【Ⅲ】―3 値踏み

「【風籠】は初めてですか?」


 ランテがひたすら物珍しそうに窓の外を眺めていると、ノベリはやはり笑みを湛えながら問うてきた。


 現在ランテたちが乗っているのは、王都でも白女神統治区域でも見たことがない乗り物だった。柱と柱の間に丈夫な縄のようなものが渡されていて、そこに人が乗り込める箱形の乗り物が吊るされており、縄に沿ってそれが動くというものだ。


「すごく速いですね。風呪で動かしているんですか?」


「ええ。仕組み上風が強いときは使えませんし設置に巨費が必要ですから、こちらにも多くはありませんが、とても便利ですよ」


 笑みを浮かべ続ける案内人は、一見とても人懐こいように思える。が、例えば同じようによく笑うセトと比較した場合に彼の方が笑うのが上手いと感じるし、だからか、やはりどうにも油断ならないという印象を受ける。もっとも、わざとそう感じさせているのかもしれないが。


「ところで、共に乗っていた女についてですが」


 唐突に切り出されて、ランテだけでなく、それまで気配まで潜めたように静かだったセトもまた驚いたのが伝わってくる。何せ、メイラのことについては二人とも一切話題にしなかったのだ。ノベリがなぜ知っているのだろうか。


「連行しておりますが、悪しからず。彼女はラフェリーゼにとっての罪人でもありますから」


「彼女は闇呪によって昏睡状態です」


「早く目覚めてもらわないとなりませんね。戦地行き確定でしょうし」


 一息分、セトは意識的と思われる間を取った。


「こちらでは、罪人を戦地に送っているんですか」


「ええ。戦える重罪人には兵役を科すのが主ですね。ああ、もちろん職業軍人もいますよ。我々がそうであるように」


 こんなことを話していても、ノベリは微笑を継続している。ランテには今やその表情が不気味なものに映っていた。


「それにしても、どうして彼女を連れていることを話してくださらなかったんです? いえ、彼女がそちらで困ったことをしていただろうことは分かりますし、そちらの地を踏ませてしまったのはこちらの落ち度であることは理解していますとも。ですが、あなたも組織の重鎮であるならお分かりでしょう? 重罪人を野放しにしてはならない。基本的なことではないですか」


 随分喧嘩腰だ。セトに向けて言われた言葉だが、ランテの方が腹に据えかねた。物申そうと口を開くが、先に発声したのはセトの方だった。


「彼女がこちらでも重罪人だということは知りませんでした。しかし彼女の心理を考えると、こちらに害をなすとは思えませんが。彼女はこちらでどのような罪を犯したのでしょうか。それとも旧白女神統治区域へ渡ることそのものが、兵役に値するほどの重罪になるのですか?」


「ええ。無断で敵側の領地に侵入し、もし捕まりでもしたら、尋問等の果てに国にとって重要な機密を漏らしてしまうかもしれない。重罪ですよ」


 無表情だったセトは、ここで微かに口角を上げた。


「では、他の密航者や密売者なども連れて参った方が、貴国には歓迎していただけたかもしれませんね」


 組織を背負う者は簡単に頭を下げてはいけないということを、ランテは目覚めた王都で過ごして学んでいた。臣の一人がミゼに上奏していたのを聞いて知ったのだ。曰く、国の価値を卑しめることに繋がるから、とのことらしい。そのときランテは頷けなかったのだが――なぜなら、ミゼが皆に謝ったことが誤りだとは思わないからだ。彼女自身に責があるかは別としてだが――今回については、セトが易々と謝らない方に話を誘導したことは正解だと感じる。確かに、メイラのことを黙っていたのは良くなかったかもしれない。しかし、彼女に真に苦しめられてきたのは旧白女神統治区域の方だ。ラフェリーゼ側がメイラを逃がしてしまったから、彼女に与えられた被害に苦しむことになったとも言えるため、こちらだけが非を認めるわけにもいかなかったのだろう。


 ランテは緊張してノベリの様子を窺っていた。怒ったりしないだろうか。すると彼は、軽い笑い声を上げる。


「失礼。思っていたより上手な返答だったので驚きましたよ。今後和平の交渉をしていくことを念頭に置いて、私の論の露骨な弱点を酷く糾弾はしない。それでいて、密航者の取り締まり不足を示唆する牽制を含めた、重罪人引き渡しの恩売りは明確にしておく……意図はその辺りでしたか? それなりに圧もかけましたし、挑発もしたつもりですが、よく冷静に言葉を選ばれましたね」


「値踏みされることには慣れていますから」


「よろしければ、ご年齢を伺っても?」


「十九です」


「おっと、もう五つは年上だと思っていました。本当にお若い」


 ノベリの興味はひたすらセトに注がれている。その後も彼は長らく質問を連ねた。地位、そこに至るまでの経緯、激戦地への派遣経験の有無、新組織での役割と、無遠慮なほどに。それらに丁寧に答えながら、セトは要所で微笑みを返す。ランテなら質問一つで音を上げてしまいそうなくらい、張り詰めたやり取りが続けられた。


