【Ⅱ】—1 完敗

「で、指揮はお前が?」


「ええ」


 王都からの帰途、セトはユウラから祠防衛の出兵計画について聞いていた。街の中を歩きながらの伝達は、一見危険満載に思われるが、実はそうでもない。盗み聞きしようとする側の人間もこちらに合わせて移動しなくてはならない分、不審な気配を察知しやすくなるためだ。


「あんたが行くっていうのはなしよ」


「それは、分かってる」


 本心を言うのなら、指揮は自分が執りたかった。いや、指揮そのものをユウラに委ねることには何ら不安はない。癒し手が不足するだろう事態への危惧があるのだ。そして相手がソニモだということを踏まえたとき、このままユウラを送り出してよいものかどうしても迷いが生まれてくる。


「なら、何考えてるのよ」


「他に指揮が執れる人間がいないかを?」


「あたしじゃ勝てないって?」


 問うユウラの声は、とても静かだった。目を向けると、声と同じように凪いだ紅がセトを見つめていた。率直な見立てが聞きたいらしい。


「今の北には、ソニモ聖者相手に確実に勝てるって人間はいない。当然オレも含めて」


「あんたでもなのね」


「万全でも五分あれば……ってところじゃないか?」


 癒しの呪があれば、本来決していたはずの勝負を引き延ばすことができる。致命傷さえ避ければ、呪力不足か貧血に陥るまで何度でも仕切り直せる。そのため、勝率が一割でもあれば多少見込みが出て来るのだが、それも考慮に入れた上で五割がやっとというところだろう。


 個人戦なら難しい。だからこちらが仕掛けるべきは、多人数での戦いだ。できれば向こうが一、こちらが多で戦えれば理想的だが、多対多の乱戦でもいい。とにかく複数人で対峙したい。その旨を伝えると、ユウラは深く頷いた。


「そうね。あたしもそのつもりだったわ」


「分かってるならいいけど」


 言葉通りの「いい」という心中をしていないことは、すぐにユウラに伝わった。またも見つめられる。


「じゃあ、後は何?」


 口を噤もうとして、セトは止めた。真意を閉じ込める言葉も遠くへ追いやって、素直に述べる。


「心配なだけだ。しかも私情由来。支部長代理として客観的に今の戦力を見たら、お前が適任だし、お前しかいないのも分かってる」


「何を心配してんの?」


「妹絡みのことがあるから、お前が冷静でいられるか、だよ。今回の目的は祠の防衛で、聖者は討ち取らなくてもいい。たとえば相討ちにでもなったら、こっちの被害の方が大きくなる。今お前がいなくなったらどうなるかってこと、忘れないでくれ」


 三歩行く間無言かつ無表情でいたユウラが、ふと笑んだ。


「あんたが過労死しそうね」


「今でさえ三人に分裂したいくらいなんだよ。お前が戻って来てくれて、十人にはならずに済んでるけど」


「光栄だわ」


 ユウラが妹をかどわかしたソニモをどれほど憎んでいるかは、事あるごとに見せる表情でセトにも伝わって来ていた。自ら手を下したいという切なる気持ちは分かる。たとえ自分の身を危ぶめようとも、というほどの覚悟があることも知っている。その覚悟は、自ら武器を取れるものが与えられる権利の一つであることとて、無論わきまえてはいるが。


「お前を死なせるくらいなら、祠を落とされる方がまだましだ、くらいには思ってるんだよな」


 視線を横に流して、今放ったばかりの言葉がユウラにどう響いたかを、セトはそっと観察した。期待通り驚いたらしいその表情を見て、多少の安堵を得る。


「でも、あたしたちが守るのは風の祠よ。呪を失えばあんただって困る」


「風呪がないと使い物にならないって?」


 先のユウラの問いを真似て聞くと、彼女は眉を寄せた。思わず軽く笑うと、ますます険しい視線を向けられる。


「オレ個人で言うと、光呪の適性も残念ながらあるんだよな。多分だけど、代用はある程度利く。組織としてで見ると、風呪を使う人間が他より多い北は、痛いのは間違いない。でもそれだって全体の人口で見れば少ない方だし、兵にとっては取り返しのつかない問題でもない。呪を専門でやってるやつには大体別の属性があるし、武術をやってるやつにはそっちがある。さらに世界の話だと、祠一つの陥落で今すぐどうにかなったりもしないだろ。だから」


