【Ⅳ】ー1 無知

「やめろ、私を殺したら我がスレスサー家が黙っていないぞ。知らないなら教えてやるが、スレスサー家は上流貴族で」


「遺言が長すぎるよ」


 喉に一閃、刃を走らせてやれば、召喚士の上級司令官はすぐに静かになった。早く黙らせたかったせいで、剣を入れる角度を誤って、やや返り血を浴びることになる。不快だ。早くも赤い染みを作ることになった制服を見下ろして、デリヤは溜息をついた。制服はこれだから好きではない。今は味方を見分ける印としてやむなく纏っているが、仕事が終われば早々に脱いでしまおうと思った。


 一人目の召喚士を倒すのは、味気なさを感じるほどに簡単だった。居所を突き止めるのに一番てこずったくらいだ。供はたったの三人で、デリヤ一人で容易く制圧できた。召喚士そのものは軟弱極まりなく、身分を盾にすること程度の抵抗しかしてこなかった。拍子抜けだ。


「次はどちらに?」


 モナーダから借りた兵が尋ねてくる。控え目な小隊長を寄越してくれたのはありがたかった。


「貧民街にはあと四人ってところだね。西と南に一人ずつ、北に二人。この二人は連れ立っているみたいだ」


 貧民街を請け負ったのは、一番負担が重そうだったからだ。案の定、広い街の中に五人もの召喚士が潜り込んでいる。


「召喚準備中に他の召喚士の安否を気にする余裕はなさそうだけど、万が一があると困るからね。警戒されると鬱陶しい。西と南の一人は動く気配がないし、君に任せようかな」


「承知しました」


「君には召喚士の察知能力はないだろうけど、いけるかい?」


「私は呪使いですので。大体の位置を教えていただければ、呪力探知で対処できるかと」


「市民街への南西門付近に一人、西は町の外門沿いにいるね。逃げようとした人間を叩くつもりらしいよ」


「分かりました」


 小隊長は一度頷いて、口を開き直す。


「兵はどう致しましょう」


「全部連れて行きなよ。何かあれば【閃光】で呼ぶ」


 一人のほうが、身軽でいい。これを納得させるために、わざわざこの場を一人で納めたのだ。小隊長はもう一つ、頷きを寄越した。




 隊の指揮は向いていない。デリヤは自分でそう感じていた。用兵術や戦術については幼少期から教育を受けて来たので、知識はある。しかし、人を信じて何かを任せるということが本当に苦手だった。何もかも自分でしなければ、安心できないのだ。今日は自分で召喚士の気配を察知できるから——つまりあちら側が失敗すれば分かるから——任せられる。自分はこうして一人で動き、一人で責任を負う方が性に合っているのだろう。


 召喚士が近い。この先の路地にいる。デリヤは気配を殺して、そこを窺った。


 思わず、小さく舌打ちしていた。女が二人。しかも片方は知った顔だった。二人は怖がりでもしているのか、互いを慰め合うようにして手を繋ぎながら、白獣召喚の紋を広げている。


 知り合いだろうと、敵は敵だ。脅威となり得る召喚士である以上、確実に息の根を止めるべきだ。先程の男もそうした。かつての婚約者とはいえ、家が勝手に決めたことであったし、情があったわけでもない。呪使いとしてはそれなりに才があったようだが、武術はまるで駄目だったのも知っている。このまま近づいて手前にいる方の女を倒し、その後間髪入れず斬りつければ勝負はすぐに決するはずだ。


 再度、息をついた。ほんの少しだけ、申し訳ない気持ちがないではなかった。あの女は——カルデは、二度もデリヤに傷つけられることになった。一度目は、一方的に婚約破棄をされたこと。二度目は、ここで命を奪われること。不運な女だとあっさり割り切れるほど、非情にはなり切れない。だが、見逃す理由足りえないのも確かだ。


 路地に身を躍らせる。軽やかに地を蹴っていけば、すぐに手前の女に剣が届いた。垂らしていた豊かな髪が邪魔で、項が狙えない。仕方がないので胸を突いた。力の抜けた身体の腰のあたりを持ち上げた足で支え、剣を引き抜く。斬りつけるより、時間がかかってしまった。


