【Ⅱ】—2 次は

「そもそも、あなたの復讐は理性的過ぎる」


 メイラの表情が険しくなっていく。今やランテの方がセトの言葉に冷や冷やしていた。だが、分かっていた。セトは無意識に他人を怒らせてしまうランテとは違う。何か思惑があるに決まっているのだ。だからランテは、とにかくこの話の行く末を見守ることにした。


「何だと?」


「ラフェリーゼからの使者を殺害したのは、当時の激戦地担当の聖者でした。ですがあなた方は彼女を目標にしなかった。仇と言えば一番に名前が挙がるのは、その聖者であるはずなのに。また、西から北へという攻め方の順番についてもですね。狙ったのは本部でも激戦地でもなく、元々守備の甘い街や復興中の街。やり方も、支部に総力戦を挑むものではありません」


「私が命を惜しむゆえにそうしたと言いたいのか」


 メイラはついに凄むような言い方になったが、ここでもセトは躊躇ためらわなかった。


「ええ。あなたが惜しんでいるのは自分の命というより、志を共にする者たちの命でしょうけど。何にせよ、あなたはもう復讐者ではなくて指揮官だ。ですから分かるはずです。どの選択を取るのが正しくて、間違いか」


 皆まで聞き終えて、復讐者は——さっき話されたように、今となっては元がつくのかもしれない——唇を血が滲むほどに強く噛んだ。しかし、揺れる瞳が一点を見据えるようになるまで、長くはかからない。


「違う。私は……私は、お前たちが憎くて堪らない。憎いのは白の民全てだ。お前たちがいるから悲劇は起こり続けている。私は逃げてなどいない。犠牲を恐れてもいない。白の民を残らず……いずれ元凶だって、この手で殺してみせる!」


 言葉をぶつけるように言い放ったメイラが、右腕を鋭く頭上に掲げた。ランテやセトの立つ場所まで飲み込む紋章が浮かび上がってすぐ、そこから闇が零れ始める。背筋を駆け上がるような悪寒がした。おそらくは、上級紋章呪——


「ランテ、しのごう。いけるか?」


「でも、これ上級紋章呪じゃ——」


「呪力が乱れてる。それほどの威力はない」


 言いながらセトも、自身の足元に紋章を広げた。


「ほらな」


 本来、紋章の上に紋章を重ねることはできない。以前ハリアルが使った超越の呪のような、この世の道理から半ば外れているようなものならばともかく——あれは確か白女神の紋章呪の上から重ねて使用されていた——紋章呪は刻んだ紋の内の呪力を完全に支配して使う呪文ゆえに、力量で勝る者が後から紋を重ねて先に呪文を使った者を妨げることはできると聞いたことはあるが、その逆はできないはずだ。しかし今回は、力量で勝るのはメイラだが集中で勝るのがセトなので、それができているのだろう。


 セトが広げている紋を見る。初めて見る紋だが正体が分かった。テイトの教えはランテの中に活きている。


「セト、これ【風花】?」


「よく分かったな。出が遅い上に動けなくなるから普段はあまり使わないんだけど、強度はまあまあ」


 出が遅いと言っていたが、セトはこれでも不満なのだろうか、中級紋章呪とは思えない発動の速さだ。ふわりと生まれた雪混じりの風がすぐにランテとセトを包み込む。防御呪だが、効果が切れる間際に周囲に強い風を走らせる攻撃呪の側面も持つ呪だと習った。今しがたセトが言ったように、紋の外に出ると効果を失う防御呪だから、ランテたちはここに留まってメイラの呪を防ぐことになりそうだ。


「多分、全力の呪を受け切らないと納得しない」


 セトの見立てに頷いた。セトには【疾風】、ランテには【光速】があるから、逃げるという選択もできる。しかしメイラは納得しない限りランテたちを追いかけてくるだろう。街から出られない以上、ランテたちに逃げ場などないようなものだ。


「……防ぎ切れはしないな。七割相殺するから、残り頼めるか?」


「うん、オレは光呪だし多分いけると思う」


 闇呪に相性が最もよいのは光呪だ。


「ああ」


 セトはどこまでも冷静だったが、メイラの精神状態は不安定とはいえ、二段階上の上級紋章呪、やはり全てを受け切ることはできない。揺らめき始めた風の守りを二人で見つめる。荒ぶる闇は、次々太い鞭を叩きつけるように襲い掛かっている。何の呪であるかは分からなかったが、強力な呪であることは疑いようがない。


 先程も今も、セトが先に防御呪を張ってくれたので、ランテは落ち着いて準備ができた。丁寧に編み上げた呪力で自分とセトとを覆う。光の膜は以前よりはっきり視認できるようになっているし、女神の力も邪魔はしてこなかったので、己の成長を実感できた。


 【風花】が破られる。花が開くように四方に風が走った後、それを乗り越えて来た闇をランテの【加護】で受け止める。上級紋章呪を受けている実感は薄い。耐えられるだろう。そう思ったとき——


「あああああ!」


 メイラの絶叫が聞こえて来た。途端、負荷が倍に——いや、それ以上に増大する。光の膜がたわむ、軋む。


「ランテ!」


 光の膜が多少持ち直す。セトが補助の呪で手を貸してくれたのだ。が、ランテには分かる。元がランテの呪である以上、どんなにセトが力を貸してくれてもこれは耐えられない。メイラはランテたちの防御呪を破るために、自らの呪の制御を失うほどに呪力をつぎ込み、暴走させたのだ。そんなことをしたら、自分自身だってどうなるか分からないのに。


「ごめん、セト、駄目だ!」


「突破されたらお前は【光速】で退避」


 短い指示が来る。セトが呪の準備をしているのが分かる。おそらく【無風】だ。ランテが【光速】を使うための時間を稼ぐつもりだ。けれども、補助の呪を使いながら上級呪の支度、行使となると、幾らセトでも手一杯のはずだ。即座に【疾風】を使う余裕など見込めないに違いない。そしてランテの【光速】で二人を連れて範囲外に逃れるには、【無風】の効果時間は短すぎる。ならば——


 よく考える時間なんてなかった。だから【加護】が砕けて、セトが【無風】で猶予を作ってくれているとき、ランテは己の思いつきをそのまま実行することにした。言われた通り、準備するのは【光速】だ。でも、それは。


 セトに使う。


「馬鹿、お前——」


 セトは【無風】の内にランテも入れてくれていたから、それでランテの【光速】は阻めない。寸前でランテの目論見に気づいた彼だったが、何かするには、あまりにも時間がなかった。


 ——受け身は自分で取れよ?


 いつかと逆だ。だからランテは、あのときのセトのように微笑んだ。お返しをするのだ。そして、こう言う。


「今度はオレの番」


 光に押し戻されていくセトを見送る。また自分だけ危険を受け入れようとしていた彼に、少しばかり怒っていた。しかしちょっとだけ、いつでも自分を後回しにする気持ちが分かってしまった気もする。仲間を助けられるこの充足感。ランテにもわずかながら、誰かのために動ける力が身について来たのだろうか。だとしたら嬉しい。もっとも、本当は二人で助かる道を模索するべきではあったのだが。


 だが、ランテは諦めたわけではない。自分には始まりの女神もいるし、何とかなるだろうと思っての行動だった。そしてせめてもの抵抗にと顔の前に腕を持ち上げたとき、新しい制服が目に入って、これも守らないとと暢気に考えるくらいに落ち着いていた。


 直後、防御呪の効果が切れて、ランテは溢れる闇に飲み込まれた。

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