【Ⅰ】—2 問い

「食欲ない?」


 セトが頼んだのは粥だった。量も少ない。ランテの問いに、彼はやや困ったような笑みで応じた。


「寝起きだからな」


「でも、すごく痩せた」


「少し前まで、消化器系も大分やられてたからさ。食事が喉を通るようになったし、後は徐々に量も増やす。もう大丈夫だ」


 一向に受け取ってくれない心配のやり場がない。もやもやするというのは、今のような心理状況を表すのかと実感する。


 食事の間に戻った記憶について教えてくれないかとセトに頼まれたので、やや不満だったが——本当はもう少しランテの心配に耳を傾けて欲しい——語ることにする。要領よく話せないランテを、セトが時折質問を挟んで導いてくれたので、伝えたいと思っていたことは大方伝えきれた。


「それで、『三度目の生』か」


 聞き終えて、最初にセトはそう言った。頷いたランテを静かに見つめ、彼は続ける。


「あの場で初めて事実を——ルノアの実現の呪によって生み出された存在かもしれないってことを突きつけられて落ち着いていられたお前は、やっぱりすごいって素直に思うよ。月並みな言葉だけどな」


「たぶん、あんまり考えないようにしているだけなんだと思う。考えなくても、今生きていればそれでいいかって」


「そう思えるのも強さだ」


 返事をしながらも、セトは何かを考えているようだった。目が覚めてからほんのわずかな時間も惜しむように、彼は何かを考え続けている。


「考えごと?」


「ああ。明日までに、考えておきたいことがたくさんあって」


 これは今晩どこか休める場所に行こうとも休む気はないのだろうなと思って、ランテはつい溜息をついてしまった。


「それから、ランテ。ユウラの妹と会ったって言ってたよな」


「……うん」


「明日朝早く、会議が始まる前に案内頼めるか?」


「会うの?」


「あんな状態だけど、妹に会わせてやりたい。妹にも洗礼のことはいずれ耳に入るだろうし、それならオレの口から伝えたいというのもある」


「セト……」


 あの状態のユウラを目にしたら、ユイカはきっと嘆き悲しむだろう。そのユイカを見ることで、セトもまた心を痛めることになるに違いなかった。本当にセトは、痛みの全部を背負わないと気が済まない人なのだと思って、ランテは一層悲しくなった。


「上官の——それから、ユウラを守れなかった者としての責務だ」


 一度視線を下げて、その後生まれた間をごまかすように、セトは既に緩んでいた銀のネクタイを——あれきり着替える間がなかったから、中央の色だ——引っ張った。綺麗に解いてしまってから、顔を上げて再びランテを見る。


「ユウラの妹の現状は? 酷い状況なら、今晩の内にもって思ってるけど」


「あ、それは大丈夫。旦那さん、ソノさんって言うんだけど、とてもいい人で。使用人の人も親切だった。ユイカさんも、今は幸せだって言ってたし、ちゃんとそう見えたよ。夫婦でオレとデリヤを匿ってもくれたんだ」


「……そっか。それなら」


 一度畳んだネクタイをもてあそびながら、少しだけ目を遠くに遣って、セトは言う。


「ユウラの今後も、頼めるかもしれないな」


「えっ」


 目が丸くなるのが、自分で分かった。


「ユウラを預けるの?」


「オレがずっと見ていられたらいいけど、そうもいかない。戦場にも行くだろうしな。どこか安全な……信頼できる人間に見ていてもらいたいんだよ。ユウラを元に戻す方法は当然探すけど、それまでの間。ノタナさんに頼むつもりだったけど、北に戻るのもいつになるか分からないし、家族がいるならそっちの方がいい。もちろん、妹の方がそれを望んだらだけどさ」


