【Ⅱ】—2 姉妹
ユウラはセトと共に、ソノ邸の客間にいた。多忙の副長ゆえこの場へ同行してもらうのは遠慮しようと思っていたのだが、セトの方が「妹と約束したから」と希望した。
再会の折に心を失っていたユウラは何を感じることもできず、ただ妹の姿を記憶し直しただけだった。数年ぶりの妹は随分大人になっていて、そして美しくなっていた。その身に耐えがたい苦難を受けてなお、ああして立てる妹。ユウラが思っていた以上にユイカは強く、凛としていた。妹を頼もしく思う気持ちと、自身を情けなく思う気持ちが混在している。もしあのときユウラが妹を救えていたら、妹はもっと弱いままでいられたのかもしれない。
一度目の再会と同じく、ユイカは駆けてやって来ているらしい。足音が響いてくる。ユウラも待ち切れずに立ち上がった。すぐに扉が開いて、ユウラとよく似た赤がまず現れる。
「ユイカ」
何を言おうか、どうやって謝ろうか。何度も考えては積み重ねて来た言葉が、その瞬間に弾け飛んだ。名前を呼ぶことしかできずに近づいた姉の胸に、ユイカは表情を定まるのも待たずに飛び込んで来る。上着の襟の辺りが、強く握られるのが見えた。
「お姉っ、ちゃ……うっ、う」
零れ始めた嗚咽は、すぐに叫びに変わった。
「うああぁん」
十は年下の子供のように、ユイカは泣いた。本当はずっと我慢してきたのだろう。どれほど辛く、どれほど孤独に思えたか。想像に余りある。
「ごめん、ユイカ、本当にごめん。あたしがすぐにユイカを助けられていたら」
ユウラの唯一の家族は、一生懸命に首を振る。襟を握り込む手の力が、わずかに強くなった。
しばらくは話ができる状態ではなかったが、ユウラが背を撫でているうちに幾分落ち着いたらしく、ユイカはやっとのことで声を絞り出す。
「違う、違うの、お姉ちゃん。私、お姉ちゃんが帰って来てくれて嬉しいからで」
「……それも、謝らないといけないわね。心配かけたわ。ごめんなさい」
「いいの。お姉ちゃん、会いたかった……」
恨まれていると、ずっと思ってきた。ユウラは妹を救えない姉だった。それなのに居心地のよい北支部の中で、腕を磨くことを口実に、自分だけは楽しく生きてきてしまった。無論妹を救い出すのを忘れたことはなかったが、なかなか行動に移せずにいたのは否定しがたい事実でもある。
しかし、だ。ユウラがそういう気持ちを抱えていることを伝えたとして、ユイカは喜ばないだろうことは知っていた。優しい妹は、自分のせいで姉を苦しめたと言うだろう。だからそれ以上の謝罪の言葉は、胸にしまっておこうとユウラは決めた。これまで何もできなかった分は、これから支えることで償っていくのだ。
「姉妹で話したいこともたくさんあるでしょうから、私はここで」
ユイカが席に着いた時、入れ違いにセトが立ち上がる。再会を見届けることが目的だったのか。
「もう少しゆっくりされていっては」
「ありがとうございます。ですが、仕事もありますし」
ソノの申し出を穏やかに辞して、それからセトはユウラに言い添える。
「夕方前までなら、こっちを空けてても大丈夫だ。ちゃんと今後のことも伝えて、相談しとけよ」
「ありがとう」
支部も多忙なことは分かっていたが、今ばかりはどうしても妹との時間が欲しかった。言わずとも意を汲んでくれた副長に感謝しつつ、彼の背を見送る。そうするたびに感じていた不安や心配が今はもうなくなっていて、それが無性に嬉しかった。
ソノやトウガも気を遣ってくれ、ユウラはユイカと存分に語らうことができた。傍にいられなかった間の時を共有し合う。ユイカは最も辛かったときのことをそう多くは語らなかったが、離れていた間の半分ほどは地獄のような日々の中にあったようだ。胸が苦しくなったが、それ以上に怒りが滾った。必ずこの手で、ユイカを苦しめた男を屠ってやりたい。
