礼を言われるのは何か違うような気がしたが、ひとまず受け取っておく。


「殿下はとても強くなられましたが、元は強い方ではありません。あなたを造ってしまったのも、あなたにすがればこそ。そして……先程の話の続きをしましょう。事が収まった後、殿下はあなたと再会して、あなたが実現の呪によって生み出された存在だとお分かりでも、遂に消すことはできなかった。だから記憶を奪い、ただ眠らせたのです。いつか平穏になった世界で、あなたが静かに幸せに生きられることを願って。その直後の殿下は……」


 言葉を探すように、オッドは暫時目を伏せた。


「とてもお可哀想でした。きっとあなたを弄んだと感じ、自責が募ってのことでしょう。誓う者にとっての精神の乱れは、消滅の危機となります。ラフェリーゼは殿下を失う訳にはいかなかった。ゆえに導師たちは皆で協力して、殿下の記憶を操作しました。あなたを造り上げたことをなかったことにしたのです。本当はあなたの存在そのものを殿下の記憶から消してしまいたかったのですが、いくら呪力が乱れているとはいえ相手は精霊を多く宿される殿下、そこまでの干渉はできませんでした。また当時の記憶の操作の効力は、どうも徐々に薄れていたようですね。殿下とあなたが交わしてきた会話から推測すると、ですが」


 一つ、ランテは息をついた。そうしなければ、落ち着いていられそうになかった。


「オレは、ラフェリーゼの人のやり方、好きじゃないです。ミゼもですけど。記憶を奪ったり、操作したり、覗いたり。どうして違う方法を選べなかったんだろう」


「手近なところに解決手段があると、それしか考えられないからでしょうね。闇呪は便利過ぎます」


 オッドはミゼに同情的なことだけは間違いないが、それ以外についてはどの視座から語っているのかよく分からない。


「世界が平らになれば、精神や記憶に作用する闇呪は禁忌としていくべきなのかもしれません」


 ランテはじっくりとオッドの言葉を咀嚼した。表向きは、ランテの意見に賛同しているように聞こえる。しかし深く考えると、平和が訪れるまでは闇呪を手放す気はない、と主張していることにもなるのではないか。


 ラフェリーゼにとって闇呪は、西大陸の光呪のようなもので、戦いにおいては必要な力なのだろう。それが分かるからこそ悔しかった。今のランテに、闇呪についてこれ以上言えることはないということだ。


「ランテ殿」


 呼ばれて、ランテは自然と俯けていた顔を上げた。


「今日、あなたと直接お話ができてよかった。あなたは強靭な命綱であると判断します」


「命綱?」


「ええ。あなたがこちらの最大戦力である殿下の拠りどころである以上、我々にとっては初めからあなたが命綱だったのですよ。脆い綱なら、危ういことはできません。しかし縄が強靭ならば、踏み出せる一歩もありましょう」


 ここでオッドは、小さく息を零して笑った。


「驚きました。あなたを揺るがしかねないと思っていた事実を伝えた後なのに、既にあなたの意識はそこになく、闇呪のことを考えているんですから。ええ、どう考えても強靭です。そして……あなたはとても人たらしですね」


「人たらし」


 よく分からないままに復唱する。オッドはすぐに頷いた。


「ええ。最初はミゼリローザ殿下。記憶を見るに、紫の軍でも先輩らから可愛がられていたようですね。それから、セト殿を始めとする白軍統治区域北支部の方々、彼らと決裂していたはずのデリヤ殿、東支部のフィレネ殿やナバ殿、果ては多くの民たち。そして始まりの女神までも。もちろん私もです。皆、あなたにほだされているのですよ。あなたは人たらしだ。あなたが皆を束ねるえにしそのものと言えましょう」


 椅子を音を立てないように引いて、オッドは滑らかに立ち上がる。


「近日中に……できれば二、三日の間にお呼びします。本日は本当にありがとうございました。セト殿にもよろしくお伝えください」


 ランテは半ば呆然としつつ彼を見送った。縁という言葉が、幾重にも頭の中で反響していた。


 両の拳を握って立ち上がる。ランテはただ一生懸命にやっていただけだ。でも、そうして一生懸命に伸ばしたこの手で皆を繋ぎ合わせられるなら、どれほど嬉しいことだろう。この一語を、常に忘れずにいようと思った。

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