【Ⅲ】—2 方法

「事前承諾も取らずに、随分なことをしてくれたね」


 集会が済んだ直後、真っ先に歩み寄ってきたのはデリヤだった。不満極まりない表情だ。申し訳なさは無論感じていたが、セトは後悔はできない立場にあった。むしろ、何としても引き受けてもらわないとならない。


「事前に言ったら、受けてもらえないだろうと思ってさ」


「前々から思ってたけど、君って案外独裁主義だよね。拒否権一つもらえない僕の人権はどうなっているのかな」


「オレの任命責任を気遣って逃げられなくなるだろうお前の人の良さを利用したことは認める」


 狡い言葉を選んだと、セトは自分で自分の言葉を評価した。望まないなら役割を放棄していい、と示す言葉ではあったかもしれない。だがそれ以上に、デリヤがそうしないという期待を露わにした、いや、押しつけたと評するのが正しい言葉だった。こういう物言いをするから彼に毛嫌いされるのは理解していたが、出してしまった声はもう取り消せない。


「君のそういうところ、本当に気に食わないよ」


 案の定と言うべきか、デリヤからはそういう答えが投げ返された。


「言い訳していいか?」


「僕の満足するような内容なら、聞いてあげなくはないよ」


「適任はお前しかいないと思っていたから、手段を選ばなかった」


 本音をそのまま渡すと、デリヤがやや狼狽した。


「……君ってそういうこと、言葉にするタイプだったかい?」


「必要なら言って来たとは思うけど、そうだな、積極的に言う方じゃなかった。特にお前は、言わなくても言葉の裏を読んでくれるタイプだったし」


「その辺の馬鹿と一緒にしてもらったら困るけどね」


「ああ。その知力と胆力を特に買ってる」


 第二撃は思った以上に深いところまで響いたらしく、たっぷり二呼吸の間はデリヤは何を言うこともなかった。


「勝手にさせてもらうよ」


「ああ、そうしてくれ。オレが戻っても、中央関連のことは基本お前に主導権を持ってもらうつもりでいる」


 ——僕はもともと中央の人間だったからよく分かる。


 中央の現状を見たときに吐き出される言葉の節々に、デリヤが中央に抱いている憂いのようなものが滲み出ていた。彼にとってここは故郷であって、どんなに嫌おうとしてもそれを貫けない躊躇いのようなものを、セトはかねてから感じ取っていた。思い入れのある人間の方が、真摯に街を立て直すための問題に向き合える。自明のことかもしれないが、重要な素質の一つでもあろう。


 勝手にするとは言ったものの、おそらくデリヤは副長であるセトのことや、北で今支部を動かしているレクシスのことを軽んじたりはしないだろう。以前から表に出てくる態度の面はさておき、それ以外の部分で上を困らせることは全くなかった。弁えるところは弁えている。立場を守ることをセト自身は要求しないとしても、兵の手前侵してはならない領域はあって、その点もデリヤなら問題ないだろう。


「それで」


「ん?」


「今朝、二人連行してたね。あれは何だったんだい?」


 伝えようと思っていたことだったが、切り出し方に少々悩んでいたので、デリヤの方からその話題を振ってくれたのは、セトにとってありがたいことだった。


「中央軍の残党、というよりは、白女神の敬虔な信者って言った方がいいのかもな」


「闇討ちを仕掛けられたってことでいいかい?」


「そうだな」


 ユウラと別れた後、二人から尾行され始めたのにはすぐに気づいた。撒いても良かったのだが、後々のことを考えると捕まえておいた方がいいと判断して誘き出し、制圧して連行したという一件があったのだが、デリヤはその一部を見たようだ。


「実力は?」


「一人はうちで言うなら一年目の兵ってところ。もう一人は、そこそこ。二回まで防いで来た」


 初撃、それからすぐに剣を返しての第二撃まで防がれたのは、正直なところセトにとっては意外だった。まだ万全ではなかったにせよ、八割程度の力は出していたつもりであったし、そうなれば一般兵の大部分を負かせられるはずなのだ。


