【Ⅴ】—2 重み

「君がいなかった場合、旗印になっていたのは誰だと思うか、聞いてみようか」


 覚悟を決めて放った二音への返事は、想定していたのとは全く別方向からのもので、ランテは少々拍子抜けしてしまった。しかも、またしてもランテにとっては難しい問いだった。デリヤは三呼吸の間だけランテを待ってくれたが、その後痺れを切らしたように言う。


「セトだよ、おそらくはね。癒しの呪のことではくが作りやすい」


「お前の可能性もあったな。出自は周りを納得させるのに足る理由になるだろ」


「母上のことかい? ワグレ絡みで」


「父方の方も、それこそ箔にはなる」


 苛ついた様子でセトを一瞥してから、デリヤはランテに向き直った。


「僕でもセトでも同じことだよ。どちらにせよ、僕らには一定数の敵が既にいる。僕らが旗印になれば、そいつらはついて来ないどころか、きっと歯向かって来るだろうね。その点君には、煩わしい係累がなくて都合がいい」


「お前の気質も、敵を作りにくい……というより、仲間を増やしやすいものだから、オレは本当にお前が適任と思ってるよ。だけど酷な役目を押しつけたって、申し訳なくも思ってる」


 デリヤの後に続けて口を開いたセトが、言葉通り申し訳なさげな顔をしていた。むしろ申し訳ないのはこちらの方だ。ランテは慌てて首を振った。


「ううん。オレだって望んで引き受けたわけだし、それについては、全然。というより皆の方に嫌な仕事とか役目とかがいくんじゃないかって、むしろ申し訳ないぐらい」


「そうあることの重みを、君は本当に理解しているのかい?」


 デリヤの言葉は、いつでも真っ直ぐにランテに飛び込んでくる。遠慮のないところはユウラに似ているが、彼女のものよりもっとずっと鋭利だ。


「デリヤ」


 やんわりと止めに入ったセトだったが、デリヤの方は取り合わなかった。


「セト、君は世話を焼きすぎるよ。この鈍感が分かるまで待つ時間があるのかい? それまで君がフォローに回るんだとしたら――それで済めばまだいいけど、最終的に君が責任を取らされる形になったとしたら、それは支部全体の、ひいてはこっち側全体の損失になるのを君もわきまえた方がいい。いい加減、自分の身の守り方も覚えなよ。剣の方も、生き方もだ」


 彼は平等だ。セトに向けられる言葉もまた、鋭い切れ味を持つ。黙って言葉の全てを受け入れて、セトは一度頷いた。


「確かに事情をよく知る人間が一人抜けることになるのだとしたら、それは全体の停滞に繋がるだろうな。お前は正しいよ、デリヤ」


 落ち着いた語り口で述べて、やや視線を後方に遣った。逡巡しているようだった。


「……そうだな。ランテに任せるつもりでいたけど、ある程度決めごとは作っておくか」


 王国時代を含め、ランテは多くの人と行動を共にしてきた。ほとんどの場合において、ランテは導かれる側で、だからこそ導く側にもタイプのようなものがあるのを理解しつつあった。セトとデリヤは似た部分もなくはないが、大きな方針はまるで逆であるように感じられる。


 基本的にセトは待つ人で、任せられることは任せてくれるし、それで何か問題が起きそうならサポートしてくれる。物を教えるときも全て教えてくれるのではなく、最低限は伝えてそれ以上はヒントを出すに留めるのが彼のやり方だ。一方デリヤは、指示が長い傾向にある。思う通りに動いて欲しいと求めるゆえのものであろう。物を教えるときも、答えを全て渡してからできるかどうかを評価していることが多い。できなければ、また別の指示が出る。


 これはどちらがよいというものではないのだろう。どちらにもそれぞれのよさがあるし、双方にもう片方と比較してよりふさわしい局面がある。だから、やはりとランテは思った。


「君は今、重要な話をしようとしているのが分からないのかい?」


 苛立ちが多分に含まれたデリヤのその一声で、ランテは思考の淵から浮上した。考えていたことは大事なことではあったが、確かに今すべき思考ではなかった。すぐさま謝ったランテに、今度はセトから声がかかる。


「何を考えてた?」


 今考えていたことは、共有しておきたいことではあったから、そうして穏やかに聞いてもらえたことはありがった。


「いいなと思ったんだ。セトとデリヤの二人のやり方が」


「やり方?」


「うん。二人のやり方って基本的に真逆で、でもどっちにもいいところがあって、それを遠慮なく提案し合える感じなのがいいと思った」


 ユウラやテイトも、何かセトに意見することはあったし、セトがそれを受け入れる場面も多く見てきた。だが、あの二人はデリヤと比べると若干、遠慮のようなものが――おそらく彼を副長として慕うがゆえにだ――見えるときがあった気が、ランテにはしている。その点デリヤには、そういう惑いのようなものが一切ないのがいい。セトもセトで、そうしてもらいたいのではないかと思うのだ。


