【Ⅱ】—3 閃き

 一面が闇の世界に、ランテはたたずんでいた。ここはどこだろう。メイラの闇呪に包まれたところまでの記憶は確認できた。ランテが今こうなってしまっているのは、きっとあの呪のせいだ。


 とにかく、一応は無事でよかったと思うことにする。しかし女神が助けてくれなかったことに関しては残念だった。どうにも気まぐれな女神様だ。これに懲りて、頼りにするのはよしておいた方がいいかもしれない。


 セトは心配してくれているだろう。早く戻らなければと思うが、この状況をどうしたものか。ひとまずランテは【蛍光】を使って周囲を照らそうとした。が、小さな光ではろくに照らせなかったので、今度は【閃光】を放ってみる。悲しいことに、眩しい思いをしただけで新発見はなかった。


 ——闇呪は高位のものになればなるほど、人の心に干渉する呪が多いわ。


 以前ミゼが言っていたことを、ランテはここで思い出した。それならばここはランテの精神の中だったりするのかもしれない。となると、ランテの身体は今どうなっているのか。疑問を浮かべはしても、手掛かりは何もなく、解決は見込めそうになかった。そう結論付けた以上は考え込んでいても仕方がないので、まずは歩いてみることにする。自分が現在歩いていることが実感できるので、本当に精神の中かどうかは不明だ。歩いても歩いても景色は闇色ばかりだから、精神の中と言われたらそれはそれで納得できるような気もする。


 ——渡せ。


 いくらか歩いたところで、ふいに内側から声が響いて来たので、ランテは大変驚いた。頭に直接入ってくるようなこの声は、分かる、女神の声だ。


「渡せって、何を?」


 ——我が王に。


 答えになっていない答えが届いた刹那、ランテの脳内で、誰かの——おそらくは女神の——記憶が蘇った。それらは全て始まりの王に関する記憶であり、彼だけが意志を持って動き始めたときのこと、卓越した剣術と時呪の操作能力を露わにしたときのこと、優れた弁舌と行動、人柄で人心を隈なく集めたときのこと——まるで始まりの王の無二の偉大さをランテに見せつけるかのような場面の数々だった。


 ——世界は我が王を求めている。


 そうかもしれない。そうかもしれないが、ランテは頷けなかった。だから言う。


「我が王って、何だ?」


 どこを向いて言ってよいのか分からないので、ランテは頭上を仰ぐ。女神の言葉のうち、たった一語がランテを強く刺激したのだ。『我が』という部分が。


「わっ」


 突然身体が動いて、勝手に声が漏れた。女神はランテの身体を無断で操作して、剣を引き抜き、構えを取らせた。始めは上下への一閃。次は横薙ぎ。身体を返しての切り上げ。そして、突き。基本の型だけなのに、ランテにだって理解できた。これは達人の技だ。始まりの王の剣技だ。


「始まりの王はこんなにすごかった。だから、始まりの王に身体を渡せって言いたいの?」


 ——そうだ。


「なんでそれ、オレがオレのまま、レイサムバードさんの力を譲り受けるんじゃ駄目なの?」


 もちろん、女神の考えが理解できないわけではない。始まりの王は、女神の記憶を見る限り、言い伝えられているように本当に秀でた、いや、そんな言葉では足りないくらいの傑物だったのだろう。今の剣術一つを取っても、ランテの知る限り最も達人に近かったクレイドをも——本当は奴に対し、そのような評価を下したくはないが——大きく凌ぐと分かる。それに加えて、王には時呪がある。今ランテができるようになっている、小さなものの時を少しだけ遡らせることとは比べものにならないくらいのことが、王にならできるはずだ。そして人望だって、フィレネの様子を見るに——おそらく彼女が最初に遭ったのは、始まりの王に近い方のランテだ——圧倒的なのだろう。人にも自分にも厳しい彼女を、ほとんど心酔させるくらいだったらしいから。


 ベイデルハルクと対峙し、最終的には奴を敗北させなければならない今、始まりの王の能力がどれほど求められているかは分かっている。そしてランテが王の力を譲り受けるのならば、王がそのまま存在することと比較してかなり劣ってしまうことも想像がつく。だが、ランテがいなくなったら、ミゼはどうなってしまうだろう。誓いが果たせなくなってしまったら、彼女は消滅してしまうかもしれない。そうなると、それもまた世界の危機だ。そもそもランテがそんなことを認められない。もちろんランテ自身だって、今存在できていることに大きな喜びを感じているのだ。我儘が許されるのならば、まだまだ生きていたい。


 ——そなたと我が王が並び立てるとでも?


「だから、我が王って絶対おかしい」


 ランテは臆さずに抗議の声を上げる。女神がすぐに答えないのをよいことに、ランテはどんどん言葉を継ぎ足していった。


「始まりの王って本当にすごい人だったけど、人間だったはずだ。もう千七百年も前に亡くなっていて、だからここにはいない。女神様は、自分の中のレイサムバードさんの記憶を繋ぎ合わせたものを作ろうとしてるだけなんじゃないか? だから『我が王』なんだ」


 ——それでよい。


「え?」


 ——それでよいのだ。


 女神はいつでも言葉不足だ。話すより頭の中に直接映像を流し込む方が得意なのか、今回もそうしてくる。


 映像の中で、女神はランテを始まりの王らしき人型へと作り変えた。切ないような気持ちになったのは、その人型に顔がなかったせいだ。きっと女神はもう、始まりの王の姿を思い出せないのだろう。


 王と思しき人型はまず、世界の時を残らず止めた。それによって戦いは止まり、誓う者だけが——つまりミゼとベイデルハルク、クレイドを始めとする数人だけが動ける状態が出来上がる。その数人で再び戦いは始まったが、人型の扱う時呪の力は絶大で、ベイデルハルクの動きをも制限した。戦いは人型側の勝利で終わり、その後も彼は時呪を駆使して人々をまとめ上げていく。


 これが全て叶うなら、確かに願ってもないことだ。しかし——


「でも、できなかった」


 口まで上って来た言葉を、ランテはそのまま外に出した。


「女神様は、最初、多分そうしようとしたんでしょ? オレがフィレネ副長に会ったときは、近いことができていたのかも。でも外見はオレのままだったし、中に作った王様の方も長くはもたなかった。それからもオレの記憶が時々飛ぶことがあったのは、女神様がオレを操ったり、オレを始まりの王にしようとしたりしたから? でも、やっぱりできなかったんだ。女神様、何度も言うけど、始まりの王はもういないんだよ。呪力には似た部分があるかもしれないけど、オレはランテで、始まりの王にはなれない」


 女神は僅かな間沈黙したが、まだ折れない。


 ——そなたが譲れば、叶うやもしれぬ。


「オレは望まないよ」


 反射するように言い返したランテの胸の辺りが、急に温かくなった。何だろうとそこに触れたところで異物感に気づく。そうだ、ここには小瓶を入れていた。始まりの王の遺灰の小瓶。


 王からの言葉はもうない。しかし、灰が温かくなったのはランテの言葉の直後だったから、励まされたか支持されたかだとランテは解釈した。いや、それとももっと他に意味があるのか?


 脳が弾けたと思うほどの閃きがあったのは、そのときだった。


「なんで始まりの王は灰になったんだ?」


 懐の小瓶を、服の上から握り締める。小瓶はまだ日差しのような温かさを放っている。


「どうして始まりの王は誓わなかった? どうして死を受け入れたんだろう。女神様なら知っているはずだ」


 ランテの言葉を契機にして、新しい映像が怒涛のように流れ込んで来た。

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