【Ⅳ】ー3 それでも

「参ってんな。そりゃそうか。あっちの言い分の方が正しいしなぁ」


 急に傍に来た気配に驚いて顔を上げたら、ナバが立っていた。


「ナバ」


「ユウラ先輩集中攻撃なら、副長は身を挺してでも守るだろうな。死んでも守り抜くぜ、あの人は」


「……うん、だろうと思う。でも、ユウラもただ守られるだけじゃないと思うから」


「下手したら二人とも死んじまうかもだな」


 最悪の未来が想像されて、ランテは身震いした。気弱な声になる。


「どうしよう、ナバ……」


「どうもこうもしようがねーんだよな。このままじゃ」


 腕を組んで、ナバも難しい顔をした。ランテが持ってきた作戦も、賛同者がいないとどうにもならないものだ。


「やっぱり軍が動き出す前に、オレが乗り込むしかないんじゃ」


 命懸けで守ってくれた三人に、悪いと思う気持ちがないわけではなかった。それでも、これしかないような気がする。


「半分同じ意見だわ」


「半分って?」


 この件について話したときに、頷きが返ってきたのは初めてだ。驚いて、ランテはナバを見上げる。


「お前、【光速】使えるんだろ。副長の軍とぶつかるとき、誰よりも先に副長に会いに行けよ。できるだろ」


「え……できるかな」


「やるしかねー。あのな、副長の性格を考えろ。北の軍に死者でも出してみろ。あの人、たとえ命が助かっても北に戻らなくなるぜ」


「それは」


 ナバに言われるまで考えもしていなかったが、長く考えるまでもなく同意できた。ますます難しい話になった気がした。


「それに、会議聞いたろ? 東の軍は間違いなくガチで副長を殺しに行く。副長、多分手負いのままだろ。リエタと相討って、それからまだ時間はそう経ってない。あいつ毒使いだからな。副長がどれほど優れた癒し手でも、毒抜くにはそこそこ時間がかかる。本調子じゃない副長が、慣れない雑魚の軍を指揮しながら、どれだけやれるかって考えたら、な。そりゃそれでも強いのは強いだろうが、こっちにゃフィレネ副長がいるしよ」


 セトとフィレネが戦ったとしたら、この状況ではフィレネの方に軍配が上がるだろう。セトは彼女を殺したがらないだろうが、フィレネはきっと違う。実力が拮抗しているとなると、躊躇ためらいがあるかないかで勝負が決するはずだ。


「会いに行くのは、場所さえ分かれば多分できると思う。でも、セトに戦いをやめさせることができるかは分からない。セトはテイトを守るつもりだろうし、そのために自分を切り捨てることは、きっと簡単にできちゃうから」


「だからお前が行くんだよ、ランテ。セト副長に勝ってこい。捕まえるんだ、副長を」


 ナバの言に、ランテは目を丸くするのみだった。ランテが、セトに、勝つ? そんなことが果たしてできるのだろうか。


「それしかねーだろ。後から他のやつらが追いついたら、いずれ副長は殺される。だからその前に、他のやつらが副長と戦う理由を奪いに行け。副長を守るために、お前が副長に勝つんだよ」


「やれるかな……」


「お前、フィレネ副長に一勝してるだろ。なら、率はゼロじゃねーはずだ。さっきも言ったが、セト副長は手負いだ。やれ。何とかしろ」


 ナバの方も、必死にセトたちを救うための手立てを考えてくれていたのだろう。その結果がランテに賭けるというものなら、応えたい。それに、今のランテには他の策が思いつかなかった。手負いだったとしても、簡単にセトに勝てるとは思えなかったけれど、それでも。


「分かった。それしかないなら、頑張る」


 頷きを受け取ると、ナバは組んだままの自分の腕に目を落として、ぽつりと言った。


「それにしても……」


「ナバ?」


「いや、ちょっと変だと思ってよ」


「変? 何が?」


「セト副長がだ。副長は確かにすげー部下思いだけど、部下思いだからこそ本来こういうのは嫌がりそうっていうか……」


 ナバは眉を寄せて考えながら語る。まだよく分からなくて、ランテはさらに質問を重ねた。


「どういうこと?」


「副長は確かに情に寄った判断はするけど、そっちに突き抜けてるわけでもねーとオレは思う。だから今回、素直に門警備を引き受けたってのがちょっと……相手の要求を受け入れたところで、テイト教官が救えると限らないのも分かってるだろうに。副長なら、白獣召喚のことくらい考えてるはずだろうし……町全体の壊滅と一人の命を天秤に載せられないような人じゃねーと思うんだよな。そうして助けてもらった後の、テイト教官の心中がおもんぱかれない人でもないし。だいたい白獣が召喚されたら、テイト教官含め皆死んじまうかもしれないんだろ? 策があってそうしてんのかねー……」


