【Ⅴ】—1 残骸

 あの場にいたランテ、ミゼ、ユウラ、テイト、そして廊下で待っていたデリヤと後から合流したアージェにリイザを加えた七人で、蔵書室にて話し合いの場が持たれた。ほこらの防衛をどう行うかが主な議題であったが、結論が定まるのは非常に早かった。


 ——指揮はあたしがるわ。


 敵将がソニモだと知ったユウラは、その役目を誰にも譲らなかった。結果、今中央にいる北の兵を彼女が連れてリュブレに向かうことになったのである。


 ——ソニモ聖者は呪使いらしいから、僕も行くよユウラ。研究はどこでだってできるから。


 続いて名乗りを上げたテイトにさらに続いて、「ここにいても暇で仕方ない」とデリヤが声を上げ、アージェとリイザも彼に賛同した。ランテも行きたかったが、王国を目覚めさせ、黒軍との和解に向けて動く役目がある。上げたい声はぐっと飲み込んだ。


 明日の朝、アージェとリイザが兵を連れ、使者であるダーフとまず北に戻る手筈になった。ユウラとテイト、そしてデリヤは後発隊として夕方頃発つ予定のようだ。きっとセトに一声掛けてから行きたいのだろう。ユウラは、妹にも会いたいはずだ。


 離れ離れになってしまうことがとても不安ではあった。しかし、今為すべきことが途方もないほどに多いこともまた事実であって、だから信じ合って負担を分け合うしかないのも納得せざるを得ないことだった。


「皆、大丈夫かな」


 夜中の白都を共に行くミゼへ向かって、ランテはつい零してしまった。夜は黒女神の時間だとの中央の偽りから解き放たれた町は、未だにぎやかだ。


「最善の形になっていると思うわ。副長さんや支部長さんが戦地に出られないなら」


「うん……」


「私たちも早く合流できるようにしましょう」


 ミゼとて不安はあっただろう。犠牲を誰より厭っているのはミゼだと思われた。気を遣わせてしまったことを後悔する。ランテは、意識して顔を上げた。


「七百三十年ぶりになるんだっけ」


 ミゼと二人で外を歩いているのは、王都に向かうためだ。王都の今の状態を確かめ、今後どう目覚めさせるかを検討するのだ。あの混乱で町や皆がどうなってしまったかを知るのは恐ろしかったが、時の流れが戻れば懐かしい人々に会えるかもしれないという希望も抱いていた。


「そうね。私も、あの後町の中には入らなかったから、ランテと同じで七百三十七年ぶりだわ」


 遠い目を陰らせかけたところで、ミゼは静かに首を振る。揺れた髪が鎮まる頃には微かに笑みを浮かべていた。


「迷ってしまいそう」


 ミゼにとって、王都は悲しい思い出が詰まった場所になってしまっているのだろう。だが、それだけでもなかったことを思い出して欲しくて、ランテは垂らされていた華奢な腕に触れる。外気に溶け込んでしまいそうな、熱のない手を握った。細い指は一瞬強張った後、少しだけだがランテの手を握り返してきてくれた。






 時を失った王都は、死んだように静まり返っていた。街の入り口から溢れ出ようとしている人々は、皆、恐怖に顔を歪ませている。時が動き出したら、まずは人々を落ち着かせるところから始めないといけないだろうか。


 それにしてもと、ランテは今一度王都を見上げた。この街全体の時間を止めてしまうようなことが、自分にできたのが不思議でならない。おそらくはあの瞬間——ランテが自らに剣を突き立てたあの瞬間——に起こったことなのだろうが、やはり大部分は女神の力によるものだろう。ランテには町とミゼを守りたいという気持ちはあったが、王都の時を止めようとする意識は皆無だったから。


「そういえば、ミゼ。レイサムバードの呪力の色とかって知ってる?」


 ミゼは首を傾げた。


「どうして?」


「オレの呪力って珍しいらしくって。時の呪を使えるのは、レイサムバードの呪力と似ているからかもしれないって、テイトが言ってたんだ」


「ごめんなさい、始まりの王の呪力については分からないわ。でも、テイトさんの言うことは正しいかもしれない。長かった王国の時代に、時呪の使い手は彼の他に現れなかった。幻の呪として扱われていたから、才ある人がいてもその才に気づかなかったケースもあるとは思うけれど、何か条件が必要なのは間違いないように思うわ。だとすると始まりの女神も、ランテのその部分を見込んだのかもしれないわね」


