【Ⅲ】ー1 正義

 仰いだ中央本部は、絢爛が過ぎるゆえに厳めしく、上から押さえつけられるような圧迫感を与えてくる。特に下から見る女神像は、何やら冷酷なような剣呑なような気配を漂わせていて、浮かべる微笑も嘲笑のように見えてならなかった。


 前衛にハリアルとアージェ、ナバ、中衛にランテ、後衛にミゼとセトとテイトという編成で、七人は本部内に突入した。目映いほどの光に包まれた玄関は、人一人おらず、沈黙に包まれている。


「内部の兵は粗方外に出払っている。どこかから本日、支部連合軍が攻め入るという情報を入手していたのだろう。本部内に強力な兵を少数残して連合軍を誘き出したところで外から大軍を差し向け、挟み撃ちにする手筈だったのではないかな。白女神の呪を使うということが露見した後も、連合軍を逃がさないようにできる。本隊を内に入れたくなかったのは、それもあってのことだ」


 先頭を進みながら、ハリアルが言う。玄関を過ぎ廊下を歩き始めても、やはり人の気配は全くしなかった。


「ランテ」


 ナバがランテを振り返った。


「よくやったな」


 彼が来てからすぐに突入したので、ろくに話せないままになっていたが、ナバはランテの動きに満足してくれたようだ。確かにセトのことは多少説得できたのかもしれないが、結局ハリアルの働きがなくては戦いは終わらなかった。複雑な心境のランテは、曖昧な笑みを浮かべて応じた。


「ううん、支部長のお陰だから」


「オレは後方警戒だったから、何があったか詳しくは知らねーけど。それでもよくやったってオレは思うぜ。ま、生きて戻れたら詳しく聞くわ」


 北の面々に囲まれていても、ナバには一切緊張した様子がない。軽い調子でそれだけ言って、彼は進行方向に目を戻した。


「……問題……の?」


 潜めた声が途切れ途切れに後ろから聞こえてきて、ランテは思わず耳を澄ませる。テイトの声だった。


「心配…………使えてる。お前こそ……」


「七人……無茶は……」


 テイトとセトが二人で、小声で会話をしているようだ。聴力に集中してみても全ては聞き取れないが、おそらくはテイトがセトを心配して、セトはセトでテイトを心配しているのだろう。二人が外せない戦力であるのは間違いないのだが、無茶をさせるような事態にならないように、ランテも気を引き締めなければならない。


 二人の会話が済んだようなので、ランテは後ろを見た。セトと目を合わせて聞いてみる。


「白女神の大神殿って、遠い?」


「奥まったところにあるのはそうだな。この廊下を突き当たりまで歩いて、大部屋を一つ抜けて、同じことをもう一回繰り返したら中庭に出る。その奥にあるのが大神殿だ。最短距離を歩くなら、だけど」


「大神殿の周りに、呪力感知を阻む薄い結界があるね。白女神が何をしているのか分からないようになってる。普段からそう?」


「いや。支部長の言う策を進めるためだろうな」


 テイトに答えてから、セトはミゼを見遣った。


「白都ルテル全域を一度に破壊するような呪を使うとしたら、白女神もかなり力を使うよな?」


「ええ。準備にも時間がかかると思うわ。だから私たちが祭壇へたどり着いても、彼女はほとんど戦えないでしょう。立ち塞がるのがベイデルハルク一人なら、善戦できるはず。ただ」


 ミゼはセトとテイトを順に見つめた。


「白女神が発する気は、白獣のもの以上です。皆の身体が動かなくならないように私が注意するつもりだけど、特に呪力に敏感な人ほど影響を受けやすい。呪の使い過ぎは禁物だと覚えておいて欲しいの」


 それぞれ頷いてから、二人は互いに目を見交わした。多分、互いに注意するよう念押しするためだろう。こういうことを見ていると、離れ離れになる前と何も変わらないような気がするのだが。


「ルノアさん、一応伝えておきます。アージェ以外は呪を使います。支部長は土呪を中級紋章まで、ナバは水呪を中級まで、ランテは光呪を中級まで、セトは風呪を上級まで、僕は炎水土の三属性を上級までで一部上級紋章も使います。ルノアさんは光呪と闇呪ですか?」