熾烈なほどに昂っていた感情を悟られまいと、ユウラがやや目を伏せたときのこと。ユイカの纏うドレスが、通常の腰で絞るタイプのものではなく、胸から下がふんわりとした形のそれであることに気づいて、はたと思い至る。
「ユイカ、もしかして」
「うん」
皆まで言わずとも理解したらしい妹は、そっと己の腹部へ手を触れさせた。慈愛の染みたその表情は、よく母が見せていたなと追懐する。
「冬の初め頃になるかなって。お姉ちゃん、色々あって、ソニモのことは許せないけど、でも私幸せだよ。大丈夫なんだよ。だからお姉ちゃんも、お姉ちゃんのために生きて欲しいって思うの」
おそらくユイカは、たった今ユウラが考えていたことの大体のところを読み取っていたのだろう。昔から人のことを良く見ている子だった。気を遣わせることや心配させることは申し訳ないのだが、ユウラは静かに首を振る。
「あたしは、あたしのために生きてるわよ。ユイカ、あたし、ソニモを討つわ。今度、奴と戦うための兵を出すんだけど、あたし、将になれそうなの」
「でも、お姉ちゃん」
「それがあたしのやりたいことなの。大丈夫、生きて戻るわ。約束する」
なおもどこか申し訳なさそうなユイカに、ユウラは笑いかける。
「このままじゃ、あんたが苦しいときに何もできなかったあたしを、あたし自身が許せそうにないのよ。でもこれは、自己満足だわ。何かできたって、自分で思いたいだけなのよ」
胸に当てた手から自分の内側を探るようにして、ユウラは言い、さらに続けた。
「それに、支部のために戦いたいって気持ちも強いわ。今ここで一人槍を置きたくない。再会したところですぐ、ユイカに心配をかけるのは本当に悪いと思ってる。ごめん。でもあたし、行きたいのよ」
申し訳ないのはむしろ、ユウラの方だった。この胸の内の全てを伝えきれただろうか。ユイカは少しの間静かにユウラを見つめて、その後ゆっくりと頷いた。
「分かるよ、お姉ちゃん。私も戦えたら戦いたいって、今回とても思ったもの」
ユイカはまた、自分の腹に触れる。
「ランテさんたちの話、聞いたよ。私もこの世界がなくなるなんて嫌。この子に会いたいし、大人になったこの子を見たい」
ユウラも、ランテと同じだった。世界を守るだなんて大それたことは、想像もつかない。しかし今目の前で切実に訴える妹の願いを叶えたいと思う気持ちに、何の偽りもないことは確かだ。
「ええ」
力強く頷いたユウラの前で、ユイカがふと茶目っ気のある笑みを見せた。
「セトさんって、お姉ちゃんの大切な人?」
唐突にそんなことをいうものだから、ユウラは一瞬固まってしまった。返事をしたようなものだ。隠すつもりはなかったが、少々気恥ずかしい思いをする。
「……そうよ」
「私、お姉ちゃんにも幸せになって欲しいよ」
その言葉に導かれるように、刹那だけ、ユウラは望む未来を見た。何もかもが無事に済んで、平和な世が訪れたら、剣や槍を置いて、手と手を取り合える日が来るのだろうか。
「お姉ちゃんも……それからきっとセトさんもだと思うけど、人のためばかりじゃなくて、もっと自分勝手になって欲しい。自分のために戦って欲しいなって、とても思うよ。自分自身だって幸せになれるように、絶対、生き残ってね」
身重のユイカは今、戦いたくとも身体を鍛えることすらできない。それに後ろめたさを感じているだろうことは、どこか悔しげな響きを持つ声から良く伝わってきていた。起ちたくとも、起てない者がいる。その人たちの想いも背負って、力にして、ユウラたちは敵に立ち向かうのだ。
「ありがとう。約束するわ」
生き残りたいと、強く思う。ソニモを前にしたときに冷静でいられるか、自身も不安なところがあったユウラだったが、セトの声とユイカの声が折り重なるようにして守ってくれる気がした。
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