【Ⅲ】—1 任命

 中央本部のとある会議室に、北の兵たちが集っていた。その数九百ほど。中央遠征に参加した者の多く、現在どうしても場を離れられない者以外の全員が、召集を受けて参じている。


「忙しい中、集まってもらって悪い。ユウラたちから話があったと思うが、これから祠防衛隊の第一陣が発つから、それまでにどうしても一度会を持っておきたかった」


 招集令が出てさほど時間が経たないうちにこれほどの数の兵が集まることは、北としては当たり前のことだ。しかし一度中央兵を指揮した後だと、北の兵の質の高さを再認する。そこに副長として戻るということの意味の重さを、セトは改めて噛み締めた。


「まず、あれから落ち着いて話す機会も作れないままだったことを謝らせて欲しい。今回の件は、中央打倒のためっていう目的もあったにせよ、オレたち捕虜のことだって無関係ではなかったと思う。助けに来てくれてありがとう。危険に晒させて申し訳なかった。本当に、良く戦ってくれたと思う」


 頭を下げてから上げるまで、北の兵はしんと静まっていた。


「知っての通り支部長は昏睡状態にある。本来であれば、一時とはいえ中央軍に属したオレがここに立つべきじゃない。そうは思っても、今この状況下で他の人間をここに立たせるのも酷だという思いもあってさ。一つ間違えば、すぐ責任問題になるような状態だ。皆が許してくれるなら、支部長が目覚めるまではオレが舵取りしたいと思ってる。当然、それより先に信用を失ったらそれまでだけど」


 誰も何も言わない間がしばしあった。兵らは最初、他の誰かが何かを言うのを待っていたようだった。しかしセトに近しい者たちにはあらかじめ、ここでは他の者の意見が出るのを待って欲しいと伝えてある。期待を寄せた人間が動かないと分かってからは、やや遠慮しながらも兵らが声を上げ始めた。


「異論ありません」


「支部長の意向であるというのも聞き及んでいます」


「他にそこに立てる人間はいないと思っています」


 届く声は皆好意的なものだった。だが、セトは微笑みで応じながらも、胸では自身にくさびを打ち込んでいた。今向けられるこの信頼は、その大半がハリアルがいてこそのものだろう。師の恩恵を失わないうちに、自分で信頼を得ていかなければならない。


「ありがとう。こういう話はもっと早くにするべきだった。諮りもしないうちに、副長の地位を使って会議にも出ていたし……そういうオレを許して認めてくれた信頼に報いたい。これからはいっそう、身を引き締めて励むよ」


「むしろオメーは気を抜くことの方が必要だろうが。これ以上お堅くなられちゃ、こっちの息が詰まるぜ」


 アージェが茶化して言った言葉が、硬過ぎた雰囲気を緩める。広がった笑みに、セトも少し息がつけた。ありがたかった。こういうことが自然にできるアージェには、間違いなく人の上に立てる資質があると感じる。


「オレだけじゃなくて、前々から働き過ぎの人間は多い支部だからな。今回もできれば休みを取ってもらいたいところなんだが、防衛隊には無理を頼むことになった。北で再編成をして、疲労が溜まっている人は休息を取ってもらって大丈夫だ。くれぐれも身体を壊さないようにして欲しい。そしてもちろん、生きて帰ってくれ」


 了解の返事は、少しも乱れず揃っていた。セトもここで今一度姿勢を正す。


「祠防衛隊の隊長は、今ここにはいないけどユウラに任せることにした。副隊長をアージェに頼む。テイトやリイザ始め、その他の主力の大部分を送り出すつもりだ。勝ってきてくれ。被害を最小限に抑えた上でな」


 「はい」という了承の答えが返るのを聞いていると、ここで少々緊張を覚えた。自分の声で組織が動いていく。音でそれを分からされる。その後敵将と敵の編成について伝え、セトは一息ついた。


「祠の防衛以外にも、負っている役割はある。まずオレだが、黒軍との停戦の使者をやることになる。今のところランテは連れて行くつもりだけど、他に兵はいい。あまり大勢で行くと、戦争を仕掛けに来たと思われても困るしな。問題はオレがここを空けた後、誰が司令塔になるかだが——」


