【Ⅲ】—2 多難
眠ると、始まりの王の夢を見た。女神が彼の剣技を伝授するつもりで見せてくれているのだろう。誰かと演習でもしているらしく、木製の剣を打ち合っている。間違いなく達人の技だということは分かるのだが、どう優れているのかランテには分からない。剣の迷いのなさに見惚れているだけで、夢は終わってしまった。
目覚めると、ちょうどセトが船室を後にするところだった。身体を起こしたランテを発見して、セトが挨拶をくれる。
「おはよう。起こしたか?」
「ううん、今自然に起きたと思う。……あれ?」
身支度を終えたセトは、白軍制服を
「新しい制服にしないの?」
セトは開けていた扉を一度閉めて、ランテに向き直る。
「立場の差は明確にしておいた方がいいと思ってさ」
「立場の差?」
「お前は王国代表、オレは旧白軍代表。役割分担だ」
どう返そうかランテはしばし悩んだ。今回ランテたちが担う役目はとても大きなものだ。ラフェリーゼとどう交渉するかは今後の命運を左右すると言っても過言ではないわけで、それゆえ失敗は許されない。当然セトもそれを理解した上で、色々と勘案して決めたのだろう。駆け引き上手の支部副長の判断を信頼はしているが、疑問は残しておきたくなかったので、やはりランテは尋ねることにする。
「白軍の制服を着て行ったら、恨みとかをぶつけられたりしないかな?」
「だとしても、けじめは必要だろうしな」
組織の中身が変わりました、だからこれまでのことは知りません。そんな言い分は通らないだろう。セトはそう言った。
「ある程度、こっち側の責は認める姿勢を取らないとな」
「……それがいいのかな」
「だと思う。だからこれは、お前が」
セトが取り出したのは、ミゼが
「なくすなよ?」
「う、うん」
受け取ると、指の先から伝わるように緊張が全身へ広がった。絶対になくせない。大事に大事に懐にしまう。
「ランテ、甲板で少し身体を動かしておかないか? あっちに行ってから、剣を振り回すわけにもいかないだろ。あんまり触らないと鈍るから」
「オレは大丈夫だけど、セトは……身体は平気?」
「少しずつ良くなってる」
心配ではあったが、始まりの王の剣技のことで誰かに相談したいところではあったから、ランテはそれ以上何も言わずセトに続いて甲板に出ることにした。今しがた日が昇ったところらしく、薄い青の空が広がっている。その空の下で、軽い手合わせを三度ほど行った。軽く身体を動かしたことで良い気分転換になった。そして、セトとの手合わせは珍しいことではないのだが、今回初めて抱いた感想があってつい言う。
「セト、ちょっと守りが厚くなった?」
「少し意識してる」
「うん、いいと思う!」
ユウラが戻ってからのセトの変化は劇的なほどだ。鈍いという自覚があるランテにも察知できるくらいなのだから。
「お前もだよな」
セトの声に顔を上げる。ランテは驚いていた。
「あ、何か変わってる?」
「無自覚か?」
「その、実は」
ここで初めて、ランテは始まりの女神と和解できたこと、そして始まりの王の剣技を教えてもらっていることを伝えた。直接女神の記憶で王の剣術を見せてもらっているのに、全く何も掴めないでいることも併せて。何をどうしたらよいのか分からない状態に陥っているので、剣の振り方に悩んでいるのだ。セトは一つ頷く。
「試行錯誤の剣だった」
「うん、でも闇雲になってて」
それを聞いて、セトは剣を鞘に戻してランテに向き直った。
「ランテ、支部長の剣を見たときどう思った?」
「えっと……もちろん、とても上手いなって思ったよ。特に見切り? がすごいなって」
「なら、ユウラ、デリヤ、それからオレの剣の特徴は?」
「皆上手い。ユウラは丁寧に守るし、デリヤは綺麗に剣を振るし、セトは本当に速い」
セトはもう一度頷きを寄越した。
「得意と苦手が反映された剣にこそ、特徴は生まれる。特徴が出るのは偏りがあるからだ、ランテ。なら逆は?」
はっと、息を呑んでいた。
「オレが始まりの王の剣技を掴めないのは特徴が見つからないからで、特徴が見つからないのは、偏りがないから……全部が得意だから?」
「そう思う」
セトはもっと部分的に王の剣技に注目し、一つずつ学んでいくのがよいと助言してくれた。そういう指針があれば、何かを学び取れそうな気がしてくる。一気に前向きになれた。
「ありがとうセト。やってみる」