「へえ、そんなレベルの残党がいるんだ」


「話を聞いていると白女神への信仰を守る自分は正しいって、信じ切っているようだった。つくづく——」


 一息挟んで、セトは続けた。


「妄信って、恐ろしいと思うよ」


 直接の謝罪は受け取らないデリヤへ、最大限の謝意と自省と後悔の念を込めて言葉を発する。デリヤは何か言いたそうな視線を寄越してきたが、結局言葉は返して来なかった。


「そういう奴らのことも、お前に押しつけていくことになる。オレが街の外に出たら狙われるのはお前になるだろうから、気をつけてくれ」


 無論支部長も危険だが、ハリアルの身はこれから立つ先遣隊に守らせて北に帰す手筈になっていた。ゆえに中央に潜む反対勢力の標的は、第一にオルジェ、第二にデリヤとなるだろう。セトの一番の懸念はそこにあった。


「僕の腕を疑っているのかい?」


 予想通りの返答は、しかし、予想に反して静かになされた。変わったのは、彼もまた同じだ。


「そうじゃない。隙のない人間なんていないだろ」


「僕が腕を失っていなければ、今の言葉はなかったと思うけどね」


「否定したところでお前は納得しないだろうけど、それでもしとく。腕のことは関係ない。純粋な心配からだ」


 テイトには到底及ばないが、セトも多少は呪力が読める。デリヤが廃館で戦ったときよりもずっと、呪の鍛錬を積んだらしいことはよく伝わってくる。それだけではない。腕の欠損を最大限補う立ち位置をいつも確保している。すぐに身につくものではない。この分だと、剣の腕も間違いなく衰えさせてはいないだろう。


「君も、今もそうだろうけど、総会で中央に来たときだって結構狙われたりしていたんじゃないかい?」


「そこまでじゃなかったけど、数回くらいは」


「だったら、僕にもできるはずだ。君にできて僕にできないなんて、僕は認めないよ」


 気づいたとき、セトは笑みを刷いていた。昔、デリヤはよく張り合ってきていたのを思い出して、懐かしくなったのだ。そういう表情はデリヤにも伝わっただろうが、彼は何も言わなかった。やや不機嫌そうにはしていたが。


「分かった。じゃあ、これ以上は言わない。お前に任せた」


「君も、下手を打たないようにしなよ」


「ああ、ありがとう」


 祠のことはユウラやアージェに、超越の呪のことはテイトに、中央のことはデリヤに、北のことはレクシスに、王国のことはランテとルノアに。落ち着いて見渡してみたら、自分の周囲には本当に優秀な人が多くて恵まれていると感じる。無理矢理抱えて来た荷を、少しずつ少しずつ彼らに分けていく。支部長代理という役目は、今までで最も重圧のかかるものであったが、かつてないほど安定して立てている自覚がセトにはあった。風の上を歩いていたような数日前までからは、考えられないほどの落ち着き。心の一つで劇的に変わった世界をセトは今、生きている。


 しかし、こうも思う。


 もし心ひとつで自分を消し去れる状況にあったとしたら、セトはとっくに自身を消滅させていただろう。この世界を知れたのは、ここまで生きて来たから——やむを得ずという状態ながら、存在しているという事実から抜け出せなかったから、という部分が大きい。ルノアは心一つで動かせるこの世界を、一つの理想の形だと言った。しかし心は絶え間なく移ろうもので、それ一つに全てを委ねることは危うい。それは誓う者という存在の不安定さを見ていても分かることだ。心を繋ぎ止め、時にはその暴走を制してくれるもの。それが肉体であって、存在であって、だから実存したいというベイデルハルクの願いそのものは否定されるべきものではないのかもしれない。やり方は、根本的なところから見直さないといけないにせよ。


「セト」


 呼ばれて、顔を上げる。声を掛けてきたのはテイトだった。きっとセトが考え込んでいたのを、呪力か表情から察知したのだろう、心配げな顔をしていた。


 大丈夫だ、と応じながらセトは決意する。ランテとルノアに、今のセトのような考えはないだろう。心の弱い人間しか持てない考えなのかもしれない。それでも、多くの人間の中にはセトと同じように思う者もきっといるはずだ。そういう者たちのための新しい方法を、考えたいと思った。

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