【Ⅳ】—1 回帰

「あ!」


 かざした手の向こう側で、割れていた器があるべき姿に戻っていく。欠片がふわりと浮き上がり、元の形に組み上げられていく——そう思った矢先、ランテの集中が途切れて、また割れた状態に逆戻りしてしまったが。


「テイト、今!」


 それでもランテにはとても嬉しかった。顔を輝かせてテイトを見ると、テイトの方もにこやかに応じてくれる。


「やったね、ランテ。一番難しいところは脱したよ。後は、経験を積んでいくだけだから」


「もう一回やってみる!」


「うん、見てるよ」


 すっと息を吸う。己の中にある二つの呪力のうち、片方だけを——ランテ自身が生まれ持った呪力の方を——少しずつ取り出していく。ゆっくり慎重に手のひらの方へ集めていき、そうしながら願うのだ。頭の中に器の完成形を思い浮かべながら、時が戻るように。願い続けると、ほのかに色づいたもやのようなものに包まれて、また破片が浮遊した。それらはあるべき場所に戻り、やがて一つの器になる。一ヵ所だけ小さく欠けてはいるが、食堂からもらって来たときの状態には戻せている。


「できた……」


 一気に疲労感が押し寄せてきて、ランテは机に伏してしまいそうになったが、ぐっと堪えて息を吐き出し、器を捧げ持った。ただの器なのに、自分が直したと思うと妙に愛着が湧いて来る。


「おめでとう」


 テイトが拍手をランテに贈ってくれる。気づけば照れ笑いを浮かべていた。


「名前、つけよっか」


「え?」


「呪の名前だよ。ほら、光線とか光速とかのあれあれ。これはランテが創り出した呪なんだから、ランテが決めないと」


 唐突な話でランテは困ってしまった。語彙力に乏しいのは自覚している。そう咄嗟に格好良い名前なんて思いつかない。


「えーと、元に戻すみたいな言葉で、何かいい感じの言葉ないかな?」


「そうだね……復元とか、回帰とか? 呪らしいものを探せば、そんなものが思い浮かぶかな」


「じゃあ、回帰にする」


「僕の案でいいの?」


「うん、テイトがいてくれたお陰で使えるようになったし!」


 回帰という言葉は格好良い響きである気がして、早速お気に入りになった。今日は町の人たちと良い交流ができたこともあり——剣を教えたり質問に答えたり談笑したりするのは、とても楽しかった。中央市民街の人たちは思った以上に気さくだった——良いことばかりが起こる一日となった。こんなに唇を緩めながら過ごした一日も久しぶりだと思って、ランテはまた笑う。この調子で、王都の人々もユウラも救いたい。


「テイト、これで王都の人やユウラも救えるかな?」


 テイトは顎に軽く右手を添えて考え込む。


「ユウラの方は【回帰】でやれると思う。洗礼を受ける前の状態まで時をさかのぼらせればいいわけだから。ただ、物に呪を使うのと、人に呪を使うのとは難度が桁違いなんだ。人にはそれぞれ呪力抵抗というものがあって、内面に干渉する呪を使う場合、それに打ち勝たないといけないから。回帰以外にも、癒しの呪や強要の呪なんかがその分類になるね。ユウラは今洗礼を受けていて、呪力抵抗が下がっている状況ではあるけど、やっぱり物とは違うからね……」


「じゃあ、もっと頑張らないと」


「焦らずにね。王都の方だけど」


 思考が終わったのか、右手がふわりと下りた。


「あれは、あらかじめ掛けられている時の呪の解除だから、【回帰】を掛けるよりはよほど楽にできると思うよ。ほら、【加護】を解くときみたいな感覚でいいんだ。ただ、呪を掛けたときは始まりの女神の力が大きかっただろうから、そこがね。始まりの女神の協力も仰げればいいんだけど、どう?」


「どうだろう……女神は全然オレの呼びかけに応えてくれないから……今は女神の呪力は少し自由に使えるようになったけど、力を貸してくれるときは大体、向こうが勝手に貸してくれることばっかりで」


「女神の力を引き出すことだけなら僕もできるけど、時の呪関連を強要の呪で、というのは難しいね。時の呪は他の属性呪と仕組みが違うみたいで」


「諦めないで何度も頼んでみる」


「僕の方も他に手段がないか考えてみるよ」


 二人揃って難しい顔になってしまっていたが、テイトがぱっと表情を変えて「でも今日は一つ前進したからね」と言ってくれた。彼の気遣いに感謝しながら、ランテも笑みで応えることにする。


「あ、そうだ。ランテ、人にはそれぞれ呪力に色がついているの知ってる?」


「そうなの?」


「うん。前までは女神の力が混ざっていたせいで、ランテの呪力は橙のような色に見えていたんだけどね。ランテの呪力と女神の呪力とを使い分けられるようになった今改めて見てみたら、ランテってすごく珍しい呪力をしているんだ。色が全然ついてない。透明なんだよ。僕は初めて出会ったな」


「透明?」


 呪力の色と聞いて自分は何色かとわくわくしていたので、透明という答えにランテは少々落胆してしまった。皆は何色なのだろうと興味を持つが、尋ねるより先にテイトが言葉を発する。テイトが先ほどから段々早口になっているのには気づいていたが、今やすっかり研究者の顔になっていた。


