【Ⅱ】—4 足取り

 六つの祠の守護の分担は既に決められていた。主に立地を考え、近い祠を割り当てた形だ。他の負担や条件も含めて議論した結果、炎を中央軍、緑と土を西支部軍、水を南支部軍、雷を東支部軍、そして風を北支部軍に、ということで最終決定がなされていた。


「炎の祠を攻めるクレイド聖者には証持ちの兵を、雷の祠を攻めるレイグ聖者には司令官らを、風の祠を攻めるソニモ聖者には【光の子】らをそれぞれつけるようです。今回中央本部での戦いで、ベイデルハルクは白女神と一体化したようですが、まだその力を馴染ませられていない……彼自身が戦地に出るようになるには、少し時間が必要でしょう。それに今、王都がまがい物であることが判明して、あちらは生身の兵の生活を安定させる時間も必要でしょうから、ベイデルハルクが出てこないにしても、祠攻めはまだ少し日が経ってからのことになると思います」


 シュアは惜しむことなく情報を渡してくる。


「二点、いいですか? まず、【光の子】とは何でしょうか。もう一つは、立て直しまでにはどれほどの日数がかかるか、あなたの見立てが知りたいです」


「【光の子】とは、ベイデルハルクが生み出した兵のことです。全員同じ顔をした……そのような存在の呼称です。おそらくご存知でしょう。クスター副官と同じ個体のことですから。立て直しにかかる日数ですが、そうですね……まず白女神の力を馴染ませるのに、少なくとも数十日はかかるのではと思いました。あくまで見立てでは、ですが。兵の生活環境を整えるに足る日数については、私よりあなたの方が正確な見立てができると思います」


 セトの問いに丁寧に返答し終えると、シュアは腫れたようなまぶたをゆるりと閉じた。


「すみません……少し、疲れてしまって」


 少しずつ、声が聞き取りにくくなってきていたのにはランテも気づいていた。相当無理をしているのだろう。


「私は、十年以上中央の中枢近くにいました。またお力になれそうなことがあれば、ぜひ」


 もう一度、気力で瞼をこじ開けたらしいシュアは、その言葉を最後に意識を失った。キーダが白布の上から優しく布団をかける。


「食事や水、護衛など、必要そうなら手配します」


 セトが申し出たが、キーダはすぐさま首を振った。


「不要です。ただ、シュア様の容態が悪化すれば、あなたに来ていただきたい」


「分かりました。傍に兵は二、三つけます。ご存知の通り、管理下に置くということでお通ししましたから。何かあれば、その兵に言付ことづけてください」


「そうします」


「では、今回はこれで。……どうか、お大事に」


 事務的だった二人の会話の最後、セトが添えた言葉には労わりが染みていた。伝わったのか、キーダが無言で会釈する。最後に癒しの呪を用い——キーダの頬の骨の治療だろう——それを終えると、セトは軽く頭を下げて部屋を横切った。いつの間にか腰を下ろしていたデリヤも、ゆらりと立ち上がる。二人が扉をくぐって去っていくので、ランテももう行かなければ。そう思ったが、目が合ったキーダに、つい気になっていたことを聞いてしまった。


「あの、黒獣の出る平原を一人で……シュアさんを連れて?」


 荷車をきながら、王都のあったところからここまで歩いたのだとしたら。シュアの負傷は三日前だという話だが、もしかすると三日三晩歩き通しだったのかもしれない。


「シュア様は光呪使いだ。黒獣と遭遇する頻度は多くない」


「でも、大変だったと思います」


 今し方治されたばかりの左頬に、キーダは触れた。無意識だったのかもしれないが、触れる一瞬だけ瞳に恐怖のようなものが過ぎったのが、ランテにも分かった。


「今、中央は安全だと思うので……キーダさんもゆっくりしてください」


 玄関の方から、「早くしなよ」という声が聞こえて来たので、ランテは踵を返した。だからその瞬間キーダがどんな表情をしたのかは分からない、が。


「礼を」


 背中からの声を聞いて、振り返る。キーダは少々眉を寄せた上で目を伏せ、佇んでいた。


「今、治してもらったことの礼を言っていなかった。伝えておいてくれ」


 ランテは微笑んでいた。元気に「分かりました!」と返事して、もう一度振り返り直す。単純かもしれないが、たったこれだけのことで、多くの場合において人は分かり合っていけるような気がした。






 途中一度だけセトが呼び止められて、屋根から落ちて骨折したらしい人の手当てをすることになった以外は、特段変わったことはなく——とはいえ、やはりランテにまつわる過大な評価はよく耳に入った——貴族街に入る門まで戻って来たのだが。どういうわけか人が押し寄せていて、一向に列が動かない。行きに通った際は、門を守る白軍以外誰もいなかったのに、何が起こっているのだろうか。


