【Ⅱ】ー4 登場
セトは軍が門に肉薄するまで静観していた。連合軍の呪使いたちが手を掲げたところで動き始める。
「防御呪を!」
フィレネが悟って声を上げるが、間に合わないだろう。案の定、横から吹き荒れた風に隊が乱される。転んだ拍子に武器を遠くに吹き飛ばされた者もいた。
「現在外壁上にいるのが敵将ですわ。有効打は与えられなくて結構、とにかく呪力を使わせなさい。彼の呪の対処は防御呪担当の呪使いが、それ以外の者は門の突破に全力を挙げるよう」
「はっ」
「速さで勝負してはいけません。数の利を活かしましょう。何人かは常に防御呪を張り続けなさい。呪力が不足したら、後方へ下がって構いませんわ」
フィレネの指示はランテのいるところまで筒抜けだったが、もとより隠す気はないように見えた。門を守らねばならないセトが採れる選択肢はそもそも多くなく、状況的に明らかに連合軍が有利だ。方針が透けることなど些事と見ているのだろうし、事実そうだろう。
正面に土の中級防御呪【土壁】、側面に水の中級防御呪【水泡】を張り巡らせた軍勢を相手に、セトはそれより上位の中級紋章呪や上級呪で進路を塞ぎ対処した。呪が発動している間は進軍が止まるものの、それ以上の足止めにはならない。いくらか時は稼げたが、連合軍は遂に門扉の直前にまで到達してしまった。
「門と将を同時に攻撃なさい。どちらかにはダメージを与えられるでしょう」
フィレネの声を聞いて焦ったのはランテだけだった。セトも門の内の中央軍たちも、極めて落ち着いている。
「ランテ、伏せてろよ」
セトは一瞬ランテを見遣ってそう言うと、自身に中級防御呪【風守】を纏わせた。同じように扉も風で覆う。
雷光が疾駆し火炎が飛来する。セトはそれらを立ち位置を変え続けることで回避した。呪を受けた箇所は破壊され、散らばった瓦礫が門の下に落ちていく。遠慮のない威力だと実感して、ランテはまた少し怖くなった。
同時に、門扉には人の身ほどの直径を持つ火球が襲い掛かっていた。上級呪だろう。しかしそれは、着弾の寸前にふっと消え入る。
「くっ、【無風】か」
東の呪使いが零した言葉で、ランテも理解した。あのとき実戦演習でセトが使っていた上級防御呪だ。不完全だと言っていたが、今ではもう使いこなせているように見える。そう言えば先の【狂風】も、ランテは初めて見た。いつの間に会得していたのだろうと思わず考えた。
「何をしていますの? 続けなさいな。敵将に呪は使わせています。それで良いのですわ。さあ、早く」
フィレネの言う通り、セトは惜し気もなく呪を使い続けている。限界はまだ先だろうが、それでもいつかはやって来る。やはり心配だ。
それから二、三度、同じことが繰り返された。回が増えるごとにセトに向けられる攻撃呪も増えたが、いずれも彼には当たらない。ただ外壁は少しずつ破壊されてきていて、足場はどんどん悪くなるから、この場で避け続けるのもそろそろ難しくなってきたと思われた。
門前に並ぶ兵たちは、これまでほとんどが白に深緑の差し色の制服や鎧を着ていたが——つまりは東の兵、あるいはそれに扮した南の兵ということだ——今はそこに群青が加わり始めている。北の軍も到着したのだろう。
「おいフィレネ。ちょっと上行って来らあ」
「はい?」
「要は扉の防御呪を剥げばいいんだろ? 呪使い全員にそっちを狙わせな。セトの相手は俺がする」
アージェの声は良く聞こえてくる。ここに来て初めて、セトの表情が変わった。浮かべたのは焦りのような。
北の呪使いたちが数人集まって、アージェを風に乗せようとする。セトはそれを阻もうとしたが、すかさずまたいくつかの攻撃呪が飛んできて、機会を逸してしまった。
そうして、アージェが外壁上へ降り立つ。
「ようセト。似合わねぇ制服着てるじゃねぇか」
答えず、セトは一度納めていた剣を抜いた。
「口利く余裕もねぇか? そりゃ、あんなでけえ扉を呪で守りながら俺とやり合うのは、無理だろうしな」
アージェが鉾をぶんと振り回す。対峙した二人は身長こそ変わらないが、体格の差は歴然だ。そもそもの戦闘スタイルの違いはあるが、それを加味しても不安になってしまうほどの差で、ランテは息を呑み込んだ。今のセトは、アージェの強烈な一振りを受け切れないだろう。彼はランテの手すら振りほどけなかったのだ。避ければいいと言っても、乱打された呪のせいで足場が悪いし、元々外壁は狭い。そしてあまり動き過ぎると身体に負担がかかってしまう。どう見てもセトに分が悪い。
