【Ⅲ】—2 東の地

「中央と言えば、もう一人そういう者がいたな」


 響いた低い声に、ランテは弾かれたように顔を上げた。声主オルジェは無表情でセトを見ている。


「当然のようにこの場に参加しているが、どういう了見か聞かせてもらおうか」


 明らかに、声には威圧の響きが含まれていた。ランテが気づくのだから、セトは間違いなく気づいただろうが、顔色一つ変えない。


「この場にこの色の制服を着て参加していることで、オレ自身の意志は示せていると考えていますが」


「お前の意志を問題にしているのではない。お前が今大聖者らと通じていないとどう証明する? それができぬままに我々がお前を受け入れると考えていたのか、と聞いている」


「通じている証明なら物証さえ見つけてしまえばそれで良いのでしょうけど、通じていないことに物証はありません。ゆえに、オレが今ここで自身の潔白を示すことはできません。中央本部の命令と準司令官の地位を甘んじて受け入れたのは人質の命を重んじたからで、その人質が二人とも解放されている以上オレが中央に力を貸す理由はありません、と言えるくらいでしょうか」


「それで足りると思うか?」


「いえ。ですから」


 終始、セトは沈着冷静だった。オルジェに視線を留め続けて言う。


「オレが内通者だと思われるのならば、どうぞここで処断を」


 凍りついたように場が静まった。それきりセトとオルジェは、互いに口を閉ざしたまま視線を交わし続けている。このまま永遠に沈黙が続くのではと思われるほど長い間があったが、やがてオルジェが再び口を開いた。


「弁明一つも用意せずに来たか。大した胆力だが、謙虚さが足りんな」


「支部長が重体でなければ、少なくとも副長として戻ることはなかったと思います。そうではないので。それに」


 長い間を取ったセトを、オルジェが促す。


「何だ」


「オルジェ支部長ほどの方なら、今のこの状況における最善を見失われるようなことはないだろう、と」


 鼻で笑って、オルジェは目を細めた。やや剣呑な雰囲気が放たれる。


「お前は、処世だけなら中央でも上手くやったかもしれんな」


 褒めているようでそうでないのはランテにも伝わってきた。セトはほのかな笑みでそれを受け取る。


「いいだろう。最善でなくなったと判断したときには、東が存分に干渉させてもらう」


「はい」


 二人の間のやり取りは、多少言外の意図を察し合うようなところがあって、注意深く聞いていたランテであったが、その全てを理解することはできなかった気がした。『最善』というのは、支部長を欠く今の北支部においてセトがその代理を務めること、を指すのだろう。セト自身が本当はそうは思っていないことをランテは知っていた。だからここで、一分の隙も見せることなくそう言った——言い切ってはいないにしても、そう示唆した——彼に感心するような気持ちも湧いたが、同時に心が痛みもした。こういうことができてしまう人だから、セトはいつも傷だらけになる。


「内通を疑うのなら、私もそう思われても仕方のない立ち位置にある。私と北の副長殿が今後の議論に参加してもよいか、決を採ってもらえないか」


 モナーダが場をとりなそうとしてだろう、そう切り出すと、狼狽うろたえていたシリスは助かったと言わんばかりにすぐさま頷いた。


「分かりました。では、お二方が参加されることに、異議のある方は」


 誰も声は上げなかった。ひとまずのところ、ランテもほっとする。


「それでは話を先に進めます。状況確認の続きですが、今のベイデルハルクらの様子についてお詳しい方はいらっしゃいますか?」


「激戦地方面へ進軍したのは間違いない。総会で宣言していたように、七割程度——およそ七千程度だったな。指揮は新任の聖者がしていたようだ。ソニモとか言う名の」


「東の管轄には一切手を出さずに激戦地に?」


「無論警戒をしていたのはあるが、素通りだったな。激戦地に到達するまで監視させていたが、途中の砦で小休止を取るくらいなもので、事前に告知されていた通りのルートを通っていた」


 オルジェとモナーダは、そろって渋面じゅうめんで話している。


「中央からは、激戦地より兵を引いてよいと通達があってな。既に落ちたアノレカから黒軍が進軍して来なかった件も鑑み、兵は一時引いた。激戦地に元々いる兵のみではやって来る中央の大群を相手にはできん。兵力を手元に集め中央軍に抗するつもりだったが、素通りとはな。激戦地の方は、黒軍の進軍はないのは確認済みだ」


 語り終えて、オルジェはミゼに視線を向けた。自然と他の者の視線も彼女に集まる。


「こちらでは黒女神統治区域と呼ばれている、大陸の東側についてですが」


 静かに響く声で、ミゼは語り始めた。


「真の名は、【ラフェリーゼ】と言います。始まりの女神ラフェンティアルンと……黒女神ミゼリローザから取って名付けたそうです」


 宙に東大陸のシルエットが浮かび上がる。ミゼの幻惑の呪だ。


「東大陸は六つの地域に分かれていて、それぞれ二名ずつ代表を立て政治を行っています。六つであるのは、それぞれがこちらで言うところの大精霊を一つずつ管理し合える数だからです。六つの分担地区のそれぞれの中にも代表に託す案や意見を束ねる政治機関が存在し、できるだけ多くの者から意見を募って国は動かされています」


 幻の東大陸が六つに色分けされる。図があると、それだけでとても分かりやすく感じられた。


「ラフェリーゼがこちら側へ攻めてこないのは、元より彼らには西大陸と積極的に関わろうとしないところがあることと、それからまだ話し合いが進んでいないから、というのも理由として挙げられると思います。導き手が多いと、進むべき方向を定めるのに時間がかかりますから」


 色鮮やかな幻がふらりと揺らいで消えた。


「西大陸と積極的に関わろうとしない、と言ったか? では、出兵していたのはあくまで防衛のためだったと?」


 オルジェの問いに、ミゼはすぐに返事をすることができなかった。


「主には、そうです。ご存知の通り、過激派と呼ばれる一派も存在します。日々続く戦いの中で、肉親や友人、恋人を失った者などの一部には、進んで剣を取ろうとする者もいます」


 紫の瞳に寂莫とした光が宿る。一度まぶたを下ろしてそれを追い払い、彼女は面を上げた。


「ラフェリーゼの人々は、かつて存在した王国のことを知っています。そして西大陸の人々が、ベイデルハルクに不当な支配を受けていることもまた、知っています。ですから」


 何かを続けようとしたが、そこで言葉を断って、ミゼは首を振った。


「……いえ、ここからは、私が言うべきことではありませんね」


 東大陸の多くの者たちに敵意はないというミゼの言は、この場に座っている全員をしばらく黙らせた。


「ミゼリローザ姫」


 ややあって呼んだのは、モナーダだ。


「申し訳ありませんが、我々はまだ王国とその滅亡について詳しくありません。ラフェリーゼという国がどう成り、そして白女神統治区域がどう生まれたのかも含め、よろしければ王国について教えていただけませんか」


 至極丁寧に、モナーダはミゼに依頼した。ミゼはもう一度目を閉じる。少しの間そうしていてから、ゆるりと瞼を上げて頷いた。


「分かりました。では、私がこの七百五十六年間で——王国での十九年と、その後の七百三十七年間で見てきたこと、知ったことの全てをお話します」


 喉が鳴るほどの勢いで、ランテは空気を呑み込んでいた。自分が光に変わってしまってからのあの後のことも、語られるだろうか。速まった鼓動に緊張を自覚しながら、食い入るようにミゼを見つめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る