「何事だい?」


 人混みが嫌いなのか——いかにもそんな感じは受ける——うんざりした顔と声でデリヤが言う。


「半日でここまでになるのは予想外だった」


 どこかから情報を仕入れたらしいセトが言う。さっぱりだったランテが彼を見上げると、微笑が返って来た。


「お前が出した成果だ、ランテ」


「え、何が?」


 セトが何を言っているのか、よく理解できない。だが、周囲を取り巻く空気感はようやくランテにも察知できるようになってきた。熱意、と言えばよいのだろうか。何やら前向きな勢いのようなものを感じるのだ。


「朝の件について、もっと詳しく聞きたい。質問は誰にすればいい?」


「俺も戦ってみたいんだ。戦い方を教えてもらえないか?」


「本部の食堂の人手が足りないって聞きました。私、手伝えます!」


「新組織になるなら新しい制服を作りませんか? ぜひうちにお任せください」


「何もできないんですけど、何かしたいです。雑用でも何でもいいのでやりたいです!」


 周りに注意を向けてみれば、ランテの耳にもあらゆる声が届くようになった。聞けば聞くほど、嬉しさが募っていく。朝聞いたばかりの話を信じて、動き始めようとしてくれている人がこんなにいるのだ。


「見たところ、全員が純粋に力になりたいと思っているわけじゃなさそうだけどね」


「動機なんて何でもいい。とにかく、まずは動かさないとな」


 デリヤとセトの二人は、ランテよりも冷静に事態を受け止めていた。確かに、皆がランテたちと同じ志を持っているわけではないのだろう。今回の件に商機を見た者もいるのだろうし、単に面白そうだからという興味が先行している者もきっといる。だが、それとても、敬遠されたり無視されたりするよりはよほど良い反応だとランテは思うのだ。


「だけど、ここからだ」


 舞い上がりそうなほどに高揚していたランテの心を、デリヤの常よりも力の入った声が引き留めた。


「さっきセトも言ってたことだけど、現状に不満を抱えている人間ほど新しいものに流されやすい。僕はもともと中央の人間だったからよく分かる。今はただ、期待だけでこうなっているようなものだ。実態がその期待にそぐわなかったら、人心が離れるのは早いだろうね」


 デリヤの言に頷いてから、セトはつい不安げな顔をしてしまったランテに視線を流した。


「足場をならすのはこっちの仕事だ、ランテ。お前が不安にならなくてもいい」


「うん、ありがとう、でも」


 人を導いていくのにあたって、本当に大事なのは、セトの言う「足場均し」なのだろうということくらいは、ランテにも理解できる。ランテは細やかな気配りが苦手だし、知識も多くないから、具体的に何をどうすればそれが効率的にできるのかは分からないが、だからと言って丸投げしていいというわけでもないはずだ。


「オレ、ちょっと行ってくる」


 列を抜けて、ランテは駆け出した。門の傍に到達するまで一気に走って、それからすぐに腹に力を込めて、可能な限り大きな声を出した。


「集まってくださってありがとうございます! オレ、朝話をしたうちの一人の、ランテです。多分、質問には少し答えられるのと、初心者の人になら剣も教えられると思います! あ、でも、ここじゃ邪魔になるので、どこかよさそうなところを教えてください! 他のことはすみません、オレは分かりません」


 列に向かって思いをぶつけると、一瞬静まった後に、声の波がわっと打ち寄せて来た。


「市民広場がいいと思うぜ」


「おいランテさん、剣はないから、代わりに棒切れか何か持ってきた方がいいか?」


「お兄ちゃん、ぼくにもできる?」


「剣ばかりじゃなくて質問にも答えて欲しいです」


 ランテに出来ることは、些細なことでしかないのかもしれない。それでも、何もやらないよりはいいはずだ。顔を上げて、人々の群れの先頭を歩く。道は分からないので、教えてもらいながらになるから、格好はつかないけれど。


「あの勢い馬鹿、ちゃんと教育しなよ」


「ランテはあれでいい。周りが自然と力を貸したくなる。お前だってそうだったんじゃないか?」


 呆れているデリヤと、笑んでいるセトの脇を通り過ぎる。


「また後で!」


 そう声を掛けたのだが、「後でな」と答えてくれたのはセトだけだった。少し寂しくなったランテの隣に、すっと人影が寄って来る。デリヤだ。


「来てくれるの?」


「副長命令だよ。それにあっちは迷わず帰るだろうけど、君はね」


「本部までは真っ直ぐじゃ?」


「……これから行く広場は、少し曲がる。それと、でたらめを教えたんじゃ、支部の信用丸潰れだし」


 デリヤは仏頂面で口実をいくつか寄越して、しかし、ランテの歩調に合わせて歩んでくれる。嬉しくなった。振り返ってセトに手を振り——きっと彼は他の仕事が山積みなのだろう——やはり後ろから道を教えてもらいながら、目的地に向かう。


 わずかなりとも誰かの役に立てるという充足感が、ランテの足取りを軽くしていた。

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