【Ⅴ】—2 剣

 ランテとミゼがひそかに剣と呪を練習してきた、隠れた特訓場へと二人で足を踏み入れる。奥まったところにあるからか、そこは破壊の手を逃れて、ほとんど当時のままの姿で残されていた。もっとも、付近に植えられた植物は成長しすぎて与えられた領域からはみ出そうとしてしまっていたが、他の場所に比べると些細ささいな変化と言える。


 蘇った温かな記憶が、両親のことで波立っていた心を包み込むようだった。不安が失せはしないが、多少は気がまぎれる。


「あの頃はまだ、中級紋章呪も満足には扱えなかったわ」


 ミゼの機微だけは、誰より感知できるとランテは自負していた。懐かしむ表情の中に、ランテの両親の安否を彼女も気にしてくれているのだろう、隠し切れない影がある。いけない、と思った。ミゼにはもう苦しみも悲しみも感じさせたくない。彼女はとっくに一生分の辛さを味わっているのだ。全てを防ぐことはできないかもしれないが、可能な限りミゼをそれらから守りたい。その思いは、ランテ自身をも鼓舞してくれる。


「あの頃に比べたら、オレも少しは上手に剣を振れるようになったと思うんだ」


 言いながら吊った剣に触れた。記憶をなぞりたくなってきて、柄を握って引き抜く。あの時振っていたのは訓練用の剣だったけれど、きっと振り心地はそう変わらない。


 王国には剣術練習用の型があって、ランテはそれを今思い出した。上から下へ真っ直ぐ縦に入る切り下ろし、左下から右上への切り上げ、右から左へ横に一閃、左上から右下への斜め切り、そして最後に突き。これの上下左右を完全に反転させたものを一度繰り返して、一セットだ。あの頃と同じように行ってみると、懐かしさと一緒に違和感も覚えた。それが自身の成長によって芽生えたものだと気づくまでに、しばしの逡巡を要する。


「速くなった?」


「速くなったし、ええと……そう、力強くなったわ。力がよく乗っているって言えばいいのかしら」


 見習いを卒業してからの時の流れと、そして目覚めてからセトやユウラ、フィレネ、デリヤと重ねてきた訓練の賜物だろう。ミゼは複雑そうだったが、ランテは素直に嬉しかった。


 ——別人という言葉、わたくしは比喩のつもりで用いましたけれど、もしかしたらそれが真相に近いのかもしれませんわ。


 そのときフィレネの声がランテの頭の中を駆け抜けて、気づけば頷いていた。フィレネの言う達人の域の剣術をランテが見せたのだとすると、それはもうやはり別人のものとしか思えないのだ。記憶が戻ってから、王国時代に磨いてきた剣術と、今の世界で目覚めてから培ってきた剣術とがランテの中で融合して、これまでで一番剣を上手く扱えていると自分では確信している。これ以上をランテは知らないのだ。フィレネの後ろを取ったときはただ一生懸命で、心は自分でも不思議なほどに剣に乗っていたが、自分の頭で自分の身体を制御している状態ではなかったと思う。フィレネに出された課題の答えに、ランテはたった今到達した。ランテがフィレネを上回れるのは、無我になった瞬間だ。ランテの身体を何か別の者に渡している瞬間なのだ。女神が勝手にランテの身体で呪を使うときと同じように。


 その“別の者”が女神ではないのだとしたら。


「始まりの王……」


 自分の呟きを自分で聞いて、ランテは息をついていた。何の根拠もないけれど、なぜか間違いないと信じていた。


「ミゼ、始まりの王って凄腕の剣士だったりした?」


 脈絡なくそんなことを言い出したランテを、ミゼは不思議そうに見上げている。


「ええ。口伝では、剣の才にとても恵まれていたと」


「じゃあ、やっぱり始まりの王なんだ」


 戸惑いばかりに染まった瞳を見て、ランテは自分が一人で勝手に話を進めていたことに気がついた。


「ごめん、ちょっと分かったことがあって」


「教えてくれる?」


「うん」


 植え込み前に積まれた煉瓦れんがに腰を掛けて——植物の成長のせいで随分座りにくくなってしまったが——ランテはミゼも同じ場所に誘った。昔もこうして語らったのを思い出して、追憶に浸りそうになる。どうしたって、この気持ちが偽者だとは思えなかった。ランテはランテとして今ここに存在していることを強く実感する。


「ミゼ、その前にいい?」


「どうしたの?」


「オレのことなんだけど、オレ、やっぱりランテだと思う」


「え?」


 ランテがつたない言葉で語り始めてしまったから、最初、ミゼはランテの言いたいことを理解できないようだった。美しい宵色の瞳がすっかりランテの姿を写し取ってしまいそうな頃になって、意図が伝わったのか、ミゼはそこに切なげな光を灯らせる。