「ええ。得意なのは闇呪の方です。防御呪の方は基本的にあなたにお任せしますね。危ないときは私も力添えします」


「はい」


 話を聞きながら、ランテは進行方向に目を戻した。ランテは中衛として、前を歩く三人とも連携を取っていかなければならない。普段前で共に戦うセトやユウラとは顔ぶれが違う。大丈夫だろうか。


「ランテ。お前はサポートでいい。一番は自分の身を守ることを考えろよ。多分最初に狙われるのはお前だ。長期戦になってきたら、また相手も動きを変えるだろうけど」


「うん。ありがとうセト」


「支部長が主軸になる。アージェは隙を見て一撃を狙いに行くだろうし、ナバは一歩引いてサポートに回ると思う。お前はナバよりさらに引いたところから、呪を主体にやればいい。自信がなければ、三人が危なそうなときに【加護】をかけるだけでも大分違うから」


「了解」


 本当はセトも前に出たいのだろう。ハリアルは突入の前、セトに「お前は癒し手として連れて行く」と牽制するように言っていたのを、ランテは聞いていた。了承の返事をする前に一息分間があったのも知っている。彼の代わりになれるかどうかは分からないが、全力を尽くそうと思った。


 廊下の突き当たりを迎え、大部屋に入る。会議室と思われるそこもまた、閑散としていた。机や椅子は整然と並んだままで、混乱一つ起こらなかったらしいのが空恐ろしい。




 結局人一人にすら出会わないままに、中庭まで到着してしまった。ふと、ランテは王城でのことを思い出した。考えてみればあのときも、兵はそれほど立ち塞がってこなかった。ベイデルハルクらは、自分達さえいればそれで事足りると思っているのかもしれない。


 女神像を模した噴水——広げた両手から水が溢れる仕組みになっている——が据えられた中庭には、煉瓦の小道の脇に花壇が備えられ、色とりどりの花が咲き乱れている。今は緊張以外の感情はなかったが、その造りはどことなく王城の中庭に似ていて、余裕のあるときに見れば懐かしさを感じたかもしれない。


 ちょうど噴水の傍に差し掛かったときだった。ハリアルが後方を振り返る。


「走れ」


 短い指示があった。周りの反応は早い。一斉に駆け出した一行に数歩遅れて、ランテも駆け始める。直後に周囲が炎色に染まって、熱風がランテを追い越していった。ちらりと視線を背中の向こうに遣れば、噴水の辺りが勢いよく炎上しているのが見える。


「やっぱ仕掛けるなら中庭だよなぁ」


 ナバの声を聞きながら、ランテは再び顔を正面に戻して走った。進行方向にあるのがおそらく大神殿で、そこには兵士らしい姿は見えない。だからこそ皆でそこを目指しているのだろう。


「二階三階にまばらに配置された呪使いが、窓から狙ってきています。テイト。正確な数、分かるか?」


「二階に五、三階に七かな。練度は並程度が多いけど、二、三人中級紋章呪以上を使えそうな呪使いがいる」


「一階からは兵が。剣と槍が半々、一部弓もいます。数は——二十強と多くありませんが、見える者は全員腕章をつけていますね。呪使いも並以上が揃っているようですし、準司令官のみを集めた部隊ではないでしょうか」


 上から降り注ぐようにして次々攻撃呪が襲ってくる。それらの対処は、使われる防御呪が高位の水属性ばかりであるのを見るに、ほとんどテイトが行っているらしかった。今の話によると、十二人の呪を一度に防いでいることになる。その上で敵を探る余裕もあるのだから、やはり彼の呪の腕は驚くべき水準にある。


 殿しんがりを務めていたセトが、早口でハリアルに情報を伝えた。それに対する返事は、全員が大神殿に到着してからになった。大神殿側にはやはり敵の姿がなかったため、今のところ視界全てに敵が収まる形になった。


