【Ⅳ】—2 翳り
最初の会見を終えて、ランテとセトは宿に戻っていた。これからは写し取ったランテの記憶を吟味して、態度を決定するための話し合いをするらしい。数日はかかる見込みということで、ランテたちはそれまでラフェリーゼの首都・ラフェリの中で自由に過ごしてもらって構わないと伝えられていた。必要であれば護衛や案内人をつけようかと提案されたが、それについてはセトが断った。後で囁かれたが、こちらがどんな返事をしようと目付け役はつけられることが予測されるらしい。異国の人間を野放しにはしないだろうと言われたら、それはそうだとは思うものの、信頼されていないようで少々悲しかった。
——もちろん、オレにだって見られたくない記憶もたくさんあります。でも、平和のためにオレの記憶が必要なら渡します。ここにいる人たちを信じて渡します。きっとオレの見たものを見てくれたら、オレたちのことを信じてもらえるって、信じてます。
大事な親書と共に最後に渡した言葉が、誰かの胸に響いてくれていたらと願う。言葉通り信じてもいた。一人称がつい戻ってしまったことについては後から悔いたが、今更どうしようもないので諦めておく。
「ランテ、昼、食べないか?」
ノックの後、宿の部屋の扉の向こうからセトの声がした。与えられた部屋のベッドの上に転がっていたランテだったが、それを受けてぱっと立ち上がる。ちょうど空腹だった。
「うん」
返事をしてから扉を開く。セトは制服の上着を脱いでネクタイを取っていたので、ランテも倣うことにした。制服は疲れるし、汚したくもないし、それに見た目でどこかの組織の人間だと思われるのも良くないだろう。
「折角だし、外で探すか?」
言いながらセトは、手元にあった紙を静かにランテに見せた。
『人をつけるんじゃなくて、声を届ける闇呪で監視されてる。会話は聞かれていることを前提で』
導師たちのやり方が気に入らなくて、思わず眉を寄せてしまったが、ランテは頷いた。不審に思われないように、声の方にも返事する。
「うん。……あっ、でもお金が。あっちのお金って使える?」
「用意してるから大丈夫だ」
多忙だっただろうに、いつの間に、そしてどうやって用意したのか。資金のことなどランテは考えもしていなかった。及びもつかないことにどうすれば気づけるようになるか。これまでも考えたことだが、今回ようやく結論に至った。きっと、こういうできなかった経験から学ぶしかないのだ。世界が落ち着いたら、ランテはどの組織にどの形で収まるかまだ分からないが——世界の在り方も定まっていないのだ、当然だ――どのような役割が与えられたとしても、そこで力を発揮できるようにあらゆる能を身につけたい。幸い傍にすばらしい手本が大勢いるのだから。セトに礼を述べながら、ランテはそんなことを思っていた。
首都ラフェリは、華々しい。ゆっくりと歩いても最初に抱いた印象が覆ることはなかった。目にするもの一つ一つが、ランテの知っているものを一段階豪勢にしたように見える。例えば広場の噴水。ここにあるものはまず大きい上に、水の噴出口が幾つもあって、しかもそれぞれから水の他に色とりどりの花びらまで噴き出している。華麗さが大変増しているのに加えて芳しい香りまでするのに、通行人たちはそれがさも当たり前と言わんばかりに素通りしていくのだから驚きだ。
「これも呪かな?」
「水呪と緑呪……それに土呪も使ってるかもな、外枠を作るのに。テイトを連れてきてやりたかった」
「目の色を変えて研究しそう」
「呪のことが書いてある文献を探して買って行こう。こっちの技術を取り入れられたら、向こうの暮らしも良くなるだろうし」
セトは視線を上げて、立ち並ぶ高層の建物を仰いだ。
「元は同じ国でも、こうも変わるものなんだな。オレたちは戦うことにばかり気を取られていたんだなって思い知らされるよ。中央が黒獣を作ったり、聖戦に力を入れさせたりして、そう仕向けてきたんだろうけど」
「中央は……っていうかベイデルハルクは、兵を強くして、その兵でラフェリーゼを攻めるつもりだったのかな。実際元々白軍だった人たちはとても強いよ。例えばセトがもし王国騎士団に入ったら、近衛でも上から三番までには入ると思う」
「日常的に剣や呪を使うか否かって大きな差だろうしな。だけど、経験の差なんてすぐ埋まる」
「また謙遜してる」
「事実だって。お前自身の上達が、それを証明してるだろ?」
「そうかな……」
会話が途切れそうになったところで、ちょうど大きな案内板が現れた。どちらからともなくそこへ歩み寄る。ランテたちの他に観光客もそれなりの数訪れているらしく、数名がそれを見上げていた。街の全容が記されている。大きな街ゆえに情報量が多く、ランテは目を白黒させてしまったが、セトの方はもう概要を掴んだようだ。
