3:掲げた虹

【Ⅰ】—1 恩返し

 立ち尽くしていてよい状況でないことは、ランテとて理解していた。大急ぎで涙を拭って顔を上げる。


「マイル、皆を助けないといけない。手伝って」


「ああ。だけどベイデルハルクとかはどうなった? っていうかお前は大丈夫なのかランテ? なんか着替えたよな? 着替えは姫様もか」


「今はいないんだ。オレのこともだけど、話すと長くなるから、後でいい? とにかく町の人を早く救い出さなきゃ」


 瞬き一つ分の時間さえ今は惜しい。ランテの気迫が通じたか、マイルは依然心配そうな顔だったが、一応のところ頷いた。


「よく分からないが、今は平気ならまあいい。自警団も動かすか。ざっと見たところ三番街の辺りが一番やばいからそこが最優先だな。レイグさんは?」


 例の可能性について紫の軍の仲間たちに話して聞かせたら、皆どれほど悲しみ、怒るか。ランテは両の拳をぎゅっと握った。今伝えるべきではない。それくらいは分かる。


「……ここにはいないんだ」


「いないって……ああ、城か? そっちの手が離せないなら、こっちはオレらでやるしかないか。こんなんじゃ指揮系統も機能しないだろうし、各自やれることやるしか」


 二人の会話に、ここでミゼが加わる。


「いえ、マイル。指揮は私が。闇呪を使えば城まで含めた町全体に声を響かせることができます。動ける者は周囲の人命救助、手の空いている者は三番街に、でいいですね。重傷者はここまで運んでもらいましょう。癒し手にもなるべくここに来てもらいます。それで大丈夫でしょうか?」


「え、あ……はい。問題ないかと」


 マイルの両目が、丸く大きくなった。呆気に取られたようだ。ミゼに流れた時の長さを彼は知らないから、彼女が急に大人びたように見えたに違いない。彼の返事を聞くと、ミゼはランテにも視線を寄越した。ランテが頷いたら、ミゼは少し顔を上げる。同時に、さっと薄闇が駆け抜けた。それがミゼの声を乗せて王都中に伝えていく。


「王都の皆さん、私は王姪ミゼリローザです。皆さんを脅かしていた暴徒は退き、精霊は鎮まりました。周囲の環境が変わるなど、驚かせてしまう部分もあるかもしれませんが、もう大丈夫です。安心してください。国を混乱に陥れたこと、多くの方の身を危険に晒したこと、お許しください」


 ざわめいていた町が、しんと静まる。ミゼの声はいつでも自然と人の心を惹きつける。


「申し訳ありませんが、動ける方、お力を貸していただけないでしょうか。三番街が大きな被害を受けています。人手が必要です。ですが危険な状態ですから、救出活動の際はどうかご無理のないように。そして重傷の方及び癒し手の方は広場へ。私も広場におります。皆さんを不安にさせたところなのに、お願いばかりですみません」


 響きが消え入ってしばらくすると、再び人の声が溢れた。先ほど歩いたときはあまりに静かだった街に、今は人の気配が満ちている。この命の温もりを守らなくてはならない。


「ランテ、あっちに何人か動いてる奴がいる!」


 マイルが指さした先、少し離れた瓦礫の山付近に、何人か身じろいでいる者たちがいる。すぐさま駆けて行ったマイルを追いかけて、ランテもそちらへ走った。後からミゼも続くのが分かる。


「大丈夫ですか! 今助けます!」


 ランテたち三人は、以降、救出作業に忙殺されることになった。





「重傷者から手前に並べてください! 軽傷者は申し訳ありませんが奥へ!」


 今や広場には怪我人が溢れていた。エデを含めて癒し手は八名程度集まっていたが、それでも全く治療が追いついていない。こうしている間にもまた一人二人と重傷者が運ばれてくる。


「すみません、重傷者は滅多に癒すことがなかったので……」


 運ばれてくる者の中には、目を背けたくなるほど凄惨な傷を負っている者もいた。平和だった王都では、事故による骨折でも大騒ぎしていたくらいだ。惨状を前にエデが顔を真っ青にしながら弱々しく言うが、それも当然の反応と思われた。一人当たりの治療にも大変な時間がかかる。これでは一刻を争う重傷者の治療が済む前に、癒し手たちの呪力が枯渇してしまう。