 理屈ばかり並べてしまう自分に内心で苦笑してから、一呼吸置いた。そして言う。


「必ず生きて戻ること。オレからの指示はそれだけだ。後はお前に一任する」


 いつも言葉でくさびを打たれるのは自分の方だった。実際それに何度も阻まれて救われて、だから今ここにいる。今回はそれをこちらがするのだ。


「信じてる」


 以前なら絶対に言わなかったであろう一言を添えて、セトは静かに微笑んだ。行くなと言えればどんなに、と思う心はある。しかし、こういうあり方が自分たちの選んできた道だ。互いの譲れないものを尊重し合うなら、背中を預けて共に敵と対峙するところに行きつくのだろう。ずっと前に知っていたはずの答えを、ようやく受け入れる。


「……分かったわ。生きて帰る」


 神妙な顔だった副官は、そこでいつもの彼女らしい強気な光を戻した。


「信じてていいわよ。あたしがあんたの信頼を裏切ったこと、ある?」


「ないな」


「でしょ」


 答えの方も大変彼女らしいものであったことに、幾分ほっとする。それでも全ての不安が拭えたわけではなく、二歩三歩と行くうちに、たった一点に過ぎなかったそれがわずかに増幅していくのをセトは感じていた。やや落とした視点で、ユウラは大体のところを察したらしい。


「怒るわよって言いたいところだけど、今回に限っては許してあげる。相手が相手だものね」


「信じてないわけじゃないんだけどな」


「分かってるわよ。なら、セト」


 ユウラが二歩先へ行って、セトの進路を塞ぐように立ち、振り返った。


「保険、もらっておくわ」


「保険?」


「誓いの呪の使い方」


 閉口したセトの前で、ユウラがまた一歩踏み出す。すぐ傍に立った彼女は、もう一度強い笑みを見せた。静かにこちらを見上げるその顔は、勝ちを確信したような。


「誓いの呪を、あたしに教えておいて」


 こちらが言葉を見つけられないままでいても、ユウラの表情は変わらない。


「それとも、何? 誓うくらいなら死んだ方がいいって言うつもり?」


 ユウラが真に言いたいことは、少し前から透けて見えてはいた。今述べられたことではない。分かっている。そしてユウラも、こちらが理解することを分かった上で言ってきたのだろう。


「ほんと手に負えないな、お前は」


 セトが苦笑混じりに言うと、ユウラはかすかに瞳を細くした。


「当たり前でしょ。あたしの勝ちね」


 本当は、知っていたのかもしれない。目の前の彼女が、いつか自分を縛める事象の全てを壊し尽くしてしまうかもしれないことを。知っていたから離れていたかったし、近くにいて欲しかった。まだ全てではないかもしれないが、驚くほどに身体が軽くなっていることをセトは自覚する。


「ほぼ完敗だ」


 誓いの呪の使い方を教えたらそれは、誓う者であるという不安定な在り方を、死ぬよりはいいと認めることになる。それは翻って、半分同じ存在である自分にも一定の価値を認めることになってしまう。そこまで分かっていても、返事は決まっていた。


「分かった、教える」


「ええ」


「極力使うなよ」


「分かってるわ。でも、死ぬよりはいいでしょ」


 もう一度、ユウラは明確な言葉の証を求めて来る。あの一件があってから、確実に一歩内側へ踏み込んでくるようになった。反射的に距離を取ろうとする自分はまだ残っていたが、セトはそれを深い頷きで捻じ伏せた。


「そうだな」


 死ぬよりは、意志だけの存在になったとしても帰ってきて欲しい。しかし一番は、何事もなくそのままの彼女で帰ってきて欲しい。きっと同じだろう。だから、これまでの考え方では、戦い方では、いけない。こんなにも自分が変わる日が来るなんて思ってもいなかった。


 誰も死なせない、だけではなくて、誰も悲しませないように。セトはそっと帯びた剣に手を触れさせる。より難しい道に踏み入った。なればこそ、歩き甲斐のある道なのかもしれない。


 ついて来た太陽が、建物の陰から顔を出した。受けた光の温かみを感じたのは、随分久しぶりのことだった。

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