「これまでの王国や、白女神統治区域と違う世界を作っていくのなら、今の二人みたいに言いたいことを言い合って、皆の意見の良いところを取っていけるような世界にしたいって――ごめん、今はオレのことについて話してたのに、こんなことを考えて」


 この言葉への反応もまた、二者二様だった。「これからの組織のあり方も考えていかないとな」とフォローしてくれたセトと、「君のその注意の散漫なところが呪の上達が遅い理由だろうね」と皮肉を言うデリヤと。二人でこうも反応が違うと返答に困ってしまうが、一度は袂を分かったはずの二人がこうして一堂に会していることが実感されて、つい笑んでしまった。確かに散漫な思考だと、その後でランテは反省する。


 仕切り直してからランテに提示された条件は、一つは簡単で、一つはとても厳しいものだった。


「まず、緊急時以外は一人で出歩かないこと。何か起こったときは、周りの人間に任せろよ」


 これにはランテはすぐに頷いて、今回そうしなかったことをもう一度謝った。


「もう一つは、お前だけは殺しをしないことだ。さっきも言ったが、お前は正しくないといけない。正しいからこそこんなに人心を集めたんだよ。準司令官たちと戦ったときのことは覚えてるな? お前に求められているのは、あの姿勢なんだ。戦地で和睦を叫ぶ。そうして争いを止める。これまでお前がそういうことを意図してやってきたわけじゃないのは分かってるけど、あれでお前についたイメージが今の足場を固めているようなものだ。足場は崩すな、ランテ」


 当然、そうしなければお前が死ぬという状況を除いてだけどな、と付け足して、セトは一度言葉を結んだ。入れ替わりでデリヤが言う。


「これは難しいことだよ。殺さず相手を負かすのには、相手の倍の力量がいる、というのは知っているかい? それに、これは何も君が相手と対峙したときのみに限らない。君だけはいつも、一番人が死なない方法を考え続けないといけないってことさ。そのない頭でね」


 二人は、ランテに人を死なせないことが難しいと論じる。しかしランテは違うと考えていた。確かに物理的な面で人を死なせないようにするのは、人を殺して道を空けるより難しいかもしれない。しかし、精神的な負担の面ではどうか。先ほども考えたことだが、相手を殺さないでいることの方が、心にはとても優しい。


 もう、ランテも理解している。戦いにおいて、死人を出さないことなんて不可能なのだ。これだけはどう頑張っても絶対に動かせない事実で、だから世の中には必要悪なんていう言葉まであるのだろう。それを、ランテだけはしない。ランテがしないということは、他の人に押しつけるということだ。人の命を奪うという罪と、心の負担を。


「お前だけは、人死にを仕方ないと思ってはいけない。人を殺すことは悪で、必要ならそれをした者を責めなければならないし、場合によっては罰さないといけないかもしれない。……無理やり押しつけたような役目なのに申し訳ないんだが、覚えておいてくれ」


「君への不信は挙兵と混乱に繋がる。君はもう身軽じゃない。立場の重みと不自由さを理解するんだね」


 二人の言を聞き終えて、ランテは空気の塊を飲み込んだ。会議の場で頷いたときは、随分安請け合いをしてしまっていた。ランテの一挙一動がこれからの行く末を決定していく。お飾りだ、と詰る声を聞いたことがあった。そうかもしれないと思ったランテがいた。とんでもない、と思う。


「……分かった」


 しかし、ようやく重いものを背負わせてもらえることの喜びもあった。そう感じる心のありようにランテ自身も驚く。これは、これまで守られてきたからこそ担える役目なのだろう。ランテにしかできないと言ってくれるのならば、絶対に果たしたい。人に負担を押しつけてしまうという負い目まで含めて、抱え切ろう。誓うように胸の前で拳を握る。


 ——手の届く範囲にいる大事な人をそれぞれが守っていく。結局はそれが、世界を守ることに繋がっていくんじゃないかなって。


 以前ミゼに言ったことを誤りだとは思わないが、立つ場所が変われば、見えるものも手の届く範囲も変わるのだと感じる。大きくなった世界に怯えるのではなく、新しいものを守れるようになったことを嬉しく思いたい。だからといって背負いすぎるのは良くないから、加減が難しそうであるが、頼れる人がこんなにいるのだからきっとランテは大丈夫だ。


「頑張る」


 可能な限り丁寧に言うと、頷きが二つ帰って来た。それが嬉しくて笑うと、種類の違う二つの表情がしっかりと返されてまた嬉しくなる。


 この世界が好きだと、何度目か分からないことをランテは思った。

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