【Ⅱ】—2 痕

「このままだと本部内にお連れすることになりますが」


「それは、できれば避けていただきたいです。市民街に自分の家がありますので、そちらにご同行していただくわけには?」


「構いません」


 セトとキーダの話によって、向かう場所は定まった。荷車の車輪の音を引き連れているせいで、ランテたち一行はよく人目を引いた。


「ああほら、彼よ。始まりの女神の騎士だとかいうのは。名はランテで、あの若さなのに凄腕の剣士で呪使いらしいわよ」


「今回ベイデルハルクを退かせて町を守ってくれたのも彼だという話じゃないか。ご覧よ、あの風貌。見るからに人のよさそうな好青年じゃないか。とんでもないことをやってのけたのに、気取らずにいて。いやあ、いいね。俺は結構、あの人好きだぜ」


「朝の話、聞いた? 世界のためだのなんだのと言われるより、私、ああいう方が信じられるわ。素直でいいじゃない。それに、好きな人のために一生懸命になれるって素敵。彼、見た目も可愛いし」


「兄貴が準司令官でな。あのランテってやつ、本部内で支部連合軍と中央軍がぶつかったとき、争いを止めたらしいぞ。そのとき、曙色の光を放っていたって話だ。女神の使いだっていうのも、間違いじゃないんだろう」


 貧民街を歩く間はやけに視線を感じると言うだけだったが、市民街に入ったと同時にランテに関する色々な話が耳に入ってくるようになった。日は高くなってるから、もう昼だろう。半日経って、今回の件についての受け取り方が、白都ルテルの民たちの間でも定まりつつあるようだ。好意的なのは嬉しい話だったが、どうしてそうなったのかという方向に発展してしまっている話も聞こえてきて、ランテは狼狽うろたえるしかなかった。ランテは凄腕の剣士でも呪使いでもないし、一人で町を救ったわけでもないし、可愛くもない。


 行く先で、『女神の騎士ランテありがとう! 大売出し』という旗が翻っていて、さすがに恥ずかしくなった。すっかり美化されたランテの似顔絵が、凛々しく微笑んでいる。あれの隣を歩きたくない。


 ふと隣を見ると、デリヤが手で口元を抑えている。さらに顔を俯けているから、前髪もかかっていて全く表情が分からなかったが、身体が少し震えているので察知できた。


「あ、デリヤ、笑ってる?」


 ランテが口に出すと、震えは止まった。三歩行って顔を上げたデリヤは、最初鋭い視線でランテを見て来たのだが。


「僕がこんなくだらない、ことで……笑う、わけ」


 おそらくは、ランテの顔を直視してしまったのがいけなかった。そのまままたすぐ口を押さえて首を折ったデリヤは、しばらく笑い声を押し殺すことに躍起になっているようだった。そのうちランテもおかしくなってきて、大袈裟おおげさな噂も気にならなくなっていった。


「元が貧乏くさいと、美化も大変だね。まるで別人だったじゃないか」


 ようやく笑いから解放されたデリヤは、気取って言ってくる。思わずランテは唇を尖らせていた。


「仕方ないと思う。最初からデリヤみたいに綺麗な顔だったら、実物通り描いてもらってもいいけど、そうじゃないし」


「今さら顔の造形は変えられないだろうけど、君だって気品を身につけてみれば少しはまともに見えるんじゃないかい?」


「気品ってどうやったら身につくもの?」


「姿勢、表情、身だしなみ、立ち振る舞い……そういう外見的なものはもちろんだけど、言葉遣いやマナー、知性。その手の内面の要素だって必要だよ。君には難しそうだね」


 今度前に立つことがあれば、その気品とやらをまとえたらと思ったのだが、デリヤが言う通り難しそうだ。肩を落としていたランテに、前を行くセトからデリヤ語の翻訳が伝えられた。


