【Ⅳ】ー3 もし

 いきなり召喚士を落としにいくのは不可能だ。取り巻きの呪使いの残る二人をまず倒し切らなくてはならない。白獣の動向にも注意を払わねば。忙しい役どころだ。


 洗礼を受けた人間にどの程度自立した行動が行えるか疑問だったが、ユウラは与えられた「死ぬな」「白獣の気を引け」「白獣に血を流させるな」の三つの命だけで十分に動けているように見える。常に白獣の視界内に入るよう足を運び、爪を槍で弾くようにしてみたり、フィレネのように尾を捕えてみたり、細かな指示がなくとも自ら白獣の注意を集めるための行動をとっているのだ。感情が抜け落ち、命令至上主義になるだけで、知能や戦闘力が目に見えて低下するわけではないらしい。


 今のところ、白獣は三人の相手で手が塞がっていると言える。つと、デリヤは呪使いらに目を向けた。彼らは自身に防御呪を張り巡らせながら、白獣戦に干渉しようと隙をうかがっている。先程の【光線】を見たところ、実力は高く見積もっても並程度だろう。だとすれば、攻撃呪と防御呪を同時に扱うような器用な真似はできるまい。召喚士を狙う振りをして攻撃を誘い、防御呪を切らせたところで距離を詰め、剣を届かせる。一人目はこの算段でと決めて、デリヤは駆け出した。


 後ろから追いかけてきた尾は、フィレネと指示を受けたユウラの二人が阻む。フィレネはどこで証持ちの指示の仕方を覚えたのか、状況に応じて的確に命を下しているように思われた。尾はデリヤまでは届かない。召喚士まであと五歩にまで迫ったとき、リイザの声を聞いた。


「デリヤちゃん、呪!」


 呼びかける暇があるなら弓を引いて、一人でも倒してくれたら。そう思いつつ身体を反転させると、走る矢が一人の呪使いの左肩を射止めたところだった。感心と呆れとが半分ずつやって来る。矢を射るタイミングはこの上なかったが、急所を狙わなかったことは減点だ。しかし、とりあえず一人はしばらく大人しくしているだろう。


「罠か!」


 向かう先にいる呪使いがデリヤの意図に気づいて防御呪を張り直そうとするが、もう遅い。


 首を腕で庇って来たので、代わりに腕と足を二か所斬りつけた。太い血管の通うところだ。付近に癒し手がいなければまず助からないし、もしいたとしても、もう呪を使うほどの集中はできないだろう。剣を汚す血を払いつつ、デリヤは矢を受けた方に目を流した。痛みのせいか失神している。そんな有様でよく戦場に立つ気になったものだと、腹立たしさすら覚えた。


「ユウラ、尾の誘導を」


 フィレネの指示が耳に留まる。あの尾三本全てを相手にし続けるのは至難を極める。少なくとも一本は引き受けた方がよいだろうと判断して、もう一度司令官目指してデリヤは足を進めた。呪使いが機能しなくなった今、デリヤを止めるには最早白獣を動かすしかない。きっと、召喚士は尾をこちらへ向かわせてくるはずだ。


 果たして、読みは当たった。だが——


 尾二本を捌きながら、ユウラがデリヤの方へと距離を詰めてくる。愚かな選択だが、フィレネの指示を完遂しようとして——つまり、尾全ての誘導をしようとして——のことだろう。これはフィレネの落ち度だ。司令官を狙うのは諦め、ユウラの支援に回る他ない。デリヤがそう決め、行動を変えようとしたときだった。


「そのままで」


 白獣の左前足付近にいたフィレネが、デリヤの瞳を捉え告げてくる。信じるか否か。一瞬悩んで、進行方向を変えかけた身体を留めた。きっと、言葉の責任が取れない女ではない。信じることに決めてなお、背後が気になって仕方がなかったが、デリヤは地面を強く蹴り出した。やはり他人と共に戦うのは苦手だ。だからこそ、早く終わらせようと思った。