「支部は今レクシス指揮官が?」
「ああ。全部任せてきた」
「そうか」
短い会話を終えて、セトが構える。門には今や矢継ぎ早に呪が撃ち込まれている。大体は【風守】で受け、上級呪と思しきものが来たときだけ【無風】を使っているようだが、自身も剣を使いながらになれば、このやり方で長く持ち堪えるのは不可能だろう。テイトによると【無風】は発動の瞬間だけ上位の呪も防げる優秀な防御呪らしいが、効果時間は非常に短いという。タイミングを見極めて使う必要があるとのことだから、常に扉に集中していなければならないはずだ。
「よっしゃ、行くぜ!」
アージェが鉾を振り被って距離を詰める。勢い良く振り抜かれたそれを、セトは後退して避けた。
「お、引くのか?」
アージェはそのまま鉾を振り続け、セトが距離を詰める間を与えない。外壁上にはアージェの鉾を避けて回り込むほどの広さがなく、一度距離を取ってしまうとその後が厳しくなる。どんどん後退しながら、セトはちらりとランテを振り返った。もうすぐランテの場所にも鉾が届く距離になる。下がった方がいいのかとランテがいよいよ悩み始めた段になって、セトは足場を強く蹴った。高く跳んで、アージェの頭の上を越える。宙で返って身体の向きを変え、着地と同時にセトは仕掛けたのだが。
「どうした、遅ぇぞ」
恐らくは読まれていた上に、常時と比べると確かにセトの動きは精彩を欠いていた。直前に一度門へ【無風】を使ったせいか、それとも身体のせいか。剣のリーチまで詰め切る前に、アージェの鉾が翻される。それを見てセトは一瞬躊躇ってしまった。鉾はもう届く——
結局その場に留まることを選んだセトに、鉾は容赦なく迫った。彼は【風守】の強度を上げていくらか勢いを殺し、剣も合わせて刃を受ける。しかし北支部随一の膂力をもって振るわれた鉾は、それら二つの守りを打ち破って目標を捉えた。鉾と押し戻された剣を共に身に受けて、またセトの制服に新たな赤が広がっていく。
「まずっちまったな、セト」
「そうでもない」
軽いやり取りのすぐ後、アージェの足元に風の刃が撃ちこまれた。脆くなっていた足場が砕ける。一瞬体勢を崩したアージェを強い横風がさらった。
「あ、てめぇ!」
そんな声を残して外壁から放り出されたアージェは、地面に墜落する前に風呪使いたちによって救われる。その時間を利用して、セトの方も負傷の治療を終えた。痛み分けのように思われたが、先に笑ったのはアージェだった。
「今日は俺の勝ちだぜ」
見れば、門扉は赤く熱されてどろりと溶解し始めていた。セトの注意がアージェに向けられている間に、炎の上級呪が【風守】を破った結果だろう。セトもそれを確認して、一息ついた。その瞬間だけ疲労が見えた気がした。
「後は結界頼りになるな」
そう言って、彼はランテに向き直る。
「下に移動する。お前も来てくれ」
拒む理由はないので、ランテはセトに従った。共に風に運ばれて外壁の内へ降り立つ。
「門が破られた。この後結界も破られたら、交戦状態になる」
セトが伝えると、さすがに兵たちに緊張感が走った。その様子を見てから目を伏せ、セトはしばらく何かを迷う。
「……それと、新しい情報が一つ入った。ティッキンケムが落ちた。支部連合軍によるもので、収容されていた人間は解放されたらしい」
そこまで言ってから、セトは一度ぐるりと兵たちを見渡した。
「それ以上は、オレの口からは語れない。オレの人質は本部内にいるから。だけど、言いたいことは伝わるよな? 自分で考えて選んでくれ。何が正しいか、どうしたいか」
門の内が、しんと静まった。セトの言いたいことはランテにも分かった。ティッキンケムに人質を囚われていた者たちは、もう中央に従う理由がなくなったから、ここで戦わなくてもいいということだ。
最初に動いたのは、外壁上で哨戒を務めていたらしい呪使いだった。
「全員、撤退だ」
傍にいる証持ちたちを従えて、彼は本部の裏手へと回っていく。それを見て続く者が次々現れた。
「準司令官殿、申し訳ありません。我々も撤退します」
「ああ、気をつけて」