「白女神らと交戦中に背後を突かれるのはまずい。応戦しよう。テイト、付近に癒し手は?」


「本部内に一人いるようです」


「そうか。では、全滅させるしかないな」


 全滅。ハリアルが放ったその言葉がやたらとランテの頭に反響した。無意識に反芻はんすうする。


「全滅って……」


 セトとテイトが揃ってランテに視線を送ってきた。その後二人は目を合わせて、無言の会話をする。


「支部長。少しだけランテに時間をやってくれますか?」


「構わない」


 セトがハリアルに確認し、それを受けてテイトがランテに歩み寄る。


「ランテ、戦いを止めたいならあっちを説得するしかない。やってみる?」


 二人は、あの呟きだけでランテのやりたいことを酌み取ってくれたようだ。それができるように場も整えてくれている。頭が上がらないな、と思った。


「うん、ありがとう」


「それほど時間は稼げないと思う。頑張って」


 防御呪の支度を進めながら、テイトが言う。尽きない感謝が胸に満ちるのを感じながら、ランテは数歩、進み出た。


「皆さん、聞いてください!」


 腹にぐっと力を込めて声を送り出すと、しんと場が静まった。準司令官らは攻撃の手を止めて、ランテの声に耳を傾けてくれるつもりと見える。三階にいる人にまで残らず届くようにしなければ。ランテ大きく息を吸い込んで、顎を上げた。


「王国説は事実だったんです。今激戦区には、ラフェンティアルン王国の城が現れています。中央はその事実を隠し、無意味な戦争を続けてる!」


 息を吸い直して、さらに続ける。


「洗礼とか、人質とか、中央のやり方がおかしいって、今まで思いませんでしたか? 今だって中央は、町に白獣を呼び出そうとしているし、白女神に町を壊させようとしてる! オレたちはそれを止めに来たんです! 通してください!」


 言い終えたときには空気が足りなくなっていて、ランテは何度か大きく呼吸した。その間何の反応も返されなかったので、途端に不安になってしまう。


「そんなことは知っている。知っていて、こうすることを選んだんだ」


 部隊の長だろうか。一人が返答した。身につけていた銀色の腕章で、彼もまた準司令官であることを知る。一階の入り口から現れた剣士の一人で、抜身の得物を握ったまま近づいてくる。短く刈り込んだ頭が目を引く男性で、腕のある剣士なのは歩き方一つで分かった。鍛えられた体幹を持っているし、話しながらなのに隙が見えない。


「知っているなら、どうして」


「召喚士が白獣を呼び出すのは、そして、白女神が強大な呪を使われるのは、なぜだ?」


「え?」


「お前たちが来たからだ。その排除のために、町が危険に晒されている。違うか?」


「それは……」


 傍で、ランテたち以外の全員が臨戦態勢に移るのが分かる。話は通じないと判断したようだ。それを悔しいと感じるけれど、ランテも心のどこかで同じことを考えていた。これ以上、何を言っていいか分からないのだ。ランテたちが踏み込んだせいで町が危険になったのは、事実だ。


「正しい間違っている以前に、我々は町を守りたい。そのために刃を向けるのは、勝ち目のない白女神ではなく、同じ人間であるお前たちに決めたということだ。白獣が呼ばれる前に、白女神が呪を完成させる前に、お前たちを殲滅する。そうすれば町は無事だ」


 十数歩先で立ち止まり、覚悟の染み渡った表情で彼はランテを見つめた。射貫くような両の目は、最早剣を交わす他ないと告げていた。湧き出た悲しみが暴れて胸を捩らせたが、ランテもゆっくりと柄に手を遣った。ランテたちが己の正義に従っているのと同じで、彼らもまた己の正義に従っている。どちらか正しいのかは、時が過ぎて、結果が定まるまで分からない。確実なのは、命を懸けてだって、双方譲る気はないということだけだ。対峙の理由は、言葉で分かり合える次元を超えたところに存在していた。それが分かってしまう自分になったのだと自覚して、ランテはいっそう悲しくなった。分からずにいたかった。


 これもまた、中央が歴史を捻じ曲げたから生まれた戦いだ。そうやって悪を自分の外に押しつけることで、ランテは剣を引き抜いた。そうしないと、自分の掲げた正義が信じられなくなってしまいそうだったから。

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