「商業地区は街の中央部一帯だな。とりあえずそこを歩くか。時間があれば他も見よう」
「う、うん」
おそらくは計画的に整然と造られた街なのだろうし、多くの人にとっては歩きやすい街なのだろうが、はぐれると確実に迷う自信がランテにはあった。人通りも多いので、気をつけなければ。道の選択はセトに任せて、はぐれるなと自身に繰り返し言い聞かせながら、ランテは街を歩いた。
食事を摂り――手近な店に入ったのだが、出されたものはどれも贅沢さを感じるほどの出来だった——夕方頃まで街を歩いて、宿に戻る。夕食は宿で用意されているとのことだったし、勝手の分からない街を夜遅くまで歩くのもよくないという副長判断もあった。今回はラフェリーゼ一番の大きさを誇るという書店で数冊本を購入した以外には、ランテもセトも何も買わなかった。街には新鮮なものが多く、見ているだけで十分に楽しめたからだ。
宿の食事もたいそう美味しく、ラフェリーゼは食への
「こんばんは」
ランテたちが一階にあったレストランから個室に移動しようとしたところで、急に声を掛けられた。見れば、二人の着飾った若い女性が佇んでいる。
「導師ノベリ様から、大事なお客様のお世話を命じられております。何なりとお申し付けください」
二人揃って深く低頭してくるので、ランテは慌てた。
「あっ、その、大丈夫です! 特に困ってないです。だから、頭を上げてください」
ランテに言われて、おずおずと頭を上げた二人を観察する。どうもランテたちと似た年の頃と見えた。高級そうなワンピースを身にまとい、煌びやかなアクセサリーも耳や首元で輝かせている。
「そのような気遣いは無用だと、導師殿に伝えてください」
明らかに冷えた声で、セトが言った。一体どうしたのだろう。ランテと女性二人が一斉にたじろぐ。やや背の高い方の女性が、恐る恐るといった様子で受け答えする。
「……も、申し訳ありません。私どもが、何かご無礼を働いてしまったでしょうか」
「いえ。あなたがたに非はありませんが、導師殿の客人のもてなし方は……そうですね。不快だとお伝えしてください。伝えるまでもなく伝わっているでしょうけど」
あ、とランテは気づいた。セトがとても怒っている。静かな怒り方ではあったが、微妙に制御を外れた怒りが見えた気がしたのは、今しがた最後に一言添えられた言葉のせいだろう。彼は街の散策に出かける前、闇呪の盗聴に気づいていたことを知られないように筆談まで用いていたのに、今あっさりとそれを告げた。多分、感情が理を圧した結果だ。
「あ……はい、伝えます」
「では、我々はこれで。ランテ、行こう」
ランテの返事も待たずにセトは行ってしまう。残された女性たちを見ると、戸惑ったように顔を見合わせていた。しかし今はもう怯んだ様子もなければ、悲しんでいる様子もなかったので、ランテも軽く頭を下げてセトに続いた。背中に追いついてから、尋ねる。
「セト、どうしたの?」
「分からないならその方がいい」
「でも、分かりたい」
ランテが食い下がっても、セトはしばらく答えなかった。部屋のある十五階まで運んでくれる【水籠】に乗り込んでから——水を入れた筒の中に船上の籠を浮かべて、中の水を増減させることで籠に乗り込んだ人の上下の移送を可能にした乗り物だ。筒に備わった出入り口から水が漏れ出さないのは、どういう仕組みなのだろう——ようやく、口を開く。
「貴族流のもてなし方だよ。男の客人に一人ずつ女性をつける。『世話係』って、一応それなりに聞こえのいい名前をつけはするけど、与える役割は完全に期間限定の愛人だ」
少し長く息をついてから、言葉を続ける。
「嫌いでさ、そういうの。母親のこともあるから余計に。それで……言わなくていいことまで言ったな。朝のやり取りから予想はできたはずのことなのに。悪い」
事態を理解したら、不快と述べたセトと同じ気持ちになったので、ランテは首をぶんぶんと横に振った。謝られることでは、決してない。
「ううん。嫌なことを説明させてごめん。オレも、セトと一緒で不快だって思う。そんなもてなされ方で喜ぶと思ったのかって怒りたい」
心境を素直に述懐すると、セトは真顔で頷いてから、少しだけ笑った。
「同意してくれる人間は、そんなに多くないと思うんだよな。同行者がお前で良かったよ」
それから彼は再度真顔に戻って付け足す。
「ラフェリーゼも、理想郷ってわけじゃなさそうだな」
同じようなことを、ちょうどランテも考えていた。
「うん。こっち側だって、変えていかないと駄目なんだ」
【水籠】が上昇しきって、扉がするりと開く。途端に贅を尽くされた廊下が現れたが、今はそれも幾分くすんで見えた。
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