【Ⅳ】—1 葬送

 翌日、日が一番高い頃。王城の中庭には、多くの人々が押し寄せるように集っていた。朝から何度か行われたミゼによる王都全体への呼び掛けで、【葬送の儀】のために足を運んだ者たちが大勢いるのだ。


 中庭を一望できる王城三階のバルコニーに、ミゼは立っている。オーマとジェーラ、そして特別にランテもその傍に控えることを許されていた。民たちはミゼの姿を認めると口を閉ざしていくようで、徐々にざわめきが鎮まっていく。もっとも、初めからそれほど騒々しくはなかったのだが。


 鳥の声が聞こえるほど静まったとき、ミゼは深々と腰を折った。背から滑り落ちた髪がゆらゆらと何度か揺れるまで、頭を上げずにいる。王族の一員が頭を下げることの是非を論じる者もいるかもしれない。しかしランテは、その姿に美しさと深い誠意とを感じた。きっと、同じように心打たれる者もたくさんいるはずだ。


「あまりにも多くの命が、失われてしまいました」


 おごそかに、ミゼは切り出した。


「大切な人を亡くした方はもちろん、大きな怪我をされた方や、住む場所を破壊された方、そして大事な財産を失った方……皆さんそれぞれに本当に大変な目に遭われて、まだ整理がつかないでいらっしゃることと思います。ですが亡くなった方々をお送りする前に、どうして尊い命が絶たれなければならなかったのか、今回起こったことをお話しておかねばならないと考えました」


 昨晩の会議で、ミゼ自身が望んだことだった。多くの反対があった。失われたものが大きければ大きいほど、人は何かを責めたくなる。今回のことはベイデルハルクに全ての責任があるにもかかわらず、事情を知らない者はそれを防げなかったとミゼを責めるかもしれない。ベイデルハルクはおおやけにはミゼの婚約者だった。それを理由にして、理不尽な怒りを向けられる可能性があるのだ。だから他の者が真実を伝えるべきだとオーマは提案したし、ランテもそれに賛成したが、ミゼが譲らなかった。


 ミゼは、事実のみを話した。これまでの王が明らかにしなかった、世界のありようにも言及した。そして最後に、惨事と滅亡を防げなかった己を詫びた。民たちは、何も語らない。王都の外で七百年以上の時が流れたことに話が至ってようやく、多少動揺が感じられただけだった。話が壮大過ぎて想像がつかなかったのか、それともショックが大きすぎて受け止めきれなかったのか。民たちの顔は、少し下がったランテの位置からはよく見えない。


「……皆さんが何も仰らないのは、私が恐ろしいからでしょうか」


 全て話し終えても、誰も大きな声は上げない。それを確認してから、ミゼがぽつりと言った。闇呪が拾って、中庭中——いや、王都中にその声が響き渡る。その後、また鳥の声が聞こえ始めた。しばしその声を、皆で聞き続ける。


「始まりの女神の力の半分を宿した私は、確かに今、大きな力を持ちます。そして人の身を捨てた今、簡単に消滅することもありません。恐れられて当然の身の上だと、理解はしています。ですが……王家の最後の生き残りとして、今回の事態の全ての責を受け止めるつもりでここに立っています。こうなったのは、私の判断によるところが大きいのも既にお話した通りです。どうか皆さんの心の声を、私に聞かせてください」


 ランテは、止めたかった。既にたくさん、本当に数えきれないほどたくさん辛い目に遭ってきたミゼに、これ以上の苦痛を与えたくなかった。いくらミゼがそうすることが贖罪だと言っても。


「ミゼリローザ姫様。この死にぞこないの老いぼれが口を開くことを、お許しくだされ」


 ミゼの闇呪は、大勢に聞かせたいという意志を持った声だけを拡声する。大勢の中から拾われた声は、自分でそう言った通り、かなり年を重ねていそうなしわがれ声だった。


「姫様が王国を守ろうと長い間頑張ってくださったことは、私らもようく分かりましたよ。たった独りで、よう頑張ってくださった。ほんにありがとうございます。一方で、姫様が責めを欲する気持ちも、よく分かりますわい。だけどもねえ、姫様……」


