【Ⅴ】ー4 適任

 ベイデルハルクの姿が霞んだ。掴まれていた腕がふいに自由になる。やったのか。安堵は刹那だったが、その刹那を突かれた。


 光がランテの身体を通り抜ける。気づいたとき、ベイデルハルクはランテのすぐ後ろに移動していた。首を捻ることは間に合っても、全身を動かす時間まではない。光に転じた右手に、首を掴み取られるかと思ったとき、脇から飛び出してきたナバに突き飛ばされた。


「うあっ」


 ナバの苦痛の声と同時に、肌の焼ける臭いが届いた。身体を捻ったためにしりもちをついていたランテは、光に転じた腕に二の腕を掴み取られているナバを見た。あのままでは、焼き切られてしまう。


 また、庇われた。しかし庇われなければ、ランテは首を焼き切られていたかもしれない。簡単に致命傷を許す隙を作ってしまう己に腹が立つ。破壊の光に抗うように、癒しの光が集まっているのが見えた。ハリアルとアージェの刃がベイデルハルクの身体を捉えんと走る。皆、ランテよりもずっと速く状況に対応している——


 ベイデルハルクが二つの刃を躱すことを優先させ、ナバの腕はようやく解放された。ランテは彼を抱えて、無我夢中で光を纏った。


「セト!」


 唯一治療ができる彼の前に、ナバを届ける。ランテが背後を突かれたせいで、ナバは利き手に重傷を負う羽目になった。服か皮膚か、とにかく何かが黒く焦げている腕を見る。ぞっとした。


「すみません、副長。また手を煩わせて」


 汗を幾筋も垂らしながら、ナバは言う。どうにか笑おうとしているが、右手に力が入らなくなっているだろうことは見ていれば分かった。


「オレが前に行けないから、お前に負担を強いることになってる。謝らないでくれ」


 既に治療を始めながらナバに答え、セトはランテを見た。


「ランテ、ナバの代わりに支部長とアージェの支援を。自衛を一番に考えてくれ。いけるか?」


「うん。ナバもセトも、ごめん。もっとしっかりする」


「気をつけて」


 セトに送り出され、ランテは駆け出した。剣と鉾を躱すベイデルハルクの姿は、時折揺らいでいる。攻撃が効いていないわけではない。ただ——


 ベイデルハルクの輝く腕がアージェの肩を掠める。しっかりと隙を狙って翻された剣がベイデルハルクの胴を薙いで通るが、放たれた光線が代わりにハリアルの腰を射た。生身の人間と誓う者とでは、差し違えることが叶っても受けるダメージが違いすぎる。ハリアルとアージェの負傷は、遠隔で使われる癒しの呪によってすぐに治されるが、それでも人間には疲労があるし、呪力の限界もある。不利極まりないと言わざるを得ない。


 そして。


「あっ」


 テイトが短く声を上げた。


「セト、白女神の呪が!」


 珍しい焦った声で、ランテも事の深刻さを理解する。見れば、白女神の頭上にあるひとまとまりの光が、粒子の集合体に変わっていくところだった。


「【星彩せいさい】か?」


「うん。でも……こんなに呪力を与えられたもの、見たことがない」


 セトとテイトの間で交わされる言葉を聞いたことで、ランテにも知識を手繰り寄せることができた。【星彩】という名の呪は既習していた。光の上級紋章呪で、光の粒子を広範囲にまき散らし、その後弾けさせるという呪だ。今、白女神の頭上で輝く星のような光は、一つ一つがとても大きい。あれが町全体に散って爆ぜたとしたら。全身が粟立った。


「ルノア」


 セトがミゼを呼ぶ。声色で、どう動くか問うているのが分かった。思わずランテも振り返って、彼女の顔を見つめた。


「私が、ベイデルハルクを少しの間止めます。皆は白女神の方を」


 ミゼは、この事態を見越していたようだった。おそらくは戦いながらずっと下準備をしていたのだろう。


 彼女は胸の前で祈るように指を組んだ。ベイデルハルクの足元に、大きな闇色の紋が出現する。同時に場の空気が一変する。一瞬、誰もが動きを止めた。


「離れろ、アージェ」


 ハリアルの指示がある。先にアージェが距離を取り、ハリアルはベイデルハルクを一薙ぎしてから後退した。剣を受けたことで、憎き仇敵の、人としての形の揺らぎは大きくなっている。動こうとしているようだったが、すぐにはそうできなかった。


 ミゼの呪の完成は速い。天から薄闇のとばりが、ゆっくりゆっくり降りてくる。それはベイデルハルクを包むように降り立つと、抱くように纏わりついた。呪の名は分からない。以前、テイトが西大陸には闇属性の呪の知識が乏しいと言っていたのを思い出す。上級紋章呪であることは紋の大きさから分かるが、どんな効果があるのだろう。どう合わせて動けばよいだろう。ランテは頭を悩まして立ち止まってしまったが、ハリアルとアージェは止まらなかった。


