【Ⅴ】ー7 使命

 石のように固まっていたランテだったが、ぼうと佇む人型の光が、ふと目を引いた。


「白女神……」


 思わず呟くと、皆が顔を動かしてそちらを見た。白女神はもはや、顔かたちも分からなくなっている。ほとんど、ただの光の塊でしかないように見えた。


「お母様」


 呼んだミゼの声には、多くの感情が詰まっているようだったが、中でも一番強い響きを持っていたのは憐れみだった。こつこつと一歩ずつ靴音を鳴らしながら、ミゼは白女神に近づく。


「どうしてと聞いても、きっと、もう答えてはくれないんでしょうね」


 ルテルアーノは、どうしてベイデルハルクに寄与したのか。ランテにとってそれは、記憶が戻って尚大きな謎の一つであったが、ミゼもまたその理由を知らないらしい。


「ミゼも知らなかったんだ」


「ベイデルハルクからお母様に言い寄って、お母様もそれを受け入れたらしいことは知っているの。……私にとってのランテが、お母様にとってのベイデルハルクだったのかしら」


 ミゼの背は、強い光を前にしているために影になっていて、そのためか酷く寂しげだった。


「それでも……お母様は、許されないことをした」


 自分よりも少し背の高い白女神を——母親を見上げて、ミゼは言う。言葉は厳しく罪を断ずるものであったが、声には何か柔らかい感情が染みていた。


「だから、お母様。私たちは、償わないと。国に、民に、そして世界に」


 靴音は途絶えない。ミゼは白女神を目前にしてもまだ歩みを続けた。やがて彼女らは重なり合う。白女神を構成していた光がするりと解けていく。


「我が名はミゼリローザ。始まりの女神ラフェンティアルンの才を継ぐ者。光よ、我が声に応えよ。我が身に宿り鎮まれ。我と共に、王国に——この地に安寧を」


 凛と響いた声に呼応して、光はミゼを包み込むように集った。ミゼはそれを抱くようにして受け容れる。白女神の光を移してほのかに輝いていた身体は、そのうちに元に戻った。先ほどまでそこにあった人影の姿は、もうない。ミゼは、やおら振り返った。


「お母様の自我は、もうとっくに失われていたのでしょうね。こうすれば一言くらい、何か聞けると思っていたけれど」


 誰に言うともなく呟いて、瞳を伏せる。


「……哀しい人」


 寂しい声だった。潜まされていたのは、白女神への同情なのか軽蔑なのか分からない。どちらにせよ、白女神の消滅はミゼをさらに孤独にさせた。それは間違いないように思われた。


「ミゼ、平気?」


「ええ、大丈夫よ」


 そう言わせるために聞いたようなものだったと気づいて、ランテは閉口した。自分の言葉はいつも軽すぎる。しかし、口を閉ざしていても何も始まらないのもまた、正しい。気を取り直して口を開く。


「ハリアルさんは、いったい何をしたんだろう」


 横たわって、静かに呼吸を続けるハリアルを見た。彼が使った呪がとてつもない力を秘めた何かであることは、ランテにも理解できる。しかしそれにどのような効果があるのかまでは、考えが至らない。


「支部長はベイデルハルクがやろうとしていたことを、先にやったんだ。力を吸い上げる対象を世界ではなくベイデルハルクと白女神にして、物を実体化させた。あの土の塊を作り出したんだよ。僕らの世界の理の外にあるものとしてね」


 土塊が落ちていったところを見つめて、テイトは言葉を足した。


「支部長が見つけてきた資料は、ベイデルハルクが編み出した新たな呪——【超越の呪】と名づけられていたんだけど。それを彼の傍に仕えていた者たちが、代々後継しながら協力して解き明かしてきたものでね。支部長と一緒に、その資料を読み解いたのは僕なんだ。支部長が手に入れた資料を人伝に僕に回してくれて……牢で一人でいたから、時間はたくさんあった。読み解くこと、理解すること、それから呪を改変してエネルギー源を替えること。ここまでは上手くいったんだ。だけど」


 彼は倒れるハリアルに目を移す。強い悔しさを抱いているのがよく伝わってきた。両の瞳が、まるで心を映し出しているかのようだったから。


「あの呪は、誓う者であるベイデルハルクが行使することを前提にして編み出されたものだった。人である支部長が使うには、行使すべき力との距離の点で問題があるんだ。人は人である以上、自分の器の——肉体の中から力を捻出しないといけない。補助の呪や強要の呪で、多少周りの人間がサポートできはするけど、完全に外から力を集めて行使できるのは、器の拘束を持たない誓う者だけ。だからこの呪を使うためには、誓う者になるか……瀕死になるしかなかった。死にかけた状態なら、器の拘束は緩くなるから」


 静かに息を吐き出して、テイトは一度瞼を下ろした。


「瀕死の状態で負担の大きな呪を使えば、たとえ傍に優れた癒し手が——セトがいても命に係わることになるのは、分かっていたんだ。それでも僕は、この呪の扱い方を支部長に伝えた。僕じゃおそらく、ベイデルハルクや白女神に近づくことも叶わないだろうし、近づけたとしても、ぎりぎり死なない程度の攻撃を上手く受けるなんてことはできないから。この状況は僕が招いたこととも言えるんだ。僕の、力不足ゆえのことだよ」


 ミゼが、ランテたちが集まるところへ帰ってくる。ふるふると首を振って、彼女はテイトに答えた。


「いいえ。あなたと支部長さんが見つけ出した呪は、今後の希望となり得る力です。……私がもっと早くにその呪にたどり着けていたら、あなたと支部長さんにこんなことを強いることにはならなかった。ごめんなさい」


