4:伸べた手で

【Ⅰ】—1 提案

 三日経って、ランテとセト、そしてミゼは東支部管轄の港町ピッサの宿にいた。ここまではミゼの転移の呪で送ってもらっていて、それからは一度ミゼがラフェリーゼに声を飛ばして――本当はミゼだけ直接転移する予定だったのだが、現在旧エマリーユ湖の位置にいるベイデルハルクの影響で、国境を越えるのが難しくなっているらしい――これから使者が向かう旨を伝えてくれていた。


「使者は受け入れましょう。港に迎えをります。危害を加えないことも約束しますが、そちらのお話の全てを受け入れる約束はできません」


 ミゼは、ランテとセトの前でラフェリーゼの代表者と会話をしてくれた。淡々とそう応じた彼は、西へ逃れたミゼを最初に助けたアーテルハ侯の末裔まつえいらしい。現在ラフェリーゼの最高責任者は彼なのだそうだ。


「厳格だけれど、誠実な方よ。これまでの顛末は昨晩、既に私の口から話しているわ。だから、あなたたちはこれからのことについて話してくれたら」


 ミゼは多忙であるのに、出来得る限りの支援を約束してくれた。ただし、やはり簡単に帰ってこれない大陸の西側に行くことは難しいようで、ミゼとはこの港で別れることになっていた。船の準備に必要な一日の間だけ、打ち合わせもかねて共に過ごせる。


 朝のうちは、ラフェリーゼへの連絡や、これからの方向性――王都と旧白女神統治区域の関係をどうしていくかや、これから先の世界のありようについて――の話をすることで、時間が過ぎていった。ベイデルハルクが世界の根幹に干渉し、運命操作のようなものを行っているのではないかという点について、ミゼは頷いた。


「私も【超越の呪】の紋からその可能性は考えたわ。おそらく、大精霊を生み出した後に気づいたのでしょうね。それ以前に気づいたのであれば、白女神から大精霊を切り離してはいなかったでしょうから。あるいはお母様が膨大な力に耐えかねていたために、仕方なくそうしたのかもしれないけれど。いずれにしても、現在ベイデルハルクの外に大きな力があることで、彼が世界の行く末を操作できたとしても限定的なものだと思うわ。それに私にももう方法は分かる。あちらの方が力では勝るけれど、妨害はできるわ」


「うん。だけど、オレたちは世界のあり方を変えることについても考えてて。ミゼはどう思う?」


「私は……」


 ミゼが言い淀んでいると、横からセトがなぜそのような考えに至ったか——世界がこのままであれば、第二第三のベイデルハルクが生まれるかもしれないという危惧についてだ――について補足をしてくれる。


「そうならないように、王族だけがこの情報を持っていたんだろうけど、今回のことでそうじゃなくなっただろ?」


「王族の人だけが重荷を背負うあり方を変えることにもなるだろうし」


 彼の後にランテもさらに言い添える。ミゼはしばらくしてから、また首を縦に振った。


「そうね。それも必要な議論だと思うわ。でも、ベイデルハルクと同じやり方をするわけにはいかないでしょう。方法については模索しないと」


「うん、それはもちろん。皆で考えたいなって」


「ええ。私も考えてみるわ」


 ミゼが反対をしなかったことが、ランテには嬉しかった。


「話しておきたいことは大体これで済んだな。後は追々になるだろうし」


 セトが言う。そのまま窓を見やった彼は太陽の位置を確かめて、「ちょうど昼だな」と零してから、ランテたちを振り返って微笑んだ。


「二人で外を歩いてきたらどうだ? ここじゃまだそう顔を知られていないだろうから、ルテルみたいに騒ぎになったりはしないだろうしさ。何かあってもミゼがいるなら安心だしな」


 ミゼはセトにも名前で呼んで欲しいと伝えていた。セトは快諾して、もう自然に呼んでいる。


「でも、まだ船員たちとの打ち合わせや、他にも仕事が残っているでしょう」


「そういうことはこっちでできる。というか、風呪使いである以上オレが行かないとな」


「王都の人たちや、連合軍の皆も今頑張っているのに、そんな、私達だけ息抜きをするなんて」


「仕事中毒者の発想だな。やっぱ似てるってつくづく思うよ。休めるときに休むのが本当に仕事ができる奴の考え方だ。それに、七百年以上ベイデルハルクに立ち向かってきた人間が、半日休んだくらいで反感買ったりしないだろ。ミゼは身分のせいで王国時代も自由に街を歩けなかっただろうし、ランテだって一度くらいはそうしてみたいって思ってたんじゃないか? 付き合ってやれよ」