 おそらく男性と思しいその声は、そこで少々躊躇った。しかし少しの間の後、意を決したように言葉が続けられる。


「私らにはね、正直なところ、まだよく分からんのです。いや、ゆっくりしておられん状況は分かっているんじゃ。丁寧にお話してくださいましたからな。それに、さっきも言ったように、姫様の御心の一部もよく理解したつもりでおります。けどもね、私は自分よりずっと後に死ぬだろうと思っていた息子と、孫まで一人亡くしましてね。悲しくて悲しくて、もうそれだけで一杯なんです。どうか、少し時間をくれませんかね。姫様の中では長い長い時間だったかもしれませんが、私らには昨日のことです。今日一日でもいいですから、ゆっくり悲しませてくださいませんか」


 老人の言葉は、民たちの想いを総括したものだったのだろう。それ以上の声を闇は響かせない。民たちの喪失感の源は、今回の事件で失われたものばかりではない。王都の外に知り合いがいた人は、その人たちがとっくの昔に亡くなっていることも今知ったことになろう。故郷も失われているかもしれない。心が追いつかないのは、もっともなことだ。


「……すみません。仰る通りです」


 ミゼは、こうして人の前に立つことに後ろめたさを感じているのだろう。それが許される身であるかをまず民に問いたかった気持ちは、ランテにも理解できる。ただ、民たちは溢れる悲しみに一つの区切りをつけるまで、次のことを考える余裕はない。怒りをどこに向けるべきか、立ち上がって何をするか。そこに思考を向けるためには、老人の提案通り時間が必要だ。


「まずは犠牲になった方々を送りましょう。そして悲しみが癒えるまで、皆で寄り添い合って、支え合っていきましょう。これからのことはそれから考える。それまでは私が、全力で皆さんをお守りすると誓います」


 顔を上げ直したミゼは、そこまで滑らかに述べて、ゆっくりと胸の前で指を組む。


「これより葬送の儀を執り行います。失われた命が安らかに眠れるように、いつかまた幸福な生を得られるように、皆で祈りましょう」


 王国では百日に一度、亡くなった人たちを弔うための儀式が行われていた。故人を偲び、そして死後と転生の末の幸福を祈るための【葬送の儀】だ。王が長い祈りの詞を唱えて、その間各地から集った故人の血族らが黙祷を捧げる。


 王都滅亡の日から数え直すにしても、外の世界の日付に合わせるにしても、今回は既定の日からは遠く離れているが、急遽行うこととした。資料がすぐには見つからず、ほとんどの準備が間に合わなかった中、ミゼの祈りの詞だけは完璧だった。鳴き上手の鳥の音よりも澄み渡った声が、大勢の哀しみを包むように流れていく。その声に誘われるようにして、ランテの眼裏まなうらにも両親の顔が浮かんできた。


 三番街の復旧作業はまだ思うようには進んでおらず、ランテの両親も見つかっていない。二人はもしかしたら、冷たい土や瓦礫の下で今も助け出されるのを待っているかもしれない。そうなればもう命はないだろう。そうでなければいいと、もちろん願っているし、信じてもいる。だが、こんなに会えないなら——


 滲みかけた涙をランテはどうにか引っ込めた。まだ決まったわけではないから、こんなところで泣いていてはいけない。葬送の儀が終わったら弔いが始まる。そのときに、自分の目で並べられた遺体の中に両親の姿を探してみよう。これまで、安置所は丁寧に見てこなかった。だが、もう、逃げているわけにはいかない。


 そうして気づいた。これまで多忙ゆえにそうしてこなかったけれど、ランテにも立ち止まって思考を整える時間は必要だったのだ。再び前を向いて歩き始めるためには、感情を押し殺してじっと耐えるのが正しいのではなくて、溢れる感情を素直に受け入れることの方が正しいのかもしれない。三階まで聞こえてくる多くの人の泣き声を聞きながら、ランテはそう思った。

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