「私、は……どちらでも、あなたが大事だわ」


 ミゼは昔のランテも今のランテも傷つけないように、非常に繊細な言葉の選び方をした。そうやって事あるごとに心を砕くミゼを、もう救い出してしまいたい。


「ミゼ、もうそこにこだわるの、やめない? オレはとてもオレである自覚があるんだ。今だって、すごく懐かしいって思った。もうそれでいいと思う。前のオレと今のオレが別個の生命だったとしても、前のオレは絶対今のオレを恨んだりしないと思うし、記憶も心も全部受け継いでいるなら、身体は違っても、それってもうオレなんじゃないかな。ミゼはとても、前のオレと今のオレを区別してくれようとしてる気がするけど、それ、大丈夫だよ。やめよう、ミゼ。オレはオレでいいんだ。オレ、ちゃんとランテだよ。ミゼが好きだし、ミゼを守りたいし、ミゼと戦いたいし、それから、ミゼを幸せにしたい。ほら、前までのオレと何も変わらない」


 こくりと、ミゼは頷きを一つ落とす。ただ全ての罪悪感が拭えたかと言われると、そうではなさそうだった。瞳にはまだ少しそういうものが居座っている。言葉だけで全部を救うのは難しい。ランテもそれが分かって来たから、それ以上の言葉は飲み込んだ。


「……ありがとう、ランテ。あなたがそう思ってくれていることは分かっているの。それにあなたがとてもランテだということも、分かっているわ。ただ、何にせよ私はあなたをこんなことに巻き込んでしまっているのは違いないと思うの。私が姫でなかったら、あなたはここにはいなかったでしょうから。だからと言って悲観しているのでわけでもなくて。早く戦いを終わらせて、この後ろめたさを忘れて、あなたに向かい合いたい。今はそう思えているの。あなたのお陰よ」


 ミゼが以前よりも前向きに物事を捉えている——少なくとも捉えようと努力していることは、表情からも良く伝わって来た。だが、昔のランテと今のランテを別個体として見ることをやめて欲しいとのランテの願いには、答えを与えない返事の仕方だった。ミゼの中でまだ、そこまでの整理はできていないのだろう。想いは伝えられたから、それでよしとすることにした。急かしてミゼの心を捻じ曲げるような形にはしたくない。


「うん。ミゼが前までより少しでも心が軽くなってたら、オレも嬉しい」


「あなたのお陰で、とてもそうなっているわ」


「うん、良かった」


 ミゼの手を握り直す。今度はしっかりと握り返してもらえた。たったそれだけでも嬉しい。


「あ、それで、さっきのことなんだけど」


 危うくそのまま忘れてしまいそうだったことに、ランテはつい自分で苦笑を浮かべた。


「フィレネ副長に言われたんだけど、オレの剣って時々突然達人の剣になるみたいなんだ。でもそれ、オレのじゃない。絶対違う……と思う。それでその剣術が誰のか考えてみたんだけど、始まりの王のものじゃないかって」


 意図が伝わるか不安だったが、ミゼは理解してくれたようで、胸元に流れる髪を撫でながらランテに応じる。


「始まりの王があなたの中にいるのか、というと、それは違うと思うわ。彼は人の身のまま亡くなったそうだから。でも、彼の剣術だというのは間違いじゃないかもしれない」


「どういうこと?」


 間髪入れずに問うと、考えながらゆえか、ゆったりとした返答があった。


「始まりの女神が、彼女が持っている始まりの王の記憶を、あなたに渡しているのかもしれないと思ったの。彼女なら王の剣を知っているでしょうから」


 そうなのだろうか。ランテは自分の内側にある女神の光に向けて問いを向けてみたが、やはり返事はない。どうして一向にランテに応えてくれないのか。使いたいときは身体を勝手に使うくせに。気が長いと自負しているランテだったが、そろそろ女神へ苛立いらだちを覚え始めていた。


「でも、じゃあ、そっか……」


 今まで自分が使っているのは自分の剣だという意識からか、あの動きから学ぼうと考えたことはなかったが、あれが始まりの王の剣技だというのなら自分のものにしてみたいとランテは思った。女神は気まぐれだから、教えてと願ったところでランテの思うようには教えてくれないだろう。勝手にランテの身体で始まりの王の剣の再現をさせてきたときのことを覚えておいて、自分で練習をして、その動きを一つ一つ身につけていけば王の剣の一部を継承できるかもしれない。


「ランテ?」


「オレ、始まりの王の剣術を自分の剣にできるよう、頑張ってみる」


 時の呪のこともだが、ランテはとても始まりの王に世話になっていると感じる。当然会ったことはないし、王はランテと比べものにならないくらい立派な人だが、妙に親しみが湧いていた。握った剣を撫でてみる。彼に近づいてみたいと、そう思った。

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