【Ⅳ】ー1 集合

「少し、窮屈かもしれませんが」


 軍議の日の朝、ソノは貧民街へランテとデリヤを送り出すため、荷車を用意してくれた。屋敷内の不要な調度品を貧民街に廃棄するという名目で、本部への手続きを済ませてくれたらしい。


「検問が少々厳しくなっているようですが、そうはいっても相手は証持ちの兵ですから。荷台に仕掛けをしておりますので、そちらに身をお隠しください。検めるのは荷だけですから、ばれることはまずありません。上から調度品を置くので、身動きは取れなくなると思いますが、貧民街に着いたらそれも撤去いたします。トウガを同行させますので、道中で何かあっても、上手く対処するかと」


 荷台を二重底にして、ランテとデリヤが隠れるスペースを作り出すという簡単な策だったが、上からたくさんの調度品や箱を置くので、確かに全部下ろしていてはらちが明かない。また荷車だけを見ても、ランテには違和感がなく、上手くいきそうな気がした。何より傍にトウガがいるというのが安心だ。


 彼は、デリヤの要求にたった一日で応えた。テイトが地下牢の十六番目の檻に、手枷兼呪封じと足枷をつけられて囚われているという情報を聞き出してきたのだ。本当に優秀な人だと何度も思わされる。


 ——彼みたいな人間が、一貴族の使用人しかできないのが、中央が腐っている何よりの証拠だ。


 これはデリヤの言だが、ランテもそう思った。失礼ではあるが、能力を見ればソノよりトウガの方が優れているように思えるし、ソノ自身そう思っているらしかった。ソノはよくトウガに意見を尋ねた。貴族としてかしずかれてきた者が、下の立場の者を頼れるということも一つの才なのだろう。そういう意味でソノもまた優秀な人である。そんな彼でも、中央本部で与えられたのは末端の事務職なものだから、つくづく中央の人事はお粗末だ。


「色々、ありがとうございました」


 軍議を終えたら、ランテたちはもう一度ソノの屋敷に戻ってくる手筈てはずになってはいた。だが、何が起こるか分からない。もしかしたら最後になるかもしれないからと思って、ランテは頭を下げた。軽くだがデリヤも続く。ソノと傍らに立つユイカは、同じような口角の上げ方で微笑んだ。


「温かい食事を作ってお待ちしております」


 二人に見送られながら、ランテとデリヤは荷台の中に身を隠した。中は息ができるように空気孔が作られていて、また、揺れたときに身体を傷めないように柔らかい布も敷き詰められていた。身体を支えるための持ち手もある。狭いのであまり身動きは取れそうにないが、しばらく過ごすだけなら十分と言えた。


「お気をつけて」


 外の声は、どうにか聞こえてくる。状況を知るのに苦労はしないだろう。後は息を潜めてさえいればいい。荷車が動き出した。車輪が地面を踏みしめる音と、高まった自身の鼓動音が協奏する。ランテは何度か深く呼吸した。




 拍子抜けするくらい簡単に検問は越えられた。やはり厳しく検められるのは荷台の上のものだけだったようで、長い間荷台は騒がしかったが、一度も足元に疑問を持たれることなかった。車輪が動き始めるのが分かる。この貴族層と市民層の検問さえ抜けられたら、後はそう厳しくないらしい。最大の関門は切り抜けられたといえるはずだ。


 しかし、ランテの緊張は高まる一方だった。この後に控えている軍議でどうなるかが肝心だ。記憶は戻ったものの、ランテには軍を指揮した経験はなかった。その手のことについては分からないことの方が多い。だからといって、任せきりにするわけにもいかなかった。そうなればきっと、三人を救うという話にはならないだろうから。


 一日使って、あらゆる作戦を考えてはみた。特にテイトの位置が牢で間違いないと分かってからは、可能な限り知恵を絞ってみたが、一番良い策はやはり、白獣が召喚されたふりをするというものだった。あれならば、周囲の人間が石化しないことで、おそらくセトには幻惑の呪であると伝わるというのもいい。中央軍の動揺が大きければ、セトも交えてテイトの救出に向かえるという可能性も生まれる。


