【Ⅰ】—3 全霊

 開始の合図は、ランテが下すことになった。この勝負の結果如何で二つの勢力が手を結べるかが決まると思うと、普段の手合わせのときとは違ってとても緊張する。


 一つ、深呼吸した。それから顔を上げる。


「じゃあ、いきます。始め!」


 ランテが声を張ったと同時に、剣が強くぶつかり合って高鳴った。驚いたことに、攻め合いながら双方微かに笑んでいる。最初の一挙で互いの実力を認知し合ったのだろうか。その表情は揃って強い相手と戦えるときの喜びが表れたそれだ。ランテはまだ理解しきれない、高みにある者たちだけが味わえる高揚の世界に、二人はいる。そう思うと少々羨ましくなる。


 ユウラの剣は、以前デリヤと初めて会ったあの館でちらりと見ただけだったが、セトを手本にしているのがよく分かる剣筋をしている。ただ本人の気質が反映されたらしい差は見受けられた。たとえばセトはあえて隙を見せるなどして——癒し手ゆえでもあるのだろうが、何なら多少の怪我は厭わないというくらいの思い切りの良さがある——相手を読み合いの剣のやり取りに誘い出すが、ユウラの剣は守りが厚いしもっと素直で、純粋な力と技の比べ合いを求めるような試合の運び方をする。ジェーラの猛攻にも一つ一つ堅実に対応している。眺めていて、ランテは思う。ユウラは剣も一流だ。先ほど止めに入ろうとしたことが申し訳なくなるくらいに、彼女には危なげがなかった。


 互いを試し合うような、それでいてこの瞬間を楽しみ合うような応酬がしばらく続いて、先に大きく仕掛けたのはユウラの方だった。剣を両手で握って渾身の力で切り上げて、ジェーラの体勢を崩させる。なおも強く力を込めた剣戟を放とうとしたユウラだったが、どうしたのか、振り下ろす途中でやや力を抜いたのが分かった。そこまで全て見切ってだろう、ジェーラは後ろへ飛びのいて片手を上げる。一旦休止の合図だ。


「お嬢さん、普段は長物使いかい?」


「槍を主に」


「本来とは違う得物でその腕か。しかも、その若さで。見くびって悪かったね。あんたたちのこと、認めようじゃないか」


 ユウラはジェーラへ軽く頭を下げてから、抜身のままの剣を見つめた。


「すみません、少し傷めたと思います」


 申し訳なさそうにオーマに歩み寄る姿を見て、ようやくランテは先の加減の理由を知った。ユウラは剣の負担を心配したのだ。


「傷んでいたのは元々さ。気にしないでくれ。替えは倉庫にたくさんあるしな。それよりいいもの見させてもらった。王国騎士にスカウトしたくなるな。荒っぽいジェーラより上品で華があるし」


 先にジェーラが過激に反応したので、ユウラは会釈だけして戻って来た。


「お疲れ。ありがとな」


「いえ、良い経験になりました」


 王都の人たちに対しての体面に気を遣ってだろう、ユウラはセトに敬語で応じて隣に立った。何も気にせずいつも通り話していた自分を思い返して、ランテはまた自分を恥じる。


「今日は救援ついでの打診だと思ってくだされば。こちらでは正式なやりとりには文書を出すのがしきたりですが、その形でよろしいでしょうか」


「それでお願いします」


「では今日のうちにも。何かお力になれることがあれば、いつでも仰ってください。人手、食糧、資材、それに必要なら武具も用意できますので」


「ご厚意感謝致します」


 セトとミゼの間で改まった会話がなされる。その後、「我々はこれで」とセトが辞そうとするのでランテは惑った。残るか戻るか、どうすべきだろう。セトはそんな様子のランテにすぐ気づいて、声を掛けてくれた。


「お前はここでやりたいことも多いだろうし、残ってもらっても大丈夫だ。何か急ぎのことがあればこっちから遣いをやることにするよ。ただ、手が空いたら本部にも顔を出してくれ。できれば二日に一度は直接会えるとありがたい。頼めそうか?」


「うん、できるだけ毎日行くようにする」


「そうしてくれると助かるな。お前はオレたちにとっても、いてくれないと困る存在だから」


 役に立てていると言ってもらえたようで、その言葉はとても嬉しかった。勢いあまって二度頷くと、セトはちょっと笑う。穏やかな気持ちになりつつ、ランテは先に戻るセトとユウラを見送った。






 広間に残った者たちで顔を見合わせる。困惑の表情が多く並んでいた。それもそうだろう。ランテは事実を知る前に現代の世界を体験していたから、疑うことなく受け入れられたに過ぎない。王都の人たちは先程まで七百三十七年前を生きていたのだ。どう信じてもらうかは難しいことだ。


「何にせよ、ベイデルハルクを倒すってことでいいんだろ?」


 ジェーラが放った一言が、ランテの苦悩をすっぱりと両断していった。そうか、と思う。流れた時を無理に受け入れる必要はないのかもしれない。ベイデルハルクを倒すという目的さえ一致していれば、現代の人々と手を結んで戦うことはできるはずだ。


