【Ⅴ】ー2 罪

「かつて、大変栄えた世界があった。その世界には呪が存在しなかったが、人々は優れた技術でそれを補い、豊かな文明を築きあげ、何不自由なく暮らしていた。しかし、それらの技術には有限のエネルギーが必要でな。やがて枯渇し始めたエネルギーを巡り、争いが起こった。争いは争いを呼び、やがてそれに飲み込まれ、世界は滅びた。ここまでは陳腐な世界滅亡の物語なのだがね。その世界は、愚かにもそこでは終わらなかったのだよ」


 残る左目の視力も回復してくる。セトが治す要領を掴んだのか、右目の回復より早い。少しずつ白以外の色が見え始めた。ベイデルハルクは、祭壇の上に立ってランテたちを見下ろし、やや両手を広げて語っているようだ。


「滅びた世界に留まった魂たちは、世界の終焉を受け入れられなかった。これまで争い続けていた彼らは、世界が滅びて初めて心を一つにしたようだ。彼らは皆で願ったのだよ。『今度こそ平和な世界を創りたい』とね」


「そうして生まれたのが、このラフェンティアルン大陸です。彼らは束ねられた心の力で——要は、呪で——世界を一つ作り上げたのです。彼らは彼らの世界を滅ぼした文明を呪った。だからこの世界には、かつて彼らが持っていた優れた技術は存在しない。その代わりに、個人の精神力をエネルギーにして生活を支える呪が生まれた。新しく世界を築くという願いを叶えた彼らの希望の力を、ここに生きる人々に託したのでしょう」


 途中から言葉を奪ったミゼの声には、ベイデルハルクに抗議するような響きが含まれているように聞こえた。


「ミゼリローザよ。都合の悪い部分を隠して伝えようとするのは、いかがなものか。それでは肝要な部分が伝わらないではないか。はっきり言ってはどうかね? この世界は、滅びた世界に残された魂が見ている夢でしかなく、彼らが夢に飽いたらそれで終わるもろい世界なのだと」


 まだかすんでいるが、視界はほぼ戻った。降り注ぐ癒しの光越しに見上げたミゼは、ゆっくりと首を振る。


「否定はしません。ベイデルハルクの言う通り、この世界の根源にあるのは、かつて別の世界を生きた者たちの『世界が続いて欲しい』という願いです。その願いが朽ちれば、この世界も終わる。それは事実です。けれど——」


 ミゼは、ベイデルハルクではなくランテたち一人ひとりを見渡した。


「私は、そんな世界だから愛しているんです。人々にそうあって欲しいと願われる形でなくなったとき、この世界は静かに終わる。終わりを迎えないように、私たちは彼らが続いて欲しいと思える世界を築く。それができていれば、この世界が終わることはない。人が人のために創った世界——世界が人のためでなくなれば、そこで終わり。続くか終わるかの審判は人が下す。私は、この世界こそが人の世の一つの理想の顕現だと思っているわ」


 まだ、彼女の瞳にどんな光が宿っているかまでは視認できない。しかしランテには、彼女の瞳がよく見えた。安らかで穏やかで優しくて、あの秘密の特訓場所で彼女がよく見せていた、何気ない日々を愛するあの瞳だ。


「ベイデルハルク。あなたの考えとて、一つの答えの形ではあるかもしれない。でも、一つだけ正すわ。この世界はまがい物などではない。無形の、人の願いをエネルギーにはしているけれど、そこに生まれる命は全て唯一のもので、意思だって各々おのおののもので、それゆえ紛い物などではない。全部、本物よ」


「ミゼリローザよ。それが正しいと真に思うならば、なぜ真実を民から隠した? 王族たちは皆本当は理解していたのであろう? それが詭弁だと。世界の存亡が他者の意志に左右されているなど、言いたくとも言えんか。そんなことを言えば、国は恐怖で荒れよう。それとも、王族の威信の失墜を恐れたか?」


 ミゼは動じなかった。毅然とベイデルハルクを見つめ返す。


「どちらも、そうよ。国を導くのは為政者いせいしゃであり、為政者を信じてもらえなければ国は立ち行かない。でも、国を創るのは為政者だけではないでしょう。愚かな為政者に、民はついていかない。世界の真実を知っても知らずとも、国を導くという為政者の役割も、為政者を見極めるという民の役割も変わらない。共に幸福な世界を目指すため、それぞれに与えられた使命を全うする。同じことなら、恐怖なんてない方がいい。それが、混沌の世に秩序をもたらした王とその妻の結論であり、代々の王の意志でもある」


 今目の前に立つミゼが王の系譜に連なる者であることを、ランテは強く意識した。昔からミゼは、気品と言えばよいのか、威厳と言えばよいのか、立ち振る舞いや言葉からそれらを感じさせることが間々ままある。引いた血がそうさせるのか、それとも生まれ育った環境がそうさせるのか。


「ランテ、視力は?」


 ふいにセトに声を掛けられて、ランテは視力が完全に回復していたことに気づいた。


「ありがとう、もうよく見える」


「良かった。それ食らったとき、ベイデルハルクから目を離していただろ? 見ていれば、お前なら避けられる。次は食らうなよ。戦闘中なら目は命取りになる」


「……うん、気をつける。ごめん」


 頷きを残して、セトは次にナバの元に向かった。


「避けられたのに、真後ろのランテを気遣って躊躇ためらっただろ」


「……さっすが。よく見てますね副長。手をわずらわせることになっちまってすみません」


「お前は後ろは気にしなくていい。前二人のサポートを頼む」


 ああ、と思う。しっかりしなくては、周りを巻き込んでしまう。セトは直接ランテを叱らなかったが、直後にナバにこう声を掛けたのは、ランテの奮起を促すためでもあるのだろう。もっとやれるはずだと信じてくれている。応えなければならない。いつの間にか折っていたらしい膝を立てる。やろう。