 デリヤを睨みつけていた上級司令官の視線が、ふと背後へ動いた。と同時に、何やら重く鈍い音が上がる。


「あら、案外脆いのですわね。やり過ぎてしまいましたわ。ごめん遊ばせ」


 司令官の目が、みるみる大きくなる。見るからに唖然としていた。何が起こっているか、大方のことを理解した。


「よそ見している場合かい?」


 最初の剣は、間に合わされた防御呪に阻まれる。取り巻きほど易々とはいかないか。しかし、デリヤとてこうなる可能性も視野に入れた上で動いていた。


 ——呪使いの防御呪は、一見全身を守っているように見えるけど、決して万能じゃない。どうしても、攻撃を受けている箇所に意識を集中させてしまいがちで、他が手薄になっていることが多いんだよ。


 戦いの場において使える実用的な知識のほとんどは、北支部に入ってから学んだことだった。蘇ったテイトの言を耳で聞き直しながら、デリヤは剣を返した。素早く、先ほどとは反対側から斬り上げる。司令官を守っている光の膜は、面白いほど簡単に砕け散った。


「なぜ」


 そうなるようにしたからに決まっているじゃないか。言葉にせずに返答して、そのまま身体を切り裂いた。血飛沫を上げながら落ちていく司令官の身体を見つめる。絶命しただろうが、何の感慨も湧いてこなかった。すっかり慣れてしまった自分を自覚しただけで。


「さすがねー、デリヤちゃん」


 白獣を振り返る前に陽気なリイザの声が聞こえてきて、無事決着がついたのはもう分かった。白獣は折れたらしい左前足の方へ倒れかけたところで、光に変わっていく。なるほど、骨を砕くのであれば血は流させずに済む。よい戦法だとは思うが、それができる人間がごくわずかしかいないから、実用性には乏しいと思われた。相も変わらず、敵に回したくない恐ろしい怪力だ。


 思ったより簡単に片がついた。揃った人間の能力が皆高かったとはいえ、強いと聞いていた白獣と戦った実感は薄かった。白獣そのものは能力が高かったのだろうが、それを操る人間が白獣を生かしきれていなかったように感じる。不慣れだったのだろう。その他の召喚士も、デリヤの知る限りではお粗末と言う他ない部類の者たちばかりだった。本命は、白女神の呪の方なのだろう。あるいは、支部連合軍の能力を見誤ったかだ。


「ユウラ、この後はリイザの指揮を受けなさい」


 フィレネが新しい指示を出したことで、ユウラがリイザのところへ向かう。その背中をつい視線で追いかけた。負傷はない。胸が鎮まったのを感じて、デリヤはまたしても溜息をついた。今日だけで何回目になるだろうか。


「他の召喚士はどうなっていますの?」


 脇からフィレネに声を掛けられる。倒れた司令官の服で剣の血を拭いながら応じた。


「他は片づいたんじゃないかい?」


「それなら、あなたの手は空いたということでよろしいですわね?」


 視線を上げて、デリヤはフィレネの顔を見た。


「避難誘導でも手伝わせる気かい?」


「いいえ。そんなものは雑兵にでもできます。貴族街に伏兵がおりましたの。民を人質に取ったり手にかけたりと、やりたい放題なさっておりまして。白獣が最優先と思いこちらに参りましたが、わたくしもすぐ戻るつもりです。戦力が欲しいのですわ」


 最後の一言を述べる前に、フィレネは瞳の中から全ての感情を追い出した。


「そのような卑怯な手に惑わされない戦力が」


 自分に求められていることを悟る。気は進まなかったが、誰かがやらなければならないことだった。断る理由も見つからない。


「外に避難させた者たちはどうするんだい?」


「西支部の者たちが到着しました。彼らに守っていただきましょう」


 その他のことも手抜かりはなさそうだ。それならばと、頷いた。


「構わないよ」


「助かりますわ。では、向かいましょうか」


 貴族街に戻っていくフィレネの背中を追う。中々一人にはなれそうにないと思ったが、溜息はもう出てこなかった。


 歩きつつ、拭ってなお濁ったままの刃を見つめた。斬っていった者たちも、これから斬る者たちも、本来デリヤにとってはそう縁のない者でもなかったかもしれない。もし母がワグレの人間でなかったとしたら、王国説について何も知らなかったとしたら。デリヤとて中央貴族の跡目の一人としてそれなりのポストを与えられ、斬っていった者たちと肩を並べて支部連合軍と対峙していたかもしれない。情けをかけるつもりなんてさらさらなかったが、錯覚とは思えないほど、握った剣が重く感じられてならなかった。

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