「ランテ」


 セトから声がかかる。動こうとしたナバを止め、代わりに彼が駆け出す。好機は、何度もは訪れないだろう。この時間でどうにか白女神を止めるのだ。呪の完成が近いのは、急激に膨らんだ呪力からランテにも分かる。だから、急がなくては。


 白女神の方も、ランテたち四人が近づくことを簡単には許さなかった。【星彩】の光のいくつかを、四人めがけて派遣してくる。


「うわっ……ぐ、やべぇなおい!」


 アージェのところで、真っ先にそれが弾ける。彼は避けたのだが、光が弾けた範囲が広く、左半身にそれを浴びたらしい。光の当たったところが爛れている。それを見てセトが足を止めた。あの怪我は放置できるものではない、そう判断したのだろう。


「私が行こう。セト、テイト、ランテ。支援を」


「支部長——」


 手早くアージェを治して——応急処置だろうが——セトがハリアルを案じる。しかしハリアルは皆まで言わせず、静かに首を振って遮った。


「時間がない。私が適任だ。そして、お前たちを信じている」


 目を伏せて、セトは頷いた。ランテも倣う。ハリアルの言う通り時間はない。そして、適任なのもハリアルだろう。よく分かるから、黙ってそうするしかなかったのだ。


「テイト、防御呪を。ランテもだ。アージェは大聖者の警戒を」


 セトが指示を出す。光と水の二重の防御呪で守られたハリアルが走り出した。当然光が行く手を阻むように炸裂するが、ハリアルは進路を変えない。「信じている」という言葉に励まされて、ランテは防御呪へ送る呪力を強める。集中して、少しでも負傷を防ぐのだ。そう思い強く念じても、白女神の光呪は容易くランテの守りを破り、内側にあるテイトの守りすら貫通してしまう。熱に負けていくハリアルの身体を癒しの呪が治していく。かなりの無茶だ。そんなこと、誰しも分かっている。分かっていてもこうするしかない。白女神の呪が完成してしまったら街が滅ぶ。そうなれば、ここにいる者はもちろん、他にも何人死ぬか分からない。そんなことにはさせられない。


「セト」


 遠くからハリアルに呼ばれて、セトの方は要求を理解はしたらしいが、躊躇った。二人が何をしようとしているのか、ランテには分からない。


「急げ」


 促されて、セトは一度短く息をついてから頷いた。瞳にはまだ迷いが名残を留めていたが、要求は果たすことに決めたらしい。何かとても嫌な予感がする。セトが右手を向けると、ハリアルの身体が風を纏った。【疾風】―—


 爆ぜる光を貫いて、ハリアルの身体が一直線に女神の下へ走る。セトが渋ったのも当然だ、無茶に無茶を重ねている。だが、その甲斐があったのも確かだった。白女神は防御呪を発動させることができていない。不意を突かれたのだろう。女神も間に合わないことを悟ったらしく、到達の寸前に、光の粒を盾のように自身の前に集めた。


「ハリアルさんっ!」


 集まった光が一斉に爆ぜた。その音と、ランテの叫びが重なる。ハリアルはその光をも突っ切って、女神の方に飛び込んだ。ランテの張った【加護】が、また破られた感覚がした。きっとテイトの【水珠】――水の上級防御呪だ——も同じくだろう。そうなる寸前にセトが癒しの呪を間に合わせているのは分かったが、しかしあの光の威力だ、ハリアルが無事でいるとは思えない。


 白女神の呪力の上昇が止まったのが、ランテにも分かった。光が去って、状況が明らかになる。白女神の身体を、ハリアルの剣が貫いていた。しかし。


 自身の両腕を光に変えて、白女神がハリアルを抱擁している。身が焼かれ続けているのが分かる。白い煙が細く立ち上っているのを見た。戦慄する。セトが焼かれる傍から癒しているが、あれでは——


「ランテ!」


 ミゼの声で、ランテは自分のなすべきことを悟った。地面を蹴って光を纏う。ミゼの呼んだ闇が筒状に白女神を覆った。輝く腕から解き放たれたハリアルの身体を受け止めて、再び光を呼び出す、のだが。


「ははははは!」


 おぞましい哄笑が耳を射るように響いた。しかもそれが、近づいている? 困惑の目をそちらに向けようとした、そのときだった。


「あっ」


 強く、胸板を押された。身体がゆっくりゆっくり、傾いでいく。目の前にハリアルの腕が見えた。直後、その手が朱色に染まる。血——


「あ、あ……」


 そんな声しか、出てこなかった。


 こんな光景、見たくなかった。拒絶していたかった。でも、何度瞬いたところで変わらない。


 至るところが焼け爛れたハリアルの身体の、その中央から、腕が飛び出していた。ベイデルハルクの腕が。血まみれになって。身体を貫通して。


 ……命を絶たんとして。

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