「僕は思ったんだけど。ランテが始まりの女神に気に入られたのは、もしかしたら始まりの王と似た呪力をしていたからかもしれないね。時の呪は、その特異な呪力を持つ人にしか扱えないのかも。根拠のない話になっちゃうんだけど、解明のためには仮説を立てるところから始めないと」


 だったら時呪は属性呪じゃなくて特殊呪になるのかな、と呟きつつテイトはまた顎に触れる。考え込んでいるのを邪魔するのは悪いと思いながらも、どうしても気になっていたことがあったので、ランテはおずおずと声を掛けた。


「あの、テイト」


「ああごめん、何かな?」


「光呪のことなんだけど。前に呪は統べるものと術者両方の力があって使えるって教えてくれたよね。白女神は消えちゃったけど、オレまだ光呪が使えるんだ。何でだろう?」


「そのことについては、超越の呪の研究グループの間でも問題になってたよ」


 テイトが紙に手を伸ばす。何かを説明するとき、彼はいつも図を使いながら丁寧に教えてくれるのだ。さらさらと描かれたのは人型だった。それが上から八割くらいのところで区切られる。


「この間、白女神はベイデルハルクに吸収されたけど、白女神の力の全てがベイデルハルクに渡ったわけじゃないよね」


 上から八割の部分に『ベイデルハルク』、残る部分に『ルノア』と記される。


「ルノアさんが白女神の一部を取り込んでくれたのは、実はとても大きなことなんだ。彼女のお陰で、光呪使いは呪を失わずに済んでる。というのもね」


 別の場所に円が一つ描かれた。その内部に『統べるもの』と書き入れられる。統べるものの円が一ヵ所、かじられたパンのように切り取られた。それが隣に出来上がった人型の中に矢印で配置される。


「統べるものはね、契約の際に自分の力の一部分を契約者に貸与するんだ。契約すれば属性呪が使えるようになるのは、精霊の眷属になるようなものだからだね。でもこの契約は統べるものの意志如何いかんでいつでも解消できる。本来精霊には明確な意思がないけど、女神たちは違うでしょ? 当然ベイデルハルクも」


「じゃあベイデルハルクが願ったら、オレたちは光呪が使えなくなる?」


 テイトは肯定も否定もしなかった。


「本来は、そう。でも現在、光呪たちはまだ光呪を使えているんだ。僕らも最初は疑問だったんだけど」


 テイトの手が最初に描いた白女神の人型のところに戻って来た。


「あっち——黒女神統治区域で、大精霊のことを核って呼ぶって聞いて思ったんだ。統べるものに必要なのは力の量じゃなくて、核と呼べるようなものを持っているか否かじゃないかって。ほら、癒し手を生み出すために必要な【神光】。あれもそれ自体に大きな力があるわけじゃないけど、素質ある者が触れれば癒しの呪が使えるようになるでしょ? きっと神光が癒しの力の核だから……多分だけど、光呪の核は今ルノアさんの方にあるんじゃないかな。最後まで白女神に残っていた力を取り込んだのはルノアさんだ。白女神はほとんど意志を持っていなかったけど、核のようなものがあるなら、それを最後まで守ろうとしてもおかしくないと思うんだよね」


 下から二割のルノアのエリアに、『核』と記された円が加えられた。テイトはさらに続ける。


「でもベイデルハルクの方にもいずれ核はできるだろうと思うよ。大陸の東西それぞれにいる大精霊たちにも核はそれぞれあるんだろうし、大きな力があればじきに核もできるんだろうね。もうできているのかも。ただ、ベイデルハルクに新たに生まれた核によって、既に契約している人が光呪を取り上げられたりはしないんじゃないかな。これは僕たちの推測だから、実際どうかは分からないけど、そうだといいよね」


 穏やかに言った後にテイトは両指を組んだが、組み終えることになると難しい顔に変わっていた。


「ただ、ね。たとえそうだったとしても、光呪使いたちが厳しい状況に置かれているのは変わりない。さっき呪力抵抗の話をしたけど、光呪使いに光呪は効きにくいんだ。ほら、ベイデルハルクが白女神を自分では消滅させられなかったのも同じ理由からだよ。同属性同士の戦いはね、力の差が一番反映されてしまう。力が強い方に、弱い方の呪は通用しない。だから光呪使いたちは別の何かを手に入れることを強いられている。ベイデルハルク始め、敵は光呪使いばかりだしね」


 ランテも光呪使いだ、他人事で済ませられることではない。強くなりたい、ならなくてはと何度も思わされる。求める域に全く及べていない自分がもどかしくてならないが、焦る暇があるならやれることを少しでもやろうと決めている。


「もっと時の呪を使いこなせるようになるよ」


「うん。僕も呪の発動速度でベイデルハルクに勝てないと前みたいに目を焼かれてしまうから、頑張らないといけない。一緒に頑張ろう、ランテ」


「うん、頑張る」


 言い合って頷き合う。向き合っている課題は互いに難しいものだったが、こうして声を掛け合うとやれるような気がしてきて、心強かった。

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