 やがて満足したのか、風籠の行く先に大きな街が見えてきた頃になって——黒獣が出ないからだろう、柵も防壁もない街らしい街だ——質問の波状攻撃は終わる。


「良いでしょう」


 唐突にそう言って、ノベリは頷いた。


「これまでのご無礼をお許しください。私はあなたを都に導く前に、今回の白軍側の……いえ、旧白軍側と言うべきですね。そちらがどれほど本気で和平を考えているのか、はかる必要がありました。私はどれほどの人材を送り込んで来たのか確かめることでそれが分かると考えましたもので、様々に揺さぶりましたが、どうか気を悪くしないでください。あなたがあまりに若かったもので、余分に試した部分もあります」


「それを話してくださる程度には評価していただけた、と受け取ります。ありがとうございます」


 年齢のことで必要以上に上から来られてしまった部分あるだろうが、それでも気の長いセトでなければ頭に血が上ってしまっていたかもしれない。短気だと自分では思わないランテでも、多少という範疇を上回るほどに苛立っていたのだから。交渉役としては彼が適役だと、傍から見ていて感じる。


「ええ。少なくともあなたは本気でいらしてくださったのでしょう。こちらはそういう理解をしました。それに、組織側もある程度はこちらを信頼していることも分かります。あなたがいらっしゃるのを止めなかったという点において、ですね。地位もそうですが、何よりあなたは貴重な癒し手だ。例えばあなたを捕らえて牢に入れ、脅して兵の治療をさせるだけでも、こちらには大きな利用価値があります。何せ【神光】のなかったラフェリーゼ内には、現在癒し手が二人しかいませんからね。それも、長らく遺伝で力を受け継いできたために、微弱な治癒力しか持ちません」


「……遺伝で」


 思わずと言った風にセトが反芻すると、ノベリは頷いた。


「あなたも遺伝ですね。ですが、分かります。あなたはあちら側でも指折りの優れた癒し手、そうでしょう? 呪力読みには長けておりますもので。他に風呪も使われて、こちらも練度が高い。光呪の方は……適性はありますが、普段使ってはいらっしゃらないようですね」


 嫌味なように見えていたノベリの笑みは、今は幾分毒気が抜けたように見える。どこがどう違うのかと言われたらランテには判別できないのだが、やはり先程までの笑い方はあえてそう見えるように作られたものだったのだろう。話している内容については、無遠慮というか、無礼さが残るように思われるのだが——勝手に相手の能力を量るのは、失礼ではないだろうか——セトに気にした様子はなかった。


「巧拙についてはさておき、使う呪については仰る通りです。あちらでは癒し手が子を持つことは禁じられていますが、こちらではそうではないのですね」


「ええ。癒しの呪の継承手段が遺伝のみですから、むしろ子を持つことが推奨されています。それも、強く。強制と言ってもいいほどかもしれません。……脅すわけではありませんが、あなたはそれほど癒し手を求める地に、自ら足を踏み入れたということをお忘れなく」


 セトはただ黙ってその言葉を受け入れた。表情は変えなかったが、良い思いをしていないだろうことは想像できる。何か言わなければとあたふたしていたランテだったが、ノベリの視線は自然とこちらにやってきた。


「癒し手の要人を寄越しただけでなく、あなたを寄越したこともですね、ランテ殿」


「オレですか?」


「ええ。あなたに特別な力があることはよく分かりますよ。不思議な力だ。貴重さで言えばむしろ、あなたの方が上でしょう」


 質問の形にはなっていなかったが、質問をされたと感じた。話して良いものだろうか。悩んでセトを見る。頷いてくれたので、ランテは正直に全てを話すことにした。二度死んだらしいこと、始まりの女神が中にいること、そして始まりの王と同じ種類の呪力を持つこと、それゆえに失われたはずの時呪が使えること。話し下手のランテだが、同じことを何度か話すうちに上達してきたような気がする。それほど長い時間はかからなかった。


「なるほど。やはりとても特別な方ですね。そんな方を送り込んできたのですから、やはり旧白軍組織側も案外本気なのかもしれません。時呪……時呪ですか。こちらでも伝承がわずかに残っているだけで、技術としては失われてしまったものです。復元できたとしたら、どれほど」


 ノベリの双眸が輝いたのを、ランテは見た。テイトが呪の話をしているときの目とそっくりだ。だが、彼の場合にはそこに危険性を感じた。後ろを振り返ることなくどこまでもその道を進んで行ってしまいそうな、そういう危ういひたむきさがあるのだ。


「始まりの王は、時呪は使いすぎない方がいいって言ってました。オレもそう思います」


「使い方次第ではないですか? 時呪だけでなく、全ての技術が抱える問題ですよ。呪を人の世の発展に使っているラフェリーゼの姿をご覧いただければ、お気持ちも変わるかもしれません。これから街に入りますから、ぜひゆっくり閲してください」


 急いで止めに入ったランテを、ノベリは自信に満ちた表情で受け流した。視線を追いかければ、もう街は眼前に広がっている。


「そしてもう一つ、今までの会話は全て闇呪によって首都に坐す他の【導師】たちにも伝わっています。ご承知を」


 これからは時呪について話すのは慎重になった方がよいかもしれない。そう考えたランテに、その配慮はもう手遅れだとノベリの言は告げる。心の内に寒さを覚えるランテをよそに、風籠は音もなく大都市に滑り込んでいった。

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