「失敗したら、ルノアさんを失うことになるかもしれない。だから、ルノアさんを頼るのはやめておこうって、これも支部長と決めていたんです。理論は完璧だと思っていても、いざ呪を使ってみると上手くいかないことは、よくあることですから。それに、僕らがこれにたどり着けたのは、支部長が資料を盗み出せたからです。ベイデルハルクに警戒されていない者だったから、できたことだと思います」


 ミゼはそれきり沈黙した。どんな言葉を掛けても、テイトが自分を責めることをやめないだろうことは知れた。


「……こんなことになって、北は、大丈夫ですか」


 ややあって、ミゼが言う。倒れた二人に遣る目が酷く陰っている。


「大丈夫ってこたぁねぇな、そりゃよ。支部長は有能な人だ。これまでこの人がいたから、北が危うい状況でもやってこれたっつーのは間違いねぇ。いつか目覚めるんだとしても、それまで支部長の穴をどう塞ぐかは、やべぇ問題ではある」


 アージェが言い、テイトが頷く。


「そうだね。しかも、これからはやらなくちゃいけないことが増える……中央の要人が王都へ行った今、どうやって西大陸をまとめていくか考えていかなきゃいけないし、ベイデルハルクたちにどう対していくのかも……でも、きっと支部長の言うことも正しいんだ。今のセトには、時間を与えない方がいい。それに、自分がいなきゃ回らないって状態にあった方がいいのも、そうだと思う。身体は心配だけどね」


「元々大怪我しようが高熱出そうが構わず働いてた奴だ。慣れてんだろ。後は、ユウラだな」


「うん。ユウラがいつもみたいに働けないっていうのも、大きな問題だよ。うちが副長一人で回ってたのは、もちろんセトが頑張ってくれていたからだけど、ユウラの力によるところも多分にあったから。……それに、まず何より、戻ってきて欲しいよね。仕事のことがなかったとしても」


 北が動かなければ今回の白都防衛はならなかっただろうが、それにしても払った対価が重い。無論皆で立て直していくしかないのだが、その対価のしわ寄せの大部分がセトにいくだろうことを考えると、ランテは心配でならなかった。ハリアルが意識を失う間際、彼に縋っていたセトを思い出す。無理だ、できないと言っていた。ハリアルの命を繋ぎ留めるためのものだったかもしれないが、実際あれが本音なのではないだろうか。セトはそもそも、ランテと二つしか年が変わらない。これまで負ってきた責任だってとても重かったが、今度はそのさらに数倍もの責任を一身に負うことになるのだ。セトの優秀さは目の当たりにしてきたものの、今の状態の彼にその重みを支え切れるだろうか。


 ユウラがいて欲しい、とランテは思った。当然、ランテもできる限りのサポートはしていくつもりでいる。しかし、白軍についても支部についても、今の世界についてすらも詳しくないランテの助けが、セトをどれだけ支えられるかと考えると、力不足を感じざるを得ない。テイトやアージェたちも力を尽くすだろうことは分かるが、それでも、ユウラが必要だと感じるのだ。


「ユウラを、どうにかできないかな」


 どうしても、視線がミゼに行く。洗礼を受けた者をどうにかできないかと、記憶を失って初めて会ったとき、一度聞いたことがあったのに。ミゼはしばらく逡巡してから、ランテをうかがうように見た。


「ランテ。さっき一度使った力のことは、分かる?」


「さっきのって、どれ?」


「ベイデルハルクの【星彩】を止めたもののことよ」


 女神の記憶の中で、男性が使っていたあの呪のことか。不思議な色の光に照らされたものが、時を奪われたように動きを止めるあの呪。


「オレも、どう使ったかは分からないけど、女神が力を貸してくれたんだと思う。女神の記憶の中で、誰か男の人が使っていたんだ」


「だったら、伝承はやっぱり正しかったのね」


 納得したように頷いて、ミゼはランテを見つめ直した。


「王家に代々受け継がれていく口伝の中に、始まりの王レイサムバードにまつわるものがあるの。彼は、時を操る力を持っていたのですって。なぜそれがランテに使えたのかは分からないけれど、さっきの呪はきっと時の呪よ。それが上手に扱えるようになれば、副官さんを元に戻すこともできるかもしれないわ」


 思わずランテは自分の両手を見下ろした。ミゼの言うように、もし自分にそんな力があるのなら、どんなに苦労しても扱いきれるようになりたい。ユウラを治すことはもちろん、きっとこれからの戦いにも大いに役立つはずだ。


 ぎゅっと、両の拳を握る。この手でできることは、何一つこぼさず、やり切ろう。それが今ここにいる“ランテ”の役割であり、使命なのだから。


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【今後の更新についてのお知らせ】

今回で〔正義の在処は〕は完結です。

起承転結の「結」に入るのに従い、更新頻度を変更します。


☆月水土の週三回更新→五の倍数の日の月六回程度更新

☆八月十五日まで三回分の休載


ストックは九回分ありますが、この先は少々慎重に練って書き進めたいこともあり、また他の方の作品をじっくり読みたいこともあって、しばらくはこのようにさせて頂きます。

申し訳ありません。これからも『Rehearts』をよろしくお願い致します。


休載中、多少設定資料集の方も触る予定ですので、もしよろしければ覗いてやってください。


『Rehearts外伝・設定資料集・あらすじ』

https://kakuyomu.jp/works/1177354055049306484

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