【Ⅱ】—3 冒涜

 治療には長い時間がかかった。青い光が満ちている間、誰も何も言わずにじっとしていた。


「オレの能力だとこれが限界です。あなたを蘇生した方なら、もう少し上手く治したと思います。すみません」


 セトがそう言い、癒しの光が消える。ほぼ同時にキーダは持ち上げていた白布を女性に掛け直した。


「話せる……」


 布の向こうから、ほとんど息と変わらないようなものではあったが、言葉は明確に聞き取れる声が聞こえて来た。


「キーダ、ありがとう。彼らと話がしたいので、顔のところだけ布をどけてくれますか」


「しかし」


 キーダは躊躇ためらったが、布の奥の声が「お願いします」と続けたことで従った。


「お見苦しかったら、ごめんなさいね」


 目を引くほどに白い顔が現れる。皮膚が再生したばかりで、全く日に当たっていないからだろう。目元、鼻、耳、唇……いずれも多少左右非対称ゆえに違和を感じるが——箇所によって損傷の度合いが違ったのだろう——今しがた女性が言ったような「見苦しい」という感想は抱かなかった。ただ、やはり元通りというわけにはいかなかったのだろう、ということはよく分かってしまう。胸が痛んだのは、ランテだけでもないはずだ。


「セト副長、ありがとうございます。横になったままの謝辞でごめんなさい。あなたがとてもよく気を遣って治してくださったのは、呪力操作の繊細さからよく分かりました。お疲れでしょう。あなたとて本調子ではないでしょうに、申し訳ありません」


「……いえ」


 今しがたまで重傷だった女性は、もう毅然としていた。以前の姿に戻ることができないと知ったのは、おそらく先程のセトの言によってだろうが、彼女の顔には少しの絶望も見えない。ほのかに微笑んでさえいる。ミゼも、ユウラも、フィレネも、そしてこの人も。女性の強さには驚かされるばかりだ。


「初めまして。私は、本部の上級司令官だったシュアと申します。本部では主に尋問を担当しておりました。敵であった私の命を救ってくださったこと、感謝いたします。ありがとうございます」


 女性はランテやデリヤの方を見ていたので、ランテは会釈で応じた。それを受けてか、シュアと名乗った女性は少し目を細める。物腰が柔らかい人だという印象だ。


「私はベイデルハルクの呪によって、このような有様となりました。これまで、中央が正しくないことを知っていながら従ってきました。私が尋問をしたことで罪に問われ、処刑された方々もいます。これはその罰なのでしょう。いえ……本来であれば命まで失ってしかるべきだったと思っています。助かったからには、何かを果たさなければならないし、私自身も強くそう願っています」


 ここでシュアは長く息をついた。少しばかり苦痛がにじんでいたように思われた。キーダが「ご無理をなさらない方が」と声を掛けるが、シュアはかすかに首を振って気丈に続ける。


「ですが、元々中央の人間であった私が、いきなり改心したと言っても信じがたいことと思います。それに、ベイデルハルクに拒絶されたから、こちらに逃げて来たのかと思われても仕方のない身の上です。まずは皆さんから信頼を得なくてはならないと、そう考えていました。ただ……今はこのような身体で、お恥ずかしい話ですが、できることは多くありません。立ち上がれるようになれば、呪の方面ではお役に立てると思いますが、それとても信頼を得てからでなければ、安心して背を任せてはいただけないでしょう」


 かすれた声で、しかし、シュアはよどみなく話す。少々苦しそうにまた一息つくが、やめようとはしない。


「私は死んだものと思われています。そしてここにいるキーダは準司令官……準司令官が一人いなくなったくらいで、上は騒ぎません。よくあることですから。今から私が知っていることを全て皆さんにお話します。支部連合軍の方たちがこの内容を知っているとは、ベイデルハルクらも思わないでしょう。これが信頼に繋がるか分かりません。その後の処遇はお任せします。私にとっては、情報の伝達だけでも一つ何かできたことになりますから、たとえば処刑されようと満足です。できればここまでとても苦労して運んでくれたキーダや、こんなに丁寧に治してくださったセト副長への恩に報いるために、もっと何かがしたいというのが本音ではありますが。……それから、私自身、生に執着しているのも確かです」