「あっ」


 聞いたことのある声がそう言って、だからつい目を合わせてしまう。


「デリヤ様?」


 生まれた時間で呪を使うことより呼びかけを選んだカルデを、馬鹿だと内心思えど、さすがに笑えはしなかった。


「どうして?」


 既に骸となった相方を呆然と見つめて、彼女は言う。奇襲で倒すのはこちらがよかったと、無意味なことを考えながら、デリヤは渋々応じた。どうも、やりにくい。


「敵だからだよ。見て分からないかい? さっさと構えなよ」


「どうしてあなたが逆賊になど。もしかして、人質でも取られているのですか?」


 世間知らずは変わらないままだと思って、溜息をまた一つ重ねる。


「時間がないんだ。顔見知りのよしみで、選ばせてあげるよ。苦痛なく死ぬ方か、苦痛はあるけどもしかしたら生きられるかもしれない方か。君はどっちを選ぶ?」


「え、え?」


 血濡れた剣を手に一歩ずつ距離を詰めながら問えば、カルデはそればかり繰り返しながら後ずさる。こんな、生の戦いを欠片も知らないような未熟者を戦場に出すから、中央の戦死者は増えていくのだろう。


「い、いや!」


 結局カルデは、背を向けて走り出すことに決めたようだ。何から何まで最悪の判断をし続けるものだから、呆れを通り越して憐れみを覚えてしまう。


 追いつくのは、簡単だった。


「いや、いや……死にたくない。助けて……」


 涙ながらに命乞いされようと、手を止めるわけにはいかなかった。


「命乞いするなら、癒し手を探してするんだね」


 耳を襲うように、けたたましい悲鳴が上がった。切り離された左腕から白炎が生まれる。それは器用にカルデの腕だけを灰にすると、静かに燃え尽きた。


 せめてと、血と涙を流し続ける憐れな女を、大通りに運んでおいた。片腕では上手く担ぐこともできなかった。






 分かり切っていたことだが、中央は滅ぼす白都に残しても惜しくない者たちに、真実など伝えていないのだろう。召喚士たちは、逆賊を討つためと信じて白獣を呼ぼうとしている。誤解を解く時間などありはしないから、戦うしかないということは変わらない。分かっていても、苛立ちは収まらなかった。つくづく中央のやり方には反吐が出る。


 貧民街の召喚士は全滅したのが感知できた。一応の責任は果たせた。


「君らはここで待機だ。僕は市民街の様子を見に行ってくる」


 合流した小隊長に告げ、デリヤは市民街へ足を踏み入れた。そちらには、敵と思しき召喚士の気配が残っていたからだ。標的へ向けて足を不意出しかけたちょうどそのとき、前方から【光速】で突っ込んできた兵と進路が被って、慌てて身を引いた。


「すみません、急いでいて。デリヤさん、伝令として参りました」


 中央の制服だが、ルルファ家の家紋をつけている。モナーダの私兵だ。


「何だい?」


「白女神が、街を滅ぼすための呪の準備を進めているようなんです。よって総指揮のフィレネ副長が、民の避難を指示されました。対応をお願いします」


 街の人間の安否まで気遣うこの判断は、東の——フィレネの決定ではないだろう。北寄りの判断だ。しかも、基本的に前しか見ないアージェの提案でもなさそうである上、敵の作戦まで伝わってきている。おそらく、あちらは望ましい結果になった。安堵を表に出すのは癪だったから、デリヤは何も聞かずに踵を返した。


「それは門の向こうにいるお仲間に伝えてくれるかい? 僕は召喚士の方に向かうから」


「分かりました」


 市民街がやけに騒がしい気がしていたが、このためだったか。早く目的地に向かわなければ、人で溢れて身動きがとりにくくなるだろう。急ごうと足を踏み出したその瞬間だ。


「あ」


 意図せず声が漏れた。進行方向で突然、膨大な力が溢れ出たのだ。


「のろのろしているから」


 悪態をついても何も変わらないのは分かっていた。それでも何か言わずにはいられなくて、零す。


 渦成す白雲が見えた。そこから降り立った白い獣の姿もまた、見えた。市民街には二人こちら側の召喚士がいたはずで、手際の悪さに呆れはしたものの、今度は溜息など出てこない。召喚士を相手にするときとは比べ物にならないほどの緊張感が、急激にデリヤの胸を満たした。

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