【Ⅲ】—7 旗印

 周囲の出方をうかがうような空気が、幾らかの間続いた。そう感じたのはランテだけで、もしかしたら皆今の案について考えをまとめているだけだったかもしれない。


「それができれば、理想的であるの間違いない。が……」


 言いにくそうに、モナーダが切り出す。


「中央の人間として言わせてもらおう。これまで当たり前に信じていた中央本部や白女神がよからぬことをたくらんでいた、ということだけでも、民たちには衝撃が大きいもの……その後時間を置かず、これまで敵であった黒軍と手を結ぶとなると、兵のみならず民たちもたいそう動揺するだろう。まずは西大陸の平定の方に力を注ぎたいというのが、本音ではあるよ」


「そうですね。時間があればそれが最善だとは思います」


 婉曲的にモナーダの意見に反駁はんばくして、セトはさらに重ねた。


「ベイデルハルクには多少打撃を与えたとはいえ、クレイドを始めとした聖者たちは今回中央にはいませんでした。奴らがいつ動いてもおかしくありません。それに、どちらにせよ今回のことで動揺があるのは変わらないでしょうから、問題にすべきは不安に揺れる民たちをどう導くか、ではないですか」


「もったいぶらずに考えを全て話したらどうだ」


 サードに水を向けられると、セトはしばし思考の間を取ってから頷いた。


「では、私個人の案として一つ意見を述べます。中央がかつて白女神という象徴を作ったのと同じことをするべきだと考えます。新たな信仰の対象を創る……信仰とまではいかずとも、東西融和の旗印のような存在を創るべきではないかと。そしてそれは始まりの女神に類する者にするのが、東大陸との停戦や和解の点において……そして王都の民たちとの協力を考えても最も都合がいい。つまり」


 視線が緩やかにランテに向けられた。セトの瞳には、読み取り切れないほどたくさんの想いが映りこんでいた。


「始まりの女神の力を宿しているランテを、そのような象徴として私は推挙します」


 発言者を除く、この場にいる全員に衝撃が走った。無論、ランテ自身も含めてだ。思わず声を上げてしまう。


「えっ、セト」


「ランテは王国の人間ですから、こちらの事情には詳しくありません。あくまで担ってもらうのは象徴としての役割で、実質的なことはこの会議で決めていく、というのが良いかと思います」


 静かに続けて、彼は一度口を閉ざす。次の発言は——フィレネによるものだが——かなり間を置いてからになった。


「ランテ様は今、指名手配されておりますけれど。この状況下でランテ様を立てては、黒軍の……これまで敵であった者たちの支配を受けたと思われませんこと?」


 もっともな言だった。かねてから中央に不信感を持っていたはずの北の人でさえ、ランテを疑っていたのだ。そう考える者がいてもおかしくないし、むしろその方が多いかもしれないくらいだろう。


「それについては、同時に流された情報を訂正することから始めれば問題ないと思う。あのとき流されたのは、ランテが裏切ったことによってアノレカが落ち、そしてオレとリエタ聖者が亡くなったというものだったよな? オレが生きてるわけだから訂正は簡単だ。王城、それから王都を置く場所を中央付近にできれば、王国説が事実である証拠も確認しやすい場所にそろうし、難しい話じゃない」


 視線を感じてそちらに目を向けると、ミゼが何かを言いたげにランテを見つめていた。きっと、ミゼはランテに重責を負わせることをよしとしていないから、ランテの意志如何いかんでセトを止めようとしてくれているのだろう。


 どうしようかとランテは頭を悩ませた。自分にそんな大役が務まるだろうか。しかし断ればおそらくセトの立場を悪くさせてしまう。それにセトの提案そのものは、上手くいけば成果が見込めるものであるとランテ自身も思える。


「ただそれらを揃えたとしても、耳を傾けない人もいるでしょう。どなたがランテの身を保証するかが重要になってきますが……私のような若輩者では説得力に欠けます」


 セトが最初にオルジェを、次にモナーダを見た。その後にランテを見遣る。


「そして、この案についてはランテに事前に打診していません。……だから当然、ランテの承認を得られたら、になる」


 どうして事前に打診してくれなかったのか、ランテは不思議に思っていたが、おそらくはランテが断りやすいようにだったのだろう。この場ならランテが断れば、ミゼを始めとした味方がランテに力を添えてくれる。しかし一対一の話し合いなら丸め込まれるか、副長とその部下という立場の違いがあるから——ランテがそれを気にするかは別として——無理に頷く可能性があるとセトが判断したのだろう。