 セトに、テイトを切る決断が果たしてできるだろうか。始めは疑問に思っていたランテだったが、ナバの話を聞いているうちに答えに行きついた。最後にはできる、だろう。本心では常に拒否したい選択ではあろうが、ナバの言うように、セトはきっとテイトの心中を思いやる。それに、要求を呑んだところでというのが、分からない人でもない。そう考えると確かに、セトが外門警備を受け入れ、さらに兵の配置まで変えたというのは不思議な話ではあった。


「セトは、今、正気じゃないかもね」


「デリヤ」


 どこから聞いていたのか、デリヤが寄ってきてナバの隣に立った。


「ルノアが言っていただろう。呪力が拾えないって。なら、そういうことじゃないかい? 元々セトは呪力の操作能力は高い。癒し手だからね。それができていないなら、そう考えるのも普通だ」


「そういえば、デリヤも」


 以前、エルティ付近の屋敷でデリヤに会ったときのことを、ランテは思い出していた。あのときのデリヤも正気ではなかったように思う。やつれた身体に、やたらと輝く目。記憶の中の姿を思い返すだけでも少々背中が粟立つ。


「中央は、人の心を壊すのに長けている。君の話じゃ、大聖者も聖者も誓う者か何かで、もう七百年以上生きているんだろう? それだけ長い間人を見てきたわけで、だったら、方法だって無数に知ってるはずじゃないかい? まだ僕は良かった。守るべきものがなかったからね。でも、それでも壊された。色々抱えるのが好きなセトを壊すのは簡単だと思うよ。そうだね、例えば……目の前でユウラとテイトをひどく痛めつけるとか。何なら無関係な人間を一人ずつ殺していったっていい。それでもセトには堪える。いっそ自分だけが大好きなやつを壊す方が難しい。死なないように加減が必要だからね。周りへの危害は永遠に与え続けられる。壊れるまで、何度だって」


「……えげつねーな」


 想像したか、ナバがぞっとしたような顔色と声色で言う。彼とは違い、ランテの中は怒りで一杯だった。どうしてこうも、残虐な手段が取れるのだろう。理解しがたい。したくもない話だが。


「どのみち、やることは変わらないだろう。言葉が通じないなら武力行使だよ。時間もない」


 もう一度、ランテは両の拳を握った。セトの居場所を真っ先に突き止めてそこに向かい、接触して話をする。セトを説得出来たらそれでいいし、できなかったらそのときは。腰の剣を握った。記憶を取り戻して、多少はましな剣の振り方ができるとは思う。ただ、セトが言っていたほどの腕は——純粋な剣の腕では、ランテの方が上だろうと言っていた——ランテにはないように思われた。あれは謙遜か、ランテに自信を持たせるために言ったものだったのだろう。腕力では勝てるかもしれない。でも、速さで圧倒的にランテが劣る。それを埋めるだけの技術の差や経験の差はない。むしろ、そのどちらもセトの方が上だろう。駆け引きや知略だって、いつもランテはセトに手玉に取られる側だ。さらに彼には、ランテより数段上手の呪がある。どう勝てば良いのか、皆目見当がつかない。


「それで? 最初にセトを君が抑えに行くのはいいとして、その後どうするんだい? 誰がテイトを助けに行く?」


「オレが行けるなら行きたい。セトを抑えられたら、行けると思うし」


「だから君は行かせないよ」


 デリヤとランテの会話を見守っていたナバが、ここで入ってきた。


「本部に突っ込んで、テイト教官を救い出しに行くつもりでいるのか?」


「うん」


「無茶考えるな本当……」


 前髪を激しく揺さぶるように手を動かして、ナバは長く息をついた。


「確約はできねーけど、その場にいたら行く。だけど、一人で行かせんなよ。他にも声かけて来い」


 ナバの言葉に、ランテは目を丸くした。レベリアで話したときのことを思い出す。


 ——お前な、ユウラ先輩に余裕でボコられるオレら二人が、中央に真っ正面から喧嘩売ってどうにかなると思ってんのか? 断言してやるよ。不可能だ。絶対犬死にで終わる。百パーセント。骨一本残らねー。


