【Ⅲ】—5 半分

 ベイデルハルクを視界の中央に収めたまま、ミゼはしばらく立ち尽くしていた。返答できないミゼをよそにして、ベイデルハルクは一人、語り続ける。


「ただし、いくつか他に呑んでもらわねばならぬことがあるな。一つ、王都を民の目に触れぬようにすること。一つ、西大陸の民の記憶を奪うこと。一つ、西大陸には今後一切干渉せぬこと。以上三点を、国を半分そなたに戻す条件とさせてもらう」


 横たわったランテの剣に、ミゼは目を落とした。それから自分の両手を掲げる。指は先から半分ほどが空気に溶けて、その他の部分も煙か何かのように頼りなげに揺らめいている。


「国の半分を得て、そこであなたは何をするつもりなの」


「私は国を一つ持ってみたくてな。自国の民を無為にさいなんだりはせぬつもりだが。無益なことは好まぬゆえな。それは、王都の様子を見れば分かろう。我々は立ち向かってきた兵こそ手にかけたものの、戦えぬ者たちに犠牲を強いてはおらぬ。なればこそ、記憶を奪っておいた方が良いのは分かろう? 亡国を思って剣を取る忠に厚い者を、そなたとて死なせたくはないだろう」


 もう一度、ミゼは同じように剣と己の腕を順に見つめた。その後まぶたを閉ざし、一息零したのが耳に届いた。


「もし……あなたが暴虐な行いをするのなら、その時は黙ってはいません。この身に代えても、あなただけは討ち取ってみせる」


「結構な話だが、これよりそなたが気にかけるべきは大陸の東の者たちのことであろう? その者たちを見捨てる覚悟が整ったならば、いつでも相手になるがね」


 開かれていた目が、再び瞑られる。微かに何かがきしむような音が聞こえてきた。ミゼが歯を噛み締めたのだろうか。


「……条件は、呑むわ。王都は……このままここに湖を創り出して、水底に沈めましょう。私とお母様が半分ずつ力を出し合う形にすれば、どちらか一方の意志によって王都を出現させたり、危害を加えたりすることはできなくなるはず。王都の時は止まっているようだから、水底に沈めても民や街に被害は出ない。……大陸の西側の民たちの記憶についても了承するけれど、それは少し時を置いてから行うことにするわ。呪を使っているときの隙を突いて、あなたたちが私をどうにかしようとするかもしれないから。もし私が約束を守らなければ、あなたたちが改めて大陸の東側に攻め入ればいい。そして最後に、干渉するなという話だけれど……」


 薄っすらと開かれた目が、またランテの剣に落ちる。ミゼはそれをぼんやりと見つめ続けた。


「これについては、民たちと決めます。私一人が決断して良いことではないわ。そちらに攻め入ると決めたときは、当然……あなたの言うように、覚悟が整ったときになるでしょう」


「良かろう」


 満足気に頷くベイデルハルクの顔が見えたのを最後に、過去の光景は薄れていった。何も見えなくなってから、今ここにいるミゼが口を開く。


「こうして世界は二つに分かたれました。以来皆さんは、七百三十七年にわたるあまりにも永い時を、簒奪さんだつ者ベイデルハルクの支配を受けて過ごすことになった。……私のとがです」


「つまり大陸の西側は、旧王家に見捨てられた土地というわけだな」


 容赦のないサードの声に、ミゼは頷かなかったが、瞳に影を落とした。そんな言い方はないと憤慨し口を開きかけたランテに、ミゼが視線を送ってきて、思わず言葉を引っ込める。呼吸二つ分沈黙が続いたのを、セトが繋いだ。


「先を。話し合うべきことは、幾らでもあるので」


 今度は頷き、ミゼは再び顔を上げた。


「水の精霊の力を借り、白女神と王都を泉の底に沈めた後、私は大陸の東側へ逃れました。王都の異変を察知してこちらへ向かってきてくれていたアーテルハ候と出会い、一度その領地へ身を隠しました。そこで……彼と話し合った末、大陸西側の人々の記憶を奪いました。今ベイデルハルクらとぶつかったところで、勝ち目はないだろうと……西の副長さんが言ったように、現在白女神統治区域となってしまっている一帯の人々を、私は見捨てたのです」