 始まりの女神にも時呪は使えなかったという話だから、いつもランテが時呪を使うときは、彼女が補助の呪なり強要の呪なりでサポートしてくれているのだろう。思い返せば大体の場合において、呪の行使時には曙色の光が生まれていた。


「行きましょう」


 ミゼが先に眠る街の中へ足を踏み入れる。ランテもすぐに続いた。


「解呪に挑戦するのは、使った場所と同じところがいいと思うわ」


「じゃあ広場かな」


「ええ。でも他に見たいところがあればそこにも行きましょう」


 答えを待ってか、ミゼがランテを見つめてくる。しばらくランテは記憶の海を漂った。きらめくものを見つけてはすくい上げることを繰り返してしばらく。


「広場の他には三か所かな。自分の家の辺りと、城の玉座の奥の間と、ミゼとよく会ったあそこ」


 事態が差し迫っている今、気軽に思い出巡りをして良い状況でないことは重々承知している。だが、ランテは確かめたかった。思い出した光景が、本当に自分のものなのかどうかを。正しいものかどうかを。その確認が叶ってようやく、自分が何者かを知り直せるような気がするのだ。


「玉座の間の奥は」


 言いかけて、しかし、ミゼは皆まで述べなかった。少しの間まぶたを落として表情を切り替え、おもむろに頷く。


「ええ、全部向かいましょう」


 玉座の間の奥は、ランテが死んだ場所だ。もしあの後何も変わっていないなら、血に沈んだ屍が置かれたままだろう。そこへミゼを連れて行くのはと躊躇ためらう気持ちもあったが、前に進むために必要な選択だと思った。


 謝るのは、やめておいた。


 ——どうして、謝るの?


 別れ際、あのときに謝ってしまったことをランテは悔いている。ミゼに哀しみを残して逝くことを詫びたかったのは事実だが、詫びたところで彼女が救われはしないことなんて知っていたはずだった。だから必要なのは、そんな言葉ではないのだ。






 時の流れに置き去りにされた町は、造りもののように見えてならない。逃げ惑う者も、刃を握り抗う者も、泣き叫ぶ者も、誰かを庇おうとする者も、皆、紙の中に描かれたもののように停止して微塵も動かない。途中、駆けるマイルを見た。落ちる瓦礫から子供を守るジェーラを見た。思わず放った呼びかけに応じる声は、無論なかった。


 歩むたび、ランテの心は熱を増していく。皆に時を返さなくてはという前々からの決意が胸から溢れ出して、血の流れに乗り、全身に行き渡るような心地がする。こんなにも強い使命感に突き動かされているのに、女神が一向に応えてくれないのが苛立たしく、また歯痒くてならない。


「この辺りではないかしら」


 ミゼの声で、ランテははっと我に返った。沈んだ声だった。周囲一帯は隆起した地面によって様変わりしていたが、散らばる煉瓦には確かに覚えがあった。ランテの家がある三番街特有の色味をしているのだ。


「うん、この辺りだ……」


 動悸がする。ランテは深く息を吸った。今さら焦ってもどうにもならない。足の指に力を込めることで、駆け出そうとする自分を押し留めて、ランテはゆっくり一歩を踏み出した。土に呑まれんとするこの一帯のちょうど中ほどに、父母がいるはずのランテの家は位置している。


「精霊はもう封じたから、これ以上事態が悪化することはないけれど」


 ランテに続くミゼの歩も、常より遅い気がした。


「多分、ここだ……」


 立ち止まったところに、とても覚えのある屋根が残骸に変わって転がっていた。しゃがんで触れる。拭うように撫でても、屋根を蝕む砂粒は一粒たりとも離れない。


「ご両親は——」


 それ以上の言葉を、ミゼは言わなかった。一抹の希望を抱くことすら許されないくらいに、ランテの家は破壊の限りを尽くされていたので。


「大丈夫」


 思った通りの声は出て来てくれなかった。それでもランテは、そこでやめるわけにはいかなかった。


「きっと大丈夫だ。父さんも母さんも多分外に逃げ出してると思う。父さん、いざというときは頼りになるし、母さんだって勘が鋭いし」


 薄っぺらい希望は、ランテにこれ以上奥へ進む勇気どころか、ここに留まる勇気すら与えてくれはしなかった。


「ここにはいないってことは分かったから、もう大丈夫だ。ミゼ、城に行こう」


 自身も心を痛めつつ気遣わしげにランテを見つめてくるミゼの視線が、今は少し痛かったから、ランテは彼女の答えを待たずに歩き出してしまった。ミゼが一歩半ほど遅れてついて来てくれるのがありがたい。今ばかりは、顔を見られたくなかった。

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