「それは……」


 セトの提案と説得を受けて、ミゼが戸惑った顔をランテに向けた。セトや皆に悪いという気持ちは、ランテにだってもちろんある。だが、ここは厚意に甘えようと思った。


「うん、ミゼ。オレ、ミゼと歩きたいな」


 こう言えば、ミゼは頷いてくれることは分かっていた。予想通り最後には応じてくれたミゼと、優しい提案をくれたセトに心から感謝する。そう言えば出立前、セトに軍資金などと言われて多めに金をもらっていた。特に何か物を買う予定はなかったから不思議に思っていたが、最初からそのつもりで渡してくれていたのだろう。


「セト、ありがとう」


「大通りは北から南へ一本道。街を楽しみたいならそちらをどうぞ。静かなところがいいなら、北東の波打ち際がお勧めだ。出発は明日だし、ごゆっくり」


 返事の代わりに親切すぎる案内までくれて、セトはランテとミゼを送り出してくれた。






 ピッサはほどよい賑わいがある街だった。街を歩く人の数は王都の半数ほどだろうか。東地方にあるからか、街を取り囲む壁はいかめしかったが、大通りからはそれほど見えない。


「七百年以上経っても、街ってそう変わらないんだなって思う」


 素直な感想を述べるランテの傍で、ミゼはまだ少々申し訳なさげな顔をしている。


「良かったのかしら」


「休んだ分、明日から頑張ろう。オレ、どうしてもミゼとこうして街を歩いてみたかった。前は夜でお店も閉まっちゃってたし……だから本当に嬉しいんだ。一緒に楽しんでくれたら、もっと嬉しい」


 ミゼはランテの言葉を聞いて、一度はっとしたような顔をすると、再度申し訳なさそうな顔になった。


「ごめんなさい。気を遣わせてしまったわ」


「ううん、大丈夫」


 ランテから美しい紫色の瞳がすっと逸れる。寂しくなった直後に、やっと耳に届くような小さな声で、とても嬉しい言葉が続いた。


「……あの、私も、とても嬉しいの」


 自分が満面の笑みを浮かべているだろうことは、すぐに分かった。嬉しくて堪らなくて、つい無遠慮にミゼの手を取ってしまう。


「どこに行く? 何がしたい?」


 最初は驚いた様子だったミゼも、そのうちに照れたような微笑みが浮かんでくる。その表情が大人びたものではなくて、ミゼにとって遥か昔、王国で見せてくれていたようなものだったことが、ランテにはとても尊く思われた。


 相談の結果、初めにまずは街を楽しもうということで、大通りを歩いてみることにした。少し歩いて分かったことだが、この街は魚や貝を加工したアクセサリーが特産品であるようだ。観光客と思しき人々が笑い声を上げながら歩いているし、店員たちは彼らを必死に呼び込んでいる。現在の世界の動揺など忘れてしまいそうなほど平穏な街の姿が、ここにはあった。


「ミゼは、食事はできる?」


「この身体になってからはしたことがないけれど、できなくはないと思うわ」


「じゃあ、魚食べてみない? ちょうどお昼時だし、あそこの屋台からいい匂いがしてくる。……あ、ちゃんとしたお店の方がいい?」


 王族の姫に屋台を勧めるなんてとんだことをしたかもしれない、と後から思ったランテだったが、ミゼは髪が宙で遊ぶくらいの勢いで首を横に振る。


「いいえ。私、あそこで買ってみたいわ」


 笑って応じて、手を引きながらランテは思う。この半日で、できる限りのことをし尽くそうと。今しがたのミゼの答えの『みたい』の部分に強く胸を叩かれたからだ。七百年以上も生きて来たのに、ミゼは屋台で食べ物を買う経験もできなかったのだ。食事だってして来なかったと言っていた。きっと、楽しいことなんてほとんどなかった七百年だったのだろう。たった半日ではそれを取り戻すべくもないけれど、せめてこの瞬間だけは思いきり楽しんでもらって、辛かったことも悲しかったことも、それからこれからしなくてはならないことも、全部忘れられるようにしたい。誓うように、細い指を握る手に力を込めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る