「奴を討つのは当然だな。陛下の仇だ。だがその前に、その陛下を始め亡くなった方々の追悼をしよう。まず心の整理をつけてからじゃないと、真っ直ぐ前には進んでいけんさ。どうですかね、姫様」


「ええ、そうしましょう。明日……で、いいでしょうか」


「そうですね。別れを惜しみたい者もいるでしょうし、明日全体の儀式を行い、以降遺体は順次葬っていく、という形でよいかと。いつまでも残しておくわけにもいきませんしね」


 オーマの提案で、目下すべきことは定まった。マイルが腰を上げつつ言う。


「じゃあとりあえず今日は、引き続き救出活動——は、ほとんど終わってますかね。瓦礫の撤去やら修復作業ってことでいいですね?」


「お願いします。また夜に一度ここに集まりましょうか。月の見える頃に」


 ミゼの提案に了承の返事をして、全員が動きかけた時だった。ふと零されたマイルの声に、紫の軍の者たちがぴたりと静止する。


「レイグさん、ここにも来ねーのか……」


 全員揃って瞳を暗くしたものだから、マイルは青ざめた。ランテはきゅっと拳を握る。もう、言わなくては。


「……レイグさんなんですけど、ベイデルハルクに誓わされたかもしれないんです」


 しんと静まった。最初の反応は隣のミゼから返される。


「どういうこと?」


 震え切った声がランテの心を振動させる。それでも、伝えなくてはいけないことだった。


「今度、祠にレイグ聖者と言う人を派遣するんだって……特徴も、レイグさんに似ているって話で、レイグさんが進んでベイデルハルクに従うわけがないし、七百年以上生きているなら、誓わされたんじゃないかってなって」


 ミゼの姿が、一瞬、大きく揺らめいた。呪力の、引いては心の乱れによるものだろう。心配になったランテはミゼに手を伸ばしたが、ちょうど形を失っていた器はそれを受け入れず、空気だけを掴むことになった。


「野郎」


 ジェーラが怒りをそのまま言葉にしたことで、ミゼは少々落ち着きを取り戻したらしい。ランテの手の内に彼女の右手の感触が帰ってくる。


「レイグ近衛騎士長のことも、今後考えましょう。まずは王都を立て直さないといけません」


 強く握り込んで小刻みに震える拳を背に隠して、ミゼは気丈に顔を上げる。


「オーマ、あなたに王国騎士の長を務めてもらいたいのですが、構いませんか。ジェーラにはその補佐の副騎士長をお願いしたいです」


「はっ、謹んで」


 オーマとジェーラの声が重なる。レイグを欠く今、この二人が上に立つのが適当なのは、皆の共通認識であるだろう。当然反対意見など上がらなかった。ミゼはその後兵士長や貴族たちにも——ランテが知らなかっただけで、名のある文官たちだったようだ——それぞれ改めて任命をする。皆、恭しく引き受けた。


「ここにいる者たちで、これからの王都を支えていきましょう。皆、不安がっています。我々が皆に道を示さねばなりません。明るい場所に繋がる道を」


 震えを押し殺し、凛と言い切ったミゼは、その後声色を変えて続けた。


「お話した通り、私は国を簒奪者ベイデルハルクに明け渡した売国奴です。そして今や人の身ではありません。ですから本来であれば、こうして皆さんの前に立つべきではないのです。ただ今この状態にある王都が王を失えばどうなるか、多少の想像はつきます。最悪の事態を避けるため、ひとまず私が、王族最後の生き残りとして象徴になりましょう。ベイデルハルクを討つまで、力を貸してください」


「いいや姫様」


 声を上げかけたランテを制したのは、オーマの声だ。


「姫様は国を売ったんじゃない。最大限国を守ったんだ。そして王都の人間の命も。ですから、そんなことを言わないでください。それに、我々が欲しいのも、そういう言葉ではありませんよ」


 傷んだ剣ですみませんね、と断って、オーマは刷いていた剣を鞘ごと引き抜くと、ひざまずいてミゼに捧げた。


「我が剣は、我が志は、我が主ミゼリローザ様のために」


 それは、騎士の誓い。主と仰いだ唯一の者を身命を賭して守り続けるという、最も重くて最も尊い誓いだ。


 オーマにジェーラが続き、マイルが続く。ランテもその後続いた。兵士長が「騎士の位にはありませんが」と恐縮しながらもしたがい、その後は文官たちも剣の代わりに手を掲げて倣う。


 これが、重圧にならなければよいが。案じてランテがちらりと顔を上げると、ミゼは少々自責の念を覚えていそうではあるものの、皆を眩しそうに見つめ、ほんの少しだけ微笑んだ。


「ありがとうございます」


 それから唇を引き締めて、誓うように。


「もう二度と、ベイデルハルクの思う通りにはさせない。力を尽くして、人を、命を、守ってみせます。皆さんの力、私に貸してください」


 ランテはここで初めて知った。ミゼのために尽くしたいと願う理由が、ただ彼女を恋しく思うためだけではなかったことを。ランテは剣を捧げたい相手としても、ミゼのことを慕っていた。どんな苦境にも背を向けない彼女をこそ、主として仰ぎたいと。ランテの騎士としての魂が、全霊でそう叫んでいた。

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