【Ⅲ】—1 船上

 目覚めた途端、セトと視線が合った。


「ランテ……大丈夫か?」


 心配顔で尋ねられたので、慌てて身体を起こしながら頷いた。


「あっ、うん、大丈夫! ごめん心配させて!」


 元気をアピールするために感嘆符がつくような勢いで返事をすると、セトは緊張の糸が解けたようにゆるりと笑んだ。


「良かった。お前、半日も起きないから」


「半日!?」


 驚いて周りを見渡すと、ランテは見知らぬ場所にいた。一面木張りの部屋にいる。じっくり観察していると、少し揺れているらしいことにも気づいた。


「船?」


「ああ。お前が起きないのは闇呪によるものだったし……オレにはどうにもできなかったから、知識の得やすいあっちに渡ってからの方がいいと思って、予定通り出航したんだよ。ちょうど風番が終わって様子を見に来たときにお前が起きた。目覚められて良かったよ、ほんとに」


 ここまで言い終えて、セトは一息ついた。心労をかけたのが申し訳ない。


「ごめん」


「いや、お陰でオレも懲りた」


「ああ……」


 ランテが意趣返しのように、「今度はオレの番」だなんて言ったからだろう。懲りてくれたのなら、それ自体は歓迎されるべきことのように思えたので、少々反応に困ってしまう。


「助けられたのはオレの方なんだし、お前が謝ることじゃない。ありがとな」


「ううん。セトも無事で良かった」


「もう何ともないか?」


「うん。オレは大丈夫。そうだ、メイラさんは?」


 セトは瞳の色を微かに暗くする。


「お前と同じ昏睡状態だった。隣の船室に寝かせてる。北の管轄なら兵に任せたんだが、ピッサは東の管轄地だしな。処断になったら、余計に遺恨が深くなる」


「……うん」


「煽ったオレが招いた事態と言えるし、お前まで巻き添えにして、悪かった」


 セトはユウラが戻ってきてからとても前向きになったが、こういうあらゆる反省がまず自分に向く気質は変わらない。


「ううん、セトの判断は間違っていなかったと思う。メイラさんを連れてラフェリーゼに行くことも含めて」


「だといいけど」


 一応のところは、強制送還ということになるのだろうか。彼女をあのまま残しておくと、目覚めた場合はまた暴れかねないし、目覚められなかった場合は意識のない若い女性を置き去りにすることになってしまって、別の危険が生じてしまう。だからやはり、こうすることが一番だとランテは思った。メイラが目覚めた場合は海上での危険が予測されるにせよ。


「何で一人でいたんだろうな」


 セトの疑問は、ランテも今浮かべたものと同じだった。


「分からない……前に会ったときは、イッチェもいたし、その他にもたくさんいたみたいだった」


「本気でオレたちを潰すつもりなら、大勢で来てるはずだし……問答していても、徹しきれていない感じは受けたよな」


「うん。多分だけど、メイラさんも自分の気持ちが分からなかったんじゃないかって。だからオレたちと会って、確かめたかったんじゃないかな」


 何となく、ランテは女神とメイラに似たところを見出したような気がしていた。一度始めてしまったものを止めかねて、ひた走ってしまったような印象を双方から受けるのだ。女神とは分かり合えたから、メイラとも分かり合えるだろうか。そう信じたい。


 話が一度終わったので、ランテはベッドから降りた。敵に悟られないよう大分大回りをする予定だが、それでも航海は一日で済んで、明日の朝には大陸東側の港に着くことになっている。半日と言うと、今は夜の入りくらいだろうか。少し経てば眠る時間になりそうだが、身体はたっぷり休んだ後のようにすっきりしている。


「何か、寝てたみたいな感じかも?」


「身体に大事がないなら、外に出てみるか? 船なんてそう乗らないだろ」


「うん、行ってみる」


 セトに促されて、ランテは船室を出た。甲板へ続く扉を開けると、赤い光が溢れ出してくる。ちょうど夕方らしい。


「夜になる前で良かった。視界が悪くなるしな」


「セトは船にはよく乗るの?」


「よくってほどじゃない。確か……七回目だな。ワグレが無事だった頃は、ワグレからの船移動も結構あってさ」


「あ、だからピッサのこともよく知ってたんだ」


「ああ」


 話しながら甲板に出て海を臨んだ。涼やかな潮風が吹きつけてくる。朱に染まった海を割るようにして、風を一杯に受けた帆船は進み続けていた。


「速いなあ。呪で動かしてるの?」


「水呪使いの波番と、風呪使いの風番がいて、それぞれ波風を操って進んでる。海上には黒獣も出ないから無法者に遭遇しなきゃ安全だし、利用者もそこそこいる。金はかかるけどな」