 努めて、ミゼは表情を押し殺そうとしているようだった。殺しきれなかった自責が微かに滲んではいたが、そこで言葉を止めずに彼女は続ける。


「大陸の西側のことは、ごめんなさい、私も詳しくはありませんが、ベイデルハルクが自身を軸とした白軍組織を作り上げるのに、そう長い時間はかけなかったようです。現在彼が十三代の大聖者ということになっていますが、最高権力者はずっと彼だった。誓う者であることは伏せたかったようで、何代かに一度、彼自身が表の統治者になり、それ以外は別の者に形だけの大聖者を務めさせていました。現在残っている記録はかなり改竄かいざんされたもので、大体三から五代に一度はベイデルハルクが大聖者を務めています」


 ランテは、以前北支部の部屋で見た本を思い出していた。確かに、ベイデルハルクの名は今代のみの一度きりしか出ていなかったが、あれは改竄されていたのか。何代か過ぎてしまえば、以前の大聖者の顔など誰も知らないだろうし、改竄は簡単なことだろう。


「基本的なやり方は……大陸東側のラフェリーゼを『敵』にすることで、国を一つにまとめ上げていくものでした。敵がいれば、大体の不満をその敵のせいにできる。そして、あらゆる形で—―たとえば心酔させたり、あるいは人質を取るなどして身動きを取れなくさせたりして——自身に絶対的に忠実な部下を作り出し、彼らに実務を任せるというやり方で、白軍組織は運営していました。その傍らで、ベイデルハルク自身は何かの研究をしていたようです。おそらくは、それが例の【超越の呪】の研究だったのでしょう。白軍組織樹立後、彼が熱心に政治に関わっていたのは初めの百年くらいで、以降は今述べたような形での携わり方をしていたようです。国を一つ作って、やりたいことをやり終え、それに満足し……いえ、それで満足できなかったから、今度は世界を創り変えようとしたのでしょうね」


「こちら側の話はいい。お前が逃れた東側にラフェリーゼという国ができた経緯は」


 オルジェが鋭く割り込んでくる。ミゼは彼に向けても頷き、さらに言葉を継いだ。


「将来的に、ベイデルハルクに対する力を得るためには、まず国として体制を建て直し、制度を整えて力をつけることが必要だろうという話になりました。アーテルハ候は王国の存続を望んでくれたのですが、私は売国の重罪人ですから。そして既に誓う者になっていた以上、子を成すことも望ましくない。レイサムバード家は滅びたと民たちに伝え、新しい国を建国して欲しいと私から頼みました。そしてできればその国は、王制ではない国にして欲しいとも願いました」


 またしても幻が浮かび上がる。先ほどよりもかすんでいて、しかも静止画ではあったが、『アーテルハ侯』らしき人物の特徴はよく分かった。髪が完全に白くなるほどには年を取った細身の男性で、柔和そうな人物だった。


「アーテルハ候は、本当によくやってくれました。一度も血を流させず、三年ほどで私が願った通りの国を作り上げてくれた。国の仕組みは先ほどお話しした通りです。そして彼は、私に居場所もくれた……黒女神なる存在の預言者としての役割を。議会に参加できる権利を与えてくれたのです。もっとも私は、よほどのことがない限り民たちの選択に口を挟むつもりはありませんでしたが、政治の成り行きは見守りたいと思っていましたから、ありがたいことでした」


 その後ミゼは、彼らが行ってきた政治について語った。いつか国を一つに戻すためにという目的の元、改めて騎士団が組織されたこと。彼らに力を与えるために、そして議員たちが等しく発言力を持つために、黒女神が属性の力を——こちらの大精霊にあたるそれを、あちらでは【核】と呼んでいるらしい——各地に分け与えること。国が分かたれた日からちょうど百年の後に白軍が攻めて来たため、それに対する防衛線を敷くこと——


「……ですが、国をあるべき姿にと願う心は、時を経るにしたがって薄れていったようです。大陸の東は良くも悪くもかつての王国の気風が残っていて、激戦地を除けば平和でした。それゆえでしょうか。三百年経った頃から現状維持派の声が高くなっていきました。今現在、東大陸が西大陸に積極的に関わろうとしない理由は、ここにあります。それを是としない者たちが……つまり議会の決定に不服である者たちが、過激派となってしまっています。これが、大陸の東側ラフェリーゼの現状です」


 そう結んだミゼに目を遣り、オルジェが鼻を鳴らした。


暢気のんきなことだな」


 その言葉には、少しだけランテも同意してしまった。大陸の西側の人間たちは、無知でいることで誤ったのかもしれないが、大陸の東側の人間たちは、無知ではなかったのに痛みを嫌うあまり動こうとしなかった。どちらかがどちらかを責められる立場にはないのかもしれない。ランテが王都の人間だからかもしれないが、そう思わずにはいられなかった。

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