 一人のところで、セトは目を留める。相手は流石に驚いたらしく、両の目が二回りほど大きくなっているように見受けられた。


「この役割はデリヤに頼みたい。オレが不在の間、中央を今後どうしていくかを話し合うことが主になると思う。その他、何か急を要する判断が必要なときも、お前に委ねる」


 兵たちも、数瞬の間は呆気に取られたように黙りこくっていた。


「支部長とオレを除いたら、基本的には北にいるレクシス指揮官の判断の効力が一番強いことは変わらない。それに何か悩むことがあれば、オレにも連絡を取って欲しい。その猶予があればな。そういう立場も相まって、一番面倒な役回りだと思う」


 ここから先を、セトはあえて一際声を張るようにして続けた。


「この中には、オレのこの判断について疑問を持つ者がいるかもしれない。数年前、デリヤが中央の内通者として追放された件を気にしているんだろうと思うけど、あれは冤罪えんざいだ。デリヤは潔白だった。証拠は捏造ねつぞうされたものだったし、当時のデリヤはずっと否認してもいた。……立件は半ば無理矢理だったんだ。おそらくは本部から圧力がかかってた。デリヤは——」


 小さく動いたデリヤの口が「馬鹿だな」と言ったのを確認して、セトは内心で頷いた。そう、あの頃の自分は本当に馬鹿だった。彼の言葉の意図するところが全く他のところにあるのは、理解していたけれど。


「北の安寧のために差し出された犠牲だった。オレたち支部の人間は……特に誤った判断をしたオレは、デリヤに詫びないといけない立場にある。それをまずは理解しておいてくれ。そんな目に遭っておきながらデリヤは今回、共に中央に立ち向かってくれた。命がけでだ。一緒に仕事をしたことがある者は知ってるだろうけど、技量もあれば知力もある。加えて中央での生活経験もあるし——本人は嫌がるだろうけど、中央ではまだ何かと効力の高い身分も持ち合わせてる。オレとしては、ここを任せられるのはデリヤしかいないと思っているんだ」


 兵らは戸惑っているようだった。無理もないことだ。だが、兵たちの猜疑の中に、これ以上デリヤを置いておくことはできない。


「例の件でデリヤを連行したのはオレだったし、最終判断を下したのは支部長だった。責められるべきはこっちで、デリヤじゃない。ただ今回デリヤにここを任せようと思ったことに関しては、この件は無関係だ。能力、背景、その他総合的に考えて適任だと判断した。任ずるにあたって……というより、デリヤが北に復帰するにあたって、以前あった冤罪事件についてこのままにはしておけないと考えたから、今こうして話してる」


 広がっていた動揺が、やや収まったように見られた。当時デリヤと関わりがあった兵たちは、複雑そうな表情で視線を落としている。セトはそれに懐かしさを覚えずにはいられなかった。友好的とは言い難いデリヤの素行をよくは思わないが、その優秀さを目の当たりにして、認めざるを得ない——そういう考えが透けて見える表情。あの頃、よく見たものだ。


「当然のことだけど、任命責任はオレにあるから、何かあったら責任は取る。今回の任命について異議がある者は、言いにくいかもしれないけど今言ってくれ。何か意見は?」


 かなり長い間待ったが、声は一つも上がらなかった。十分過ぎるほど確認して、セトは話を先に進める。


「なら、今まで話したことは決定事項として先に進める。ありがとう。黒軍との交渉はなるべく速やかに済ませて、こっちに戻れるようにする。未曽有の事態で皆それぞれに不安だと思う。ただ、オレたち一人一人のこれからの言動が、これからの世界のありようを決めていくことになる。各々、心して全うして欲しい」


 またも全員分揃って聞こえて来た返事の声を、セトは目を伏せて聞き届けた。この返事の数の分を——北で待つ分の兵の数も加えればもっと増えるが——背負っていくことになる。自覚と、覚悟を持たなければと自分に言い聞かせる。


「ありがとう。では、祠防衛隊の第一陣はこれよりエルティへ。その後休息と再編成を挟んで、目的地に進んでくれ。武運を。くれぐれも命を大事にして欲しい」


 送り出す側の気持ちを思い知る。こんなにも大きな不安を——いっそ恐れにも近いような感情を抱えて、それでもそれを飲み込んで、待ち続けなければならない者のこの痛み。信頼があっても、打ち消しきれはしない。だが止めることはできないのだから、後はもう願うしかなくなるのだ。


 だが、ここが祈りで出来た世界であるなら、この祈りとて無力ではないのかもしれない。そうであればいい。一礼をして去っていく兵たちの背の一つ一つを見つめながら、セトは彼らの無事を一心に祈り続けた。

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