「皆はどう思うかね? 事実を隠蔽し、強引に正当化をして世界の王を気取る王家と、世界の改革を目指す私と、どちらと意を共にしたい?」


「世界の改革とは?」


 問うハリアルの声は、大変落ち着いていた。唐突に己の存在をも揺るがされるような事実を聞かされたにもかかわらず。


「私はこの世界を創り出しているエネルギーを使い、世界を再構築する。他人の意志によって脅かされることのない、全てのものが実存する、それゆえ各々が個として自由に生を歩める世界を創造するのだ。何に縛られることもない世界を。私の目指すこの理想が、間違っていると思うか? お前たちは、この他者に命運を握られたこの夢幻の世界を肯定するのか? さあどちらだね?」


 すぐには、誰も返答しなかった。ベイデルハルクは笑みを深める。そうして視線を、一人に留めた。


「君は、君こそは知っているのではないかね? 他者に命を握られることの底知れない不安と、積み上げたものが唐突に、なおかつ理不尽に奪われるかもしれない恐怖と、真っ当な存在に対する強烈な羨望と、そしてやり場のない感情を押し込めるための虚ろな諦観と。君がこれまで感じてきたことは全て、私には手に取るように分かるとも。今話した事実を悟った際、私も君と同じことを考え、感じたからな。さあ、こちらへおいで。中央本部準司令官セト。私なら君の孤独を完全に理解し、望みだって叶えてあげられる」


 セトは、ナバの目を癒すことに集中している——少なくともランテにはそう見えた。呼びかけには応じないで、右手に癒しの光を灯し続けている。ベイデルハルクはその様をしばらく見守って、またもや笑んだ。


「可哀想に。君の気質なら、自分を助けに来た者たちを前に裏切りはできんか。そうやって生きてきたから、今も苦しんでいるのだろうにな」


 やはり、セトは何も言わなかった。治療が遅れればそれだけ、白女神の呪は完成に近づいていく。だから癒し手としてここでの役目を全うしようとしているのだろう。努めて冷静に。


 しかし。ランテは黙っていられなかった。言葉が、喉を突いて飛び出てくる。


「お前なんかとセトを一緒にするな!」


 秤が振り切れそうなほどの怒りが、言葉に変じて溢れ出した。


「セトは、お前みたいに身勝手な人間じゃない。お前は、この世界を犠牲にして自分の思い通りになる世界を創ろうとしているだけだ! 自分が正しいと思うなら、お前こそ真実を明らかにして、皆にどうしたいか聞けばよかったんだ。それができなかったのは、新しい世界を創るには、この世界をエネルギーにしないといけなかったから……この世界を滅ぼさないといけなかったからだろう? 勝手にここに生きる人たちの命を犠牲に、やりたいことをやろうとするなんて、そんなの勝手すぎる。そんな勝手な奴と、セトを一緒になんかするな!」


 ランテの叫びは広間に反響し続け、長く余韻を残した。ベイデルハルクは微笑みを維持したままで、静かに言う。


「二つ言おう。一つ、君のそれは善の押しつけだ。この世界では、そしておそらくこの前の世界でもまた、人々は善というものに縛られ続けていたのだろう。自分が本当にやりたいことを、善でないからという理由で押し殺す。それだけでなく、善を理由に簡単に他人の自由まで侵害する。なんと不自由な。善など、何になろう? そんなものは棄ててしまえばよい。本来の願いを貫けばよい。善も正も尺度次第でいかようにも転じるもの。そんな不確かなものに縛られるなど、愚かしいことだ。そして、二つ。私はこの幻の世界に何の価値も見出しておらぬ。無価値な存在の同意など不要。私はただ力をって、己が願いを叶えよう」


 苛立ちが止まらない。幾ら言葉を交わしたところで、目の前のこの男と意を共にすることはないとしか思えなかった。


 すっと、ベイデルハルクが目を細める。その目で見つめられて、悪寒が走った。


「しかし、君。ランテといったね。威勢がいいのは結構だが、君は自分の境遇を皆まで理解しているのかな?」


 耳を貸すつもりはさほどなかったのだが、どうにも内容が頭に残った。


「……オレのこと?」


「君は一度、玉座の間で死んだ。その際に誓い、しかし誓う者としても消滅した。今の君は三度目の生をけているわけだ。奇妙だと思わないか? 君が何者なのか、考えたことはなかったか?」


 どうして生きているのか、不思議ではあった。ベイデルハルクの言うように、一度王都で死んだあとは誓う者になっていたのかもしれない。それならば、死んだ後も動けたのは納得できる。しかし、では、今のランテは何なのか。確かに『奇妙』ではある。


「私は知っている。君が何者で、どうしてここに存在しているのか。そしてミゼリローザもそれを知っている。そうだろう?」


 顔を見て初めて、ミゼがひどく怯えているのに気がついた。いったいどうしたのだろう。


「ミゼ?」


「やはり、そなたは己の罪を理解しているのだな」


 ベイデルハルクは、やはり目を細めたまま、顎を上げて笑みを浮かべた。悪寒が強くなる。高慢な視線からミゼを守るように、ランテは足を運んだ。


「君は、ミゼリローザの実現の呪によって生み出された生命なのだ」


 ランテの背中で、ミゼが小さく悲鳴をこぼしたのが聞こえた。

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