 視線をランテに戻してきてから、セトはネクタイを仕舞って席を立った。食器の載ったトレーを持ち上げて、返却口へと向かっていく。


 席に残されたランテは、一人頭を悩ませていた。セトの言うことは正しい。忙しいセトの傍にいるのだと、どんなに気をつけていても目が届かない時が生まれてしまうだろう。危険でもある。だからもっと安全な場所にというのは、自然な考えだ。しかしランテは、今のセトからユウラを引き離すべきではないとどうしても考えてしまう。この意見に根拠や正当性なんてちっともないのだが、感覚的に、強くそう思うのだ。


 いや、根拠なら多少あるかもしれない。これまでランテが知っているだけでも二度死にかけたセトだが、そのいずれもユウラの見ていないところでのことだった。なんとなくだが、ユウラの見ている前では、若干セトが無茶を控える傾向にある気がする。自分が無茶をすることをユウラが望んでいないのを——そうすれば彼女が傷つくことを、セトは知っているのではないか。だから、ユウラが傍にいることは、おそらくそれだけで抑止力になる。


「ランテ。オレは負傷兵のところに行くつもりだけど、お前は?」


「あ、うん、オレも行く」


 ユウラに傍にいてもらうためにどうしようと考え始めたところで、呼びかけられた。仕方なくランテは思考を切り上げ立ち上がる。理屈を上手く積み上げられない自分の頭が、今は苛立たしかった。






 セトは重傷者が集められている小部屋を四つ回って、そこに寝かされている者たちの治療を終えた。特に北支部以外の兵は、重い傷が瞬く間に塞がるのに驚き、管轄外の自分を癒してくれたことに深く感謝した。それぞれにセトは「どういたしまして」と応じながらも、どこか申し訳なさそうだった。


「残りは明日にでも回るよ。お前もここまで付き合わせてごめんな。もう遅いし、休んだ方がいい」


 四つ目の部屋を出てすぐ、セトがランテにそう話しかけてきた。


「うん、そうするけど、セトは?」


「今日はオレも休む。寝た方が呪力の戻りも早いしさ」


「うん」


 負傷者に何かあったとき自分が傍にいた方がいいだろうということで、セトはこの棟のどこかで休むという。それについてはその通りだと思ったので、ランテも素直に受け入れた。


「それじゃ、また明日な」


 立ち去っていくセトを五歩進むほどの間黙って見送ったランテだったが、どうしても聞きたいことが残っていて、つい背中を呼び止めた。


「セト」


「ん?」


 半身になってこちらを見たセトに、思い切って質問をぶつける。


「オレが言ったこと、『善の押しつけ』だった?」


 ちらりと、セトの視線が脇に逸れる。兵のいる部屋の入口を見たようだ。


「その質問に答えるのは、ここじゃちょっと。そろそろ寝たいやつもいるだろうし、場所を変えていいか?」


「うん、ごめん」


「大丈夫だ。屋上でも?」


「うん」


 セトの後ろを歩きながら、ランテは思う。再会してからしばらくは、多少セトの言動に違和感を覚えることがあった。しかし先ほど目覚めてからの彼は——特に食事をし始めてからくらいの彼は、激戦区で別れる前の彼とほとんど一致しているように見えてきているのだ。とても、らしい。違和感があるとしたら唯一、ハリアルのことを伝えたときの反応の薄さくらいだ。それだって、覚悟を決めていたというのなら、らしいの範疇に収まることかもしれない。


 セトを苦しめていることは、何も解決していないはずだ。それどころか、ハリアルまでもが倒れることになり、より増えたとさえ言える。何が彼を落ち着かせているのだろう。分からない。悔しいほどに、ランテにはセトが理解できなかった。よく知っていると思っていた。過ごした日々は短かったけれど、共に乗り越えてきたものはたくさんあったから。それなのに、どうしてこんなにも彼の心が見えないのだろう。


 そんな状態でいるから、ベイデルハルクがランテに放った『善の押しつけ』という言葉は、ランテ自身が思っていた以上に濃い影を落としていた。もしかしたら、そうだったのかもしれない。根づいた不安をそのままにしておくことはできなかった。

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