「今のは、お前は飾らなくていいって言いたいんだよ。落ち込まなくていい」


 少し機嫌がよさそうだったデリヤが、一瞬で不機嫌になった。今まであまりそうは感じられていなかったが、案外デリヤは顔に出やすいタイプなのかもしれない。


「それにしても、すさまじい効果だね。仕込みには結構苦労したんじゃないかい?」


「そうでもない。元々、不満や不安を抱えてる人間は希望に飢えてるものだしな」


 デリヤとセトの会話の意味するところは、ランテには読み取りきれなかった。首を傾げている間に、荷車の音が止まる。


「ここです」


 ランテは口を噤んでいた。重傷の患者を連れていたのに、とんでもなく締まりのない話をしていた。歩む速さは変わっていなかっただろうが——荷車の中にいる人を気遣ってだろう、とてもゆっくり進んでいた——キーダや怪我人は良い気持ちはしなかっただろう。


「ごめんなさい」


 キーダと目を合わせて言ったが、彼には気分を害した様子はなかった。しかしそこから先は無言でいることに決めて、ランテは住宅街の隅に立つ、こじんまりとした家の敷居をまたいだ。






 家の中は無人だった。キーダは荷車を玄関までき、そこからは中の人物を掛けられた白い布ごと抱き上げた。


「すみません、痛むでしょう」


 キーダの掛けた声に返事はない。少々汚れていた白布に、じわりと黄ばんだ染みが広がるのを見た。布の内側からか、それとも荷車からか、異臭が強く鼻を刺した。


 家主に先導されるままに、手前から二つ目の扉に入る。小さな部屋に、ベッドと小机だけが収められていた。


「寝かせますね」


 細心の注意を払っているのがランテの目から見ても分かるほどにそっと、キーダは抱えていた者をベッドに横たえた。


「あなたたちは入り口近くにいてください。身分ある女性なので、どうぞご配慮を」


 身分の有無がどうして関わるのかは分からなかったが、女性に配慮をしないといけないことくらいはランテにも分かる。デリヤと二人で素直に従った。セトとキーダの二人がベッド脇に残る。やがてキーダは布をゆっくりと持ち上げた。これでランテたちからは、布を掲げるキーダしか見えなくなる。


「高位の光呪によるものですね」


「そのようです。一度心臓が止まったと。誰による蘇生かはお分かりでしょう。この方は、彼女を守ってこうなりました」


「……そうですか」


「それだけですか? あなたには、この方に大恩があると思いますが」


 語気を強めたキーダに、セトはしばらく答えなかった。布の向こうにいる彼の表情は分からない。


「……ええ」


 まず、セトはそれだけ言った。一拍間を置き直してから、その先も続ける。


「命を救うことはできます。ですが、何もかも元通りにはできません。特に目、声帯、この二つの機能は著しく低下したままになるでしょう。外見に関しても、頭髪は戻らないでしょうし、皮膚の損傷もかなり重篤ですから、顔を含めた全身に痕は残ると思います。最善を尽くしますが、おそらくは、かなり」


 ここまでは淡々と述べたが、ここからはさすがに言いにくそうだった。


「……若い女性ですから、それらがかえって彼女を苦しめることにならないかは心配しています。治療を始めてもいいですか?」


 二呼吸の間、静まっていた。その後、腹に響きそうなほど低くなった声が言う。


「……お前はこの方に死ねと言うのか」


 ランテの皮膚は粟立ったが、聞こえてくるセトの返事は平静だった。


「そうは言っていません。ただ、生かすことで生まれる苦痛もあると言いたいだけです。そしてこれは、本人が決めるべきです。あなたではなく」


 掲げられた布が、小刻みに揺れていた。キーダの腕が怒りで震えているのだろう。しかし彼は、どうにか言葉を呑み込んだらしかった。また少しの間静かになった空間に、そのとき、微かに息が漏れるような音が聞こえた。


「生き……た……い」


 全神経を聴覚に集中してようやく、それが意味を持つ音のまとまりであったことに気がついた。ランテは指を握りこんでいた。相手は若い女性らしいのに、こんなに弱るほどに——そしてセトの腕を以ってしても治しきれないほどに痛めつけるなんて、信じられないと思う。女性が生きたいと願えたことはまだしも救いだった。もう以前のようには戻れない彼女が、どうか苦しむことがないようにと、一生懸命に願う。ランテには、そんなことしかできない。


「分かりました。では、治します」


 応じたセトの声は、同情するようにも、少々寂しさを含んでいるようにも聞こえた。

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