「へえ……」


 ちょうど陸地からは一番離れている頃だろう。どこを見ても海と空ばかりで不思議な景色だった。地平線を見つめているとふと思い至って、尋ねてみる。


「海の向こうって、どうなってるんだろう」


 セトは進行方向に向かって左側を——おそらくは北側を——見遣って答える。


「確かめようとした船乗りは何人もいたけど、陸から三日ほど離れたところで進めなくなるらしいんだ。その先にも海や空は見えているのに。今思えば、そこが創られた世界の果てなんだろうな。だから、どこにも続いていない……っていうのが答えになる」


「そっか……」


 初めて、ランテは世界が創られていることへの寂しさを感じた。少しばかり、籠の中で生きているような気分になってしまったのだ。王国時代、船での移動がほとんどなかったのは、陸路でも安全だからという理由もあっただろうが、世界の限界を民たちに知らせないためだったのかもしれない。


 しかし、こうも思う。どんな世界にだってきっと果てはあるものだ。受け入れなければならない不満もある。


 視線をセトに戻すと、彼は地平線の方を向きつつも何か別のところを見ているような目をしていた。何となく、考えていることは分かる気がする。


「皆のこと、心配してる?」


 セトは浅く頷いた。


「身体が二つ欲しいな」


 本当なら、セトは祠の防衛に行きたかったのだろう。それはランテにも分かる。皆が行くまでに王都から戻れず、見送りができなかったのも心残りだった。


「うん、オレも」


「信じてはいるけど、敵が敵だしさ」


「うん」


 返事をまずしてから、一呼吸置いてランテは続けた。


「珍しいなって今思った」


「何がだ?」


「セトが、そういうことを素直に答えてくれるのが?」


 セトは、これまで本人が『言ってもどうしようもないこと』に分類することを言わない傾向にあった。それはつまり話し合っても具体的な解決が見込めないもののことで、今の不安の共有は、これまでであればそれに相当していたように思うのだ。


「そんなに言ってなかったか?」


「うん。言ってくれると嬉しいんだって、オレ、今初めて思ったし」


 振り返るためか、セトはしばらく考えて、「お前にはそんなに言ってなかったつもりはないけど」と応じた。には、の音が耳に引っかかったので、そこだけ反芻するとセトは押し黙る。ランテはぴんと来た。


「あ、ユウラのことだ。あえて言わないようにしてたんだ」


「……あいつ鋭いし、心配性だからな」


 観念したように肯定して、彼は苦笑を添える。困っていそうだったから、ランテはもっとこの話がしたくなった。


「心配させたくなかったから?」


「まあ、そうだな」


「ユウラだけ?」


「だけって言うか、特に」


「どう違うの?」


「さっきも言ったように、性格の問題で」


 ランテの表情に気づいたセトが、ここで言葉を止めて返事を言い換える。


「何でそんなに楽しそうなんだよ」


「分からないけど、楽しい。思うんだけど、セトとデリヤって結構似てるかも」


「飲める酒の量以外に似てるところなんて、そうないと思うけどな」


「実は押しに弱いところとか」


「ああ……やけに食い下がると思ったら、デリヤに鍛えられたのか」


 納得したように述べた後、セトは笑んだ。「あいつも苦労しただろうな」という声が続く。


「セト、世界が変わるなら、セトの身体のこともきっと解決するよ」


 思い切って、ランテは言った。今だと思ったゆえに。セトは少々間を取った後に返事する。とても穏やかな顔をしていた。


「……長く生きてみたいって、思うようになってきたんだよ」


「ほんと!?」


 セトの声に被るほどの勢いでランテが反応すると、笑み直して続けてくれる。


「世界が変わっていく瞬間を見届けたいというか、何らかの形で寄与できたらって思いがある、のと」


 一度切って、彼は言葉を丁寧に選んだ。


「単純に、命が惜しくなった……気がしてる」


「セト……」


 ランテは、自身の胸に優しい温度が溢れていくのを感じていた。とてもとても、嬉しい言葉だ。皆にも聞かせたいと思う。


「それに、もうオレだけの問題でもないだろ? お前も、それからミゼもだ。この世界の人間全員だって、似たようなものとも言えるしさ。だから」


 海を見つめていた視線が、ランテに戻って来る。


「変えないとな」


 ランテも顔を正面に向けて、深い頷きの後に応えた。


「うん、変えよう」


 その後は、すっかり暗くなってしまうまで、二人で世界をどのように変えたいかを語らった。黒獣のいない世界になれば、外壁のない街にできるだろうか。戦争が終われば、多くの人が武器を持つ時代も終わるだろうか。諸々の問題が片づいたら、今度はもっと落ち着いて酒の席が作れるだろうか——


 まだ実現の目途は立たない仮定の話ばかりではあったが、話していると朧げだった希望に形が生まれてくるようで、とても楽しい時間になった。

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