 ランテとマイルも負傷者たちの手当の補助をしているが——ミゼは幻惑の呪で負傷者たちの痛みを緩和したり、エルティでセトにしたように重傷者たちの命を繋ごうとしたりしてくれている——見る間に増えていくのを見ていると、焦りばかりが募っていく。ランテが今傷口を抑えて止血しようとしている男性は、もう意識が朦朧とし始めてしまっていた。


「しっかり、しっかりしてください!」


 血は止まらず、ランテの制服の上着を使って両手で必死に傷口を抑えているが、元から赤い服だったのではと見紛ってしまうくらいに染め上がってしまっている。呼びかけに応える声も、もうなくなってしまった。


「お願いだ、死なないで! 癒し手の人、誰か、早くこの人を!」


 止血に励む以外には、もう祈ることしかできない。呼びかけに応じてくれる癒し手の姿を探すが、皆他の重傷者の治療で手一杯だ。どうしよう、どうしたら。


「あっ」


 ふいに、男性の苦悶に歪む顔が和らいだ。死んでしまったのか。視界がみるみる曇っていく。涙が盛り上がってきたのだ。また、何もできなかったから、泣くしか——


「え」


 いや、違う。抑えていた腹が動いている、生きている。そっと上着をどけてみた。あれほど深かった傷が、綺麗さっぱりなくなっている。良かった——


 とん、と、肩に手が載せられた。


「瀕死の人はオレのところに」


 その人を仰ぐ。彼は、いつもこうしてランテを助けてくれる。


「セト……」


 名を呼べば彼は微笑んだ。ああ、と思う。この笑い方、これがセトだ。初めて会ったときと同じ、あの親しみやすくて穏やかな笑み。やっと、ちゃんと完璧にセトらしい笑い方を見た。相変わらず肩に感じる体温は常の彼よりずっと熱いのに、なぜか思う。きっと、もうセトは大丈夫だ。


「セト、身体は? 寝込んでたって聞いてたけど」


「この状況で寝てられないだろ。副官許可も下りてるからご心配なく。っていうか、起こしてくれたのはユウラだしな。呪力は万全。癒しの呪を使うだけなら何も問題ない。ランテ」


 肩がもう一度軽やかに叩かれる。


「誰も死なせない、だろ?」


「……うん、うん!」


「ひとまず、重傷者三十人はいける。やばい人から治していくから、見つけ次第呼んでくれ。神僕にも声を掛けてるから、後から来てくれるはずだ。救出作業の方も北の兵を連れて来た。ユウラに指揮を執ってもらってる」


「分かった!」


 自然と声が弾む。涙が出てきそうなくらいに心強い。先ほどまで気が逸って苦しくて仕方なかったのに、今では勇気が次々湧いてきて、誰も死なせないと力強く思えている。鼓舞してもらえた。長い時を超え現代にやって来てから得られた繋がりが、ランテを支えてくれていると実感する。


 命の危うい重傷者を探して駆け出しながら、ランテは己の役割を悟った。セトたちはきっと目の前で困っている人たちを捨て置いたりはしないだろうが、もしランテやミゼと出会っていなかったら、こんなにも速やかに救助には来れなかっただろう。ラフェンティアルン王国の人間と、今の世界に住む人間とには、流れた時の分だけ隔たりがあるのは間違いない。互いを信じ合えるようになるためには、どうしたって時間がかかる。本来は長い時間をかけて分かり合っていかないといけない。その必要だったはずの時間を短縮するための、仲介役。対岸に生きる者たちの間に橋をかけて結びつけるのが、両方と関わって来たランテに求められる役割だし、その働きはこの世界で唯一、ランテにしかできないだろう。全うしたい。しなくてはならないとも思う。


 これは後から聞いて知った話だが、今回北の兵たちは全員武器を王都の外に置いて救助に来てくれたのだという。何も知らない王都の人たちが、見慣れない顔と姿の自分たちを見て恐れることがないようにと配慮したためなのだそうだ。そこまでしてくれたことが嬉しくて、ランテはミゼと一緒に何度もセトたち北の面々に頭を下げたが、彼らはこう言った。


 先にエルティの人々を守るために尽くしてくれたのはランテとミゼだと。これはその恩返しに過ぎないと。だから礼を言われることではないのだと。


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【更新再開のお知らせ】

 長らくお休みをいただいていてすみませんでした。今日からまた連載を続けていきますが、しばらくは不定期でまったりとやっていくつもりです。お待たせすることもあるかもしれませんが、気長に待っていただけると嬉しいです。また読みに来てくださり、大変嬉しいです。ありがとうございます。そして、よろしければこれからもお付き合いくださいませ。

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