 ナバは、中央の脅威をよく知っていた。怖れてもいた。それでも、危険を引き受けることを買って出てくれたのだ。


「ナバ……ありがとう」


「北の、特に副長の隊の空気感、好きなんだよ。壊れねーで欲しいと思ってる」


 しんみりと言ったナバの言葉に、したたかに胸を叩かれたような心地がした。今、こうして多くの人が集まっているのは、捕まっているのがセトやユウラ、テイトだからだということに気づかされる。想いは人それぞれだろう。でも、こうして動いた。それはセトたちが上手く周りを動かすようにあらゆる選択をしてくれたからであって、今なお、ランテは彼らに助けられていると感じる。そもそも敵はランテを狙っているのだ。一人きりで立ち向かわずに済んでいるのは、明らかに皆のおかげだった。感謝の念が尽きない。


「ランテ」


 各所で行われている話し合いの様子を窺っていたルノアが、ランテたちのところまで戻ってきた。


「戦力が不足していそうなところがあればと思っていたけれど、現段階では問題なさそうです。当日になってみないと分からないところもあるのでしょうけど」


「うん、ありがとう。ルノアは、どこの隊に入る?」


「大監獄での戦いは、他と多少時期がずれているから、戦局が定まるまでは私もと思っているわ。白都での戦いのときは、できるだけあなたの傍にいようと思うの。ベイデルハルクは、きっとあなたを狙って動くでしょうから」


 名前を聞くだけで、腹の底に居座り続けている憎悪がまた燃え盛る。記憶が戻ったことで、その感情はより強くなった。


「君の見立てだと、中央本部が落とせる率はどれくらいだい?」


 率直に、デリヤがルノアに問う。彼女はしばし考え込んでから応じた。


「分からない、というのが実際のところです。今回ベイデルハルクは、多くの戦力を激戦区へ派遣しているわ。白獣を呼んで中央を崩壊させるつもりなら、王都に本拠地をうつすつもりなのでしょう。彼のここでの目的は、本部の防衛ではなくて別のところにあって——おそらくは、ランテの確保です。当然それを許すつもりはないから、ベイデルハルクとの交戦は必至だけれど、あの男がどこまで戦うかによって戦局は変わる。私と彼と、そしてあの男と白女神が本気で争えば、それぞれ無事では済まないわ」


 一度、言葉が途切れる。瞳に影を落とし、ルノアはかなり長い間を取った。


「……事実を伝えます。ベイデルハルクと白女神が力を合わせたら、戦力としてはあちらが上です。徹底抗戦を選択されると、厳しいと言わざるを得ないの。だから今回は決着をつけるというより、ベイデルハルクが引くに足るダメージを与え、次の戦いに向けて西大陸の力を結集させるために中央本部を落とし、意志の統一を図る。これを目的にしたいと私は思っています」


「それで? 西大陸の意志が統一できたら、その後ベイデルハルクには勝てるのかい?」


 ルノアは答えない。長らく沈黙して、やがてゆっくりと首を振った。長い髪がふわふわと宙を舞う。


「西大陸の意志を統一し、東大陸と和議を結べたとして、それでも分からない。ごめんなさい。戦力がどれだけ揃うか次第です」


 話を聞いていたランテ、デリヤ、ナバの三人は黙り込んだ。厳しいことはかねてから分かっていたが、ルノアの口から聞くと、より分厚い壁が現実感を持って目の前に立ちはだかって来たような気がした。しかし、ここで弱気になってはいけない。それは確かだ。


「先のことは後で考えよう。とにかく今は、目の前の戦いをどうするかだ」


「ええ」


 ランテに頷いて、ルノアは胸の前まで持ち上げた両手をきゅっと握った。そうする前、両の手が微かに震えているように見えた。七百年前と同じで、また、ルノアはどうしても戦わなくてはならない場所にいる。いつまで経っても彼女をそこから救い出せない自分が、情けなくて堪らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る