「あなたのように、我々下々の兵の命を大事にしてくださる指揮官は初めてでした。ここに配属になった自分をとても幸運に思います。ありがとうございました。……北の副支部長殿」
述べた後に深く腰を折ってから、門のすぐ傍で槍部隊を率いていた小隊長もまた兵を連れて去っていった。見る間に兵は減っていく。
「セト、いいの?」
「さっき上から確認したけど、連合軍には東と北の精鋭が集まってた。もうここで戦わなくていい人間に死ねとは言えないし、町のために動いてもらう方がいい」
「テイトは?」
「あっちの要求は、門を守ることもそうだが、本命はお前を渡すことなんだよ、ランテ。お前がオレの傍にいる以上テイトは殺せない」
セトはとても落ち着いていた。呪の波状攻撃を受けてたわむ結界を見ていても顔色を変えない。らしいような、らしくないような、やはり今のセトはよく分からない。少しいつもの彼に近づいたようには思えるけれど。
「……それに」
少ししてから、潜めた声でセトは付け加える。
「お前なら、こうするだろ?」
「えっ」
セトは、ランテの顔を見ないままに——ずっと結界を見たままだ——そう言った。どうしてセトが、『ランテなら』を考える必要があるのか分からなくて、ランテは声を上げたが、返答はどれだけ待ってもなかった。
門の内には三十ほどの兵が残っている。元々は百をやや上回るくらいだったから、四分の一ほどが残ったことになるだろうか。小隊長は五人いて、皆セトを見つめていた。
「私どもは残ります」
代表して、結界に関与しているらしい呪使いの一人が口を開く。若い女性だった。セトは首を振る。
「どっちにしても最初から決定的な兵力差がある以上、遅かれ早かれ門は落ちる。人質がいなくなったなら、こんなところで命を捨てなくていい」
他に聞こえないように潜めた声で彼は伝えるが、それでも誰一人動こうとしなかった。
「私の唯一の肉親だった妹は既に獄死しています。他も皆、似たようなものでしょう」
口を噤んだセトに向けて、呪使いはさらに言葉を重ねる。
「あなたのような優れた指揮官を、こんなところで死なせるわけにはいきません。……傍に兵がいなくなれば、あなたは先ほど以上の無茶をするでしょう。結界が突破されて兵がなだれこんで来たら、私どもは命を賭してあなたを守ります。そうさせたくないのなら」
呪使いは、ここでそっと笑った。
「考えてください。私どもが犠牲にならないで済む方法を。そしていつか北に戻って、ここに残った者を北で雇ってください」
セトはまだ何も言えないでいる。呪使いは笑みを消して、真顔になった。
「……私たちの力では、あなたを守ると言えないのです。ですから、あなたがあなた自身を守ろうとする理由を作ることにしました」
おそらく関わったのは短期間だったはずだが、この人は、よくセトのことを理解しているなとランテは思った。セトが兵を散らせたのは、この後の戦いで失われるのが、自分一人の命で済むようにしたかったからだろう。そうできないようにするのが、この局面においては一番彼を守ることになる。ただそれは、ここにいる人数分の命をまた背負い直させることでもあった。さすがに困った顔をし、セトは長く息をついた。
「考えろ、か。どうするかな」
セトは再びたわんだ結界に目を向けたが、今度は幾許かの焦燥が見られた。ミゼが力を貸しているとはいえ、こうも連続して呪の攻撃を受けていれば、いずれ結界は破られるだろう。現に結界には白い罅が走り始めている。
「呪使いに近接戦闘をさせるわけにはいかない。全員で外壁に上がって……が、最善か?」
セトは厳しい表情のまま思考を巡らせる。ランテも何か案を出したかったが、どうしたものか一向にアイデアが浮かばなかった。そうこうしているうちに、もう何度目になるか、結界が大きくたわむ。罅が広がって、ああ、もう割れる——
「全員外壁に——」
「待ちなさい、セト。その必要はない」
背後から聞こえた声に、その場にいた全員が振り返る。そこにいた人物の姿を認めた瞬間、ランテは両目を零れんばかりに見開いていた。本部の入り口からゆっくりとこちらへ歩みを進めてきたのは、北の支部長ハリアルその人だった。
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