「ああ。オレも、お前を通して王の剣技を学べたらって思ってる」
「セトの方が先に上達しそう」
「剣の才はお前の方があるって」
そういう話をしていると、いつの間にか船の行き先に陸の姿が見え始めていた。
「いよいよだな」
掛けられた声に頷いて、ランテは指を折り込んでいた。王国の気風を残した、隔てられた国。どのような人が住み、どのような街があるのだろう。そして人々はどんな言葉なら心を動かしてくれるだろう。高揚があった。同じくらいの不安があった。相反する二つの感情を抱えて落ち着かないような心中の自分を、同じ志を持つ人が隣にいてくれて、確かに支えてくれている。自分の方も同じように支えられているだろうか。そうありたいと、少しずつ近づいて来る目的地を見つめながら、ランテは願った。
船が停泊する。剣は船室に置いて行くことにする。身軽になって港に降り立った途端、視界に飛び込んで来た景色に圧倒されて、ランテはしばらく身動きが取れなくなった。
「すごい……」
感嘆の声を一つ零したきり、言葉も出てこなくなってしまう。それほどに、目の前に展開された街の姿は衝撃的だった。
発展、という単語がまず浮かぶ。最も印象的なのは建物の高さだ。王都でも白都でも、これほど高い建物は見たことがない。王城ですら、あれらよりは低かったと思う。しかもそれが群を成すように連なっている。一体何階まであるのだろう。十は優に超えていそうだ。それに人の数も多い気がする。行事のあるときの王都並みの人が、店が立ち並ぶ筋を歩んでいた。それを許す道幅にも驚く。人が通るところと馬車などの乗り物が通るところが分けられていて、それぞれがとても広い上に、その間には植え込みがあって視覚にも美しい。
「初めまして、使者の方々」
良く通る声が、ランテの視線を引き寄せる。列をなしていた人々の中でただ一人進み出て来た男性が、そう述べながら胸に手を当てて腰を折った。肩まで伸ばした藍色の髪が特徴的だ。若く見えるが、ランテたちよりは幾分年上だろう。身に着けている制服が一段豪華に見えるので、立場のある人と思しい。
「ノベリと申します。首都におります【導師】らのもとまで私がご案内します」
「初めまして。白軍の代表として参りました、セトと申します。港まで出迎えていただき、ありがとうございます。お世話になります。よろしくお願い致します」
セトも同じように丁寧に礼を返した。ランテも慌てて倣う。
「あ、ランテです。王国の代表です。よろしくお願いします」
整えられた笑顔を作り、ノベリはランテとセトを見つめる。輪郭を含め顔を構成するパーツの全てが小作りで控えめな気質に見えるのだが、どこか油断ならないという印象を受ける。微笑んでいてもだ。
「お二人だけですか? それに、お若い」
ノベリは相変わらず微笑んでいる。それなのに少なからず不愉快だと感じているらしいことが伝わってくるのは、どうしてだろう。
「船員以外は、二人です。こちらのことは分かりかねますが、あちらでは立場に年齢は関係ありません。そしてランテが選ばれたのは、ミゼリローザ姫と最も親しい間柄であり、名代として誰よりも信頼されているからです」
セトの方も笑みを刷いてすぐに応じる。ランテの分も合わせて返事してくれたのは、ランテがこういうやりとりを得意としていないことを知ってくれているからだろう。実際、ランテは答えに窮していたので助かった。慣れもあるのだろうが、ランテと年の近い彼が、こうして年上相手に一歩も譲らない応対ができることに毎度感心する。
「なるほど、確かに聡明そうな方ですね。そちらも停戦に本気になってくださったのなら、何よりですよ」
なおも笑顔のまま、ノベリはもう一言、添える。
「もたもたしている間に失われた命は、戻りませんけどね」
返事は求めていなかったらしく、彼は言葉が終わらないうちからランテたちに背を向けた。乗り物を用意していますから、と伝えて先導を始める。
前途は多難かもしれない。ランテは不安に耐えきれなくなって、そっとセトに視線を送った。彼はすぐにそれに気づいて、目だけで苦笑する。ランテを安心させるためだったかもしれないが、セトが今それだけの余裕を持っていることがとても心強かった。
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