 言葉はどこか自虐的だったが、表情はとても穏やかで、何やら慈愛のようなものまでたたえられているようだった。深く二呼吸して、シュアはさらに言う。


「もうお考えのことかもしれませんが、ベイデルハルクの次の目的はほこら攻めです。まずは白女神統治区域からと考えているようで、計画では時期をずらして二度行われることになっていました。一度目は大陸の北半分にある炎、雷、風の祠を一度に攻めることになっていて、軍を率いるのは全て聖者です。炎をクレイド聖者、雷をレイグ聖者、風をソニモ聖者が——」


「えっ」


 ランテが思わず声を上げてしまったことで、シュアの話が中断してしまった。全員から視線を向けられて、少々恐縮する。


「あ、ごめんなさい。えっと……今レイグ聖者って言いましたか?」


「ええ。お知り合いですか?」


「昔、近衛騎士長をしていた人で、紫の軍でも代表みたいな人だったんですけど……あっ」


 シュアとキーダがそろって困ったように眉を寄せているのに気づく。彼女らは知らないのだ。


「えっと、オレは本当は王国の人で」


「君は説明が下手だから、僕が話す。聞いていると苛々するからね」


 説明を始めようとしたランテをデリヤがさえぎった。彼の口からランテの半生について語られる。直接経験したことではないのに、ランテが説明するよりよほど端的ですらすらと言葉が出てくるので、すっかり感心してしまった。


「そうでしたか。癒し手と似た呪力だと思っていましたが、始まりの女神の力が宿っているからそう感じられるのですね」


 シュアは呪の能力に大変長けているらしく、ランテの素性についても、世界の在り方についても、疑問を差し挟むことはなかった。話が早くて助かる。


「王国時代にいらっしゃったレイグという方の特徴、分かりますか?」


「髪が白くなり始めたくらいの年の人で……背がとても高くて、がっしりした感じの男の人です。顔は若々しくて、きりっとしているんですけど、目の中はいつも優しそうな人です。でも……」


 胴を一閃、横に薙がれた姿を思い出す。レイグは、膝を突いたまま微動だにしなかった。強く歯を噛み締めていた。


「クレイドに斬られて、多分、亡くなったと思います。あの傷じゃ……」


 ランテの悲しみが伝染したかのように、シュアは瞳を暗くした。


「そうですか……ですが、そうであるなら、レイグ聖者はその方かもしれません。聞いたところの特徴も一致しておりますし」


「えっ」


「レイグ聖者の声を、私は聞いたことがありません。そして彼から感じる呪力は、ベイデルハルクのものととても似通っているのです。私は、彼が何らかの方法でベイデルハルクの力を譲り受けたのだろうと考えていたのですが、話を聞くと、もしかしたら亡骸なきがらを操るような手段を用いているのかもしれないと思いまして」


 怒りは強くなると、最終的に思考も感情も停止させてしまうということを、ランテはまた味わった。あの忠誠心の厚い、騎士の中の騎士とも言うべきレイグを、死後まで冒涜ぼうとくしようというのならば、断じて許せない。


「その方は、誓う者ではありませんでしたか?」


 問いはセトからだった。シュアは一瞬考える。


「私は、そうは感じませんでしたが……その可能性はあります。ベイデルハルクが誓う者であることはすぐに分かりましたが、それは彼が隠そうとしていなかったから。私はクレイドが誓う者であったことには長らく気づけませんでした。ベイデルハルクの幻惑の呪がかかっていたとしたら、私にはそうと疑わなければ察知できないでしょう」


「たとえば、ですが」


 セトもまた瞳を暗くする。


今際いまわに、強要の呪で誓わせたとしたら……強要の呪の術者の意向に沿った誓う者ができるかもしれない、と考えまして。癒し手だから思うのですが、亡くなって自律的な身体の機能をすべて失った者を動かし続けるのは、不可能です。周囲に不自然を感じさせないように動かすというなら、なおさら。ベイデルハルクは人を造れますが、今のところ画一的な存在しか生み出せていない。一から造ったということは考えにくいということ、七百年以上形を保ち続けているということを併せて考えると、やはり誓いの呪が一番に浮かびます」


 皆が黙り込んでいた。もしそんなことがレイグの身に起こってしまっているのだとしたら、あまりに理不尽なことではないか。なぜ、なぜと何度頭の中で問いを浮かべたところで、納得できる答えを思いつくはずもなかった。


「許せない」


 気づいたときには、口走っていた。答えは意外なところから返される。


「ええ、許してはいけません」


 シュアの瞳は、外ではなく、内に向けられているようだった。

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