【Ⅱ】—1 襲来

 翌朝早く、ランテは鏡の前に立っていた。真新しい制服――現状試作品だが——に身を包んで。


「どうかな?」


「似合ってる。白軍の制服よりいい。お前をモデルにして作ったんじゃないか?」


「……なんか恥ずかしいかも」


 新組織の制服の試作品を、中央の職人たちがもう作ってくれたのだ。それを昨晩のうちに戻っていたミゼが二人分、わざわざ届けてくれた。白軍制服を着て行くよりも心証がいいだろうとのことだ。着く前に着替えればよいのだが、どうしても着てみたくなって、現在に至る。セトの評価は嬉しかったが、自分がモデルになったのだとしたら、おそらくはあの美化されたランテの方で、それは大変恥ずかしい。


「ループタイなのがいいな。ボタンが一つ開けられる。ネクタイは首が詰まる気がしてさ」


「だからよく緩めてるんだ?」


「ああ。それにしても、よくこの短期間で作ってくれたな」


「うん。すごく頑張ってくれたんだと思う」


「デザインも難しかっただろうし」


「それは、悪いことをしたなって……」


 ランテの提案した色――様々な色が混ざり合うようなものだ――は、とても扱いにくい色だっただろうが、しっかりと制服の中に組み込まれている。全身がその色であるのは流石に軍服としてまずいと思っていたが、襟や袖、ズボンの裾という主張が強すぎない箇所に採用されていた。しかも色自体も工夫されている。淡い色がグラデーションになって様々に混じり合っていて、ちゃんとランテの提案通りなのに趣味は悪くない。これならデリヤも満足してくれるだろう。また白が主体ではあるが、上衣の前のボタン部の生地が黒に染められていたり、手袋や靴、ベルトが黒であったりと、黒も取り入れて欲しいという要求にも応えてくれていた。


「支部色はマントの裏とループタイの色、二枚襟の下、左胸のラインか。支部を見分けるのも問題なさそうだ」


「うん。分かりやすい」


 鏡の前で一度回ってみる。マントが増えた分、前のものよりも揺れる布が多く、回るのもその分楽しい。


 ランテが新しい制服の鑑賞に満足してきた頃、セトの視線が外に注がれ続けているのに気づいた。


「セト?」


「……気のせいだといいけど」


 ランテによく意図の分からない返答をして、腰を上げる。ランテが動けないでいると、セトは続きを述べてくれた。


「闇呪の使い手が付近にいるような気がしてさ。はっきりとはしないけど、多分」


「えっ、ミゼかな?」


「それは違う。知らない呪力なんだよな。ランテ、すぐ出られるか? 出発までにはまだ時間があるし、確かめに行こう」


「うん、大丈夫。行こう」


 セトがランテをごまかした上で一人で行くのではなくて、正直に話して連れて行ってくれることが喜ばしい。新しい制服のまま剣を腰にく。しっかりと納まったことに、背中を押されるようだった。






 セトに導かれて、街の西側へと歩いていく。住宅街に足を踏み入れると、ランテにも何か違和を感知できるようになってきた。ミゼのようでミゼではない感じ——自分の中ですっかりミゼが基準になっていることに気づいて、少々笑ってしまった。


「気づかれたな」


「え? ……あっ、本当だ」


 急に先の気配が拾えなくなったことをランテも悟る。


「ごめん、オレかな」


 ほとんど反射的に謝ると、セトは首を振る。


「いや、オレかもしれないし気にしないでくれ。多分かなりの使い手だ。呪力の察知能力も高いと思う」


 セトはそう言ってくれたが、呪力を探ろうとするときに自身の呪力を収めるのを怠りがちになる癖がランテにはある。今回もそうしてしまった気がしてならない。まだまだ未熟な己を、またしても自覚する。


「密航者とか闇商人だとか、その手の奴なら大した問題じゃないけど、呪力の強さからおそらく違うんだよな。何の目的でここにいるかは分からないけど、万一出港時に船が襲われでもしたら、船員たちに危険が及ぶ」


「あっち側の人がこっちに来るのって、よくあること?」


「いや、滅多にない」


「なら、もしかしたら——」


 ランテが言いかけたとき、後頭部に何か細かいものが刺さるような感覚があって——殺気だ――直後、視界の隅に闇がちらついた。対応はセトの方が早い。ランテが何かしようとしたときには既に、風の守りの中にいた。だが。


「ランテ」


 呼名の直後、【風守】が不安定に揺らめいた。それで意図を理解し、ランテも急いで準備する。【風守】が破られた後、ランテの【加護】は一瞬の間しか持たなかったが、その後セトが防御呪を張り直してくれたことで事なきを得た。


 闇が霧散する。セトの呪を突破するほどの使い手がこの向こうにいる。しかもこちらに敵意を持っているらしい。きゅっと唇を結んで、ようやく薄闇の向こうに見えて来た人影を見つめた。


「今さら共同戦線だと?」


 長い緑髪を一つに編み垂らした、若い女性。切れ長の瞳は冷たく冴えている。


「メイラさん」


「気安く呼ぶなと言ったはず」


 平坦な声で彼女は言う。


「北を攻めた過激派か?」


「うん」


 身構えはしたものの、まだ剣を抜かないセトの小声に応じる。説明が下手な自覚はしているので、話が早くて助かった。


「お前たちと手を取り合って戦う未来など不要。勝手に同士討ちしていろ」


 寒々とした声でそう続けるメイラの後ろに闇が広がっていく。


「そういう話だっただろう。なぜラフェリーゼを巻き込む。敵はお前たちがのさばらせた奴だ」


 言おうとしていたことが、ランテの喉元で砕け散って行った。あのときのこと——以前エルティでまみえたときのことを思い出す。


 ——オレたちは必ず中央を倒して、戦争も止めます。


 北を守るために必死で紡いだ言葉ではあったが、もしかしたらとても無責任なことを言ってしまったのかもしれない。


 ——存分に殺し合えばいい。共倒れになったところを仕留める。


 メイラが引き下がったのは、仇討ちを諦めたからではなかった。それなのにあのときのランテは、それでよしとしてしまった。さらに彼女を引き留めて話をしようとはしなかったのだ。今のこの事態は、ランテが招いたようなものと言える。


「仰りたいことは分かります」


 ランテが何も言えないでいると、隣で構えを解いたセトが声を上げた。


「分かる?」


「ええ。そちらの民や兵を死なせたくないということでしょう。分かります。こちらも同じ考えですし」


 セトはとても穏やかな口調で話す。メイラの後方で闇が揺らめいた。ランテはただ二人を黙って見ていることしかできない。


「そこを問題にしているのではない。我々も必要とあらば命を懸けて戦う。そもそも憎いお前たちと手を組むことが——」


「それです」


 あくまで穏やかに、しかし迷いなくセトは黒軍過激派の首領の言を遮った。眉をひそめた相手に構わず先を進めていく。


「あなたが問題にしているのは、手を組んで戦うこととラフェリーゼを巻き込むことのように聞こえます。意識下かどうかは分かりませんが、共闘を拒んでいるだけで、現在こちらのことを攻撃対象だと思っている言い回しには思えませんね」


 ぱちぱちと本当に音が鳴りそうなくらい、ランテは瞳を瞬かせていた。そんなことは言われるまで気づかなかったが、確かにそうも思える。メイラは苛立ったように舌打ちをした。


「問答をしに来たわけではない。今ここで貴様らを——和平を願って交渉しようとしている者を討てば、今度こそカイザの復讐が成る。私はそのために生きてきた」


 細い指が自身の左の薬指を這った。そこでは未だ銀の指輪がきらめいている。

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