 悩んだ。悩みながらセトの顔を見る。先ほど多くの感情が入り混じっているように見えた彼の目は、今や凪いでいた。ただ静かにランテの返事を待っている。悩みながらミゼの顔も見た。ミゼは心配そうにランテを見つめ続けている。それでもミゼは、ランテの意志を尊重しようとしてだろう、じっと我慢してくれていた。


 一番に浮かんだのは、力になりたいと、そう願う気持ちだった。だからランテは、意を決して顔を上げた。


「オレは、オレにできることなら何だってやります。でも、オレ一人にできることは多くないので、たくさん助けて欲しいです」


 オルジェの値踏みするような眼差しが、ランテを射貫く。やや気圧されそうになって、けれども辛抱してその強すぎる目を見つめ返す。


「……戦力としても、始まりの女神の力を宿す彼と、それから黒女神であるミゼリローザ殿が核になるのは間違いないだろう。彼が旗印になることに、私は反論はないよ。東の支部長殿はどうだろうか」


「構わんが、条件をつける」


 おごそかに言って、オルジェはランテから視線を外すとすぐにセトを見据えた。


「旗印が北の息のかかった者になるならば、この会議の議長は次回から私が務める。そして、東西融和については最初に提案した北の副長、お前が責任を持ってやれ。もし果たせなかったなら、そのときは……私や、そしてモナーダ辺りも考えているであろう保守的なやり方に従え。さらに、ランテと言ったな。お前が何かしでかしたら、そのときはお前を推薦した北の副長に責任を取らせる」


 おそらくだが、オルジェは東西融和が上手くいかないと思っているのだろう。だからセトにやらせてみて、失敗を見届けてから主導権を握ろうとしているように思われた。そしてランテのことは信用していないのだろう。最後につけ足された発言はセトに迷惑をかけないかとランテを不安にさせたが、彼の方は何ら問題ないとでも言うように頷いた。


「全て私は異論ありませんが、他の皆さんの意見も伺うべきだと思いますので、決を採っていただけると」


「無論だ」


 オルジェがシリスに視線を流す。意を受けてシリスは全体に反対意見がないか確認したが、誰も何も言わなかった。


「では、大まかな方針はそのような方向で。次は、具体的な方策についてですが——」


 そこから先のことは、現在の情勢について詳しくないランテにはほとんど発言の機会がなかったが、話し合いはとどこおりなく進行していった。


「王都を出現させる場所ですが、やはり守りやすく、多くの者が目にしやすい白都付近が良いかと」


 今ミゼが守っている王都を、中央のすぐ北側に出現させること。


「王都の人たちに交渉役を担ってもらうのなら、ランテが時の呪を解除しないとならないわ」


 ランテが王都の時間を動かせるように努めること。


「東西の話がまとまるまで祠を放っておくわけにもいかんだろう」


 各地六か所にある祠をそれぞれ分担し、追加の人員を送り込んで警備を強化すること。


「祠が守り切れなかったときのために、呪使いたちは無属性呪を会得していくべきだと思います」


 祠に何かがあったときのために、無属性である特殊呪の習得に皆で励むということ。


「【超越の呪】は、ベイデルハルクらに対抗できる可能性を持つものです。それに、研究を進めれば、敵の目的をより詳しく知ることもできるかもしれません」


 【超越の呪】の研究を進めること。


「やはり民たちにこのまま何の説明もせず、というわけにはいかない」


 そして、主に中央の人間たちを対象に、一般市民たちへ状況説明の機会を持つこと。


「ありのままに真実を話すか、それとも——」


 その際に何を話すかということ。


 昼一番に始まった会議が、結局宵の入りまで続くことになったが、大方のことは話し合いが済んだ。不安なことも乗り越えるべきこともたくさんあったが、こうして大陸に存在する全ての者たちが団結していくにあたって一応の方向性が定まったということは、ランテに大いなる希望を感じさせた。

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