 とにかく、ここからだ。


 ランテはぎゅっとこぶしを握った。


「二度目の検問です」


 トウガの声がする。念のため呪力を悟られないように気をつけながら、ランテはもう一度息を潜めた。




「お疲れ様でした。ここで荷を降ろします。少々お待ちください」


 二度目の検問が終了してしばらく進んだところで、荷車は止まった。トウガの声がして、荷台の上が騒がしくなる。荷台の中はやはり窮屈で、そして暑かったから、外に出られることが素直に嬉しかった。


 荷車の外に出る。新鮮な空気を吸い込んだ。貧民街の空気はやや淀んでいて、爽快といえるほどの気分にはならなかったが、やはり外気に包まれていると心地がよい。


 ルノアによると、会議の場の設定は支部の面々で話し合い、決まっているらしい。南側の廃墟街で待ち合わせだということだったので、そこまで連れてきてもらったが、この後どうするべきだろう。


「我々も同行してよろしいでしょうか。帰りのために、傍に控えておきます。……可能なら、私にもお話を聞かせていただきたいのですが、構いませんか」


 外に出たきり動かないランテたちを見て、トウガは別の心配をしたようだ。彼らが去らないから動かないとでも思ったのだろう。ランテは慌てて頷いた。


「あ、はい、大丈夫です。いいよね、デリヤ」


「好きにしなよ」


「ありがとうございます」


 トウガの声の響きが消え入った頃、ランテの目の前をふわりと淡い闇が横切った。あ、と思う。ルノアも間に合っていたようだ。


「案内だ」


 頷いたデリヤに対し、トウガは何事か分かっていない顔をしていた。ルノアが、事前に来ると分かっている人だけを呼び集めているのだろう。だとしたら、早く行ってモナーダのことを伝えないといけない。


「行こう」


 進み始めた闇を追う。一時忘れていた緊張が、また戻ってきた。どくどくと内側から激しく胸を叩く心臓の存在を感じる。皆とまた会いたい。あれからずっと変わらない願いに叱咤される。力が漲ってきて、歩く足に力が入った。




 ルノアの闇は、ランテとデリヤをとある廃倉庫に導いた。入口の前に浮浪者と思しき男性が四人ほど座り込んでいる。しかしよく見ると、彼らはその他の浮浪者たちと違って、目に力が宿っている。見張りなのかもしれない。


 中に入ると、埃っぽさが混じったにおいがして、ふと懐かしさが込み上げてきた。紫の軍も、倉庫が密会場所だった。


「おう、ランテ! ちゃんと我慢したな。偉いじゃねえか……っと」


 真っ先に寄ってきたアージェは、ランテの傍らに立つデリヤに視線を留めて、一度言葉を切る。


「久しぶりじゃねえか、デリヤ。あのときは悪かったな」


 聞いて、面食らったような顔をして、それからデリヤは気まずそうに視線を下げた。


「セトかい? 本当に余計なことしかしないね」


 急に謝られたことの理由を探したのだろう。セトから手紙で話がいっているし、ランテも皆に伝えた。デリヤの表情は複雑だったが、嫌がってはいないのが分かる。


「セトと、そっちのランテだな。貴族らしすぎるお上品な戦い方が玉に瑕だが、おめえの剣の腕は確かだ。事態が落ち着いたら、また手合わせしようぜ」


「お断りだよ。僕は君やユウラみたいな馬鹿力とは身体の作りが違うんだ。同じように打ち合っていたら——」


 ここで視線を感じたか、デリヤがランテを横目で見た。にやついてしまっていたから、その顔を見てだろう、デリヤが口を噤む。苦い顔を作って彼は聞いてきた。


「何だい?」


「ううん、仲良いんだなと思って」


「誰がこんな筋肉の塊と——」


「相変わらずの減らず口で安心したぜ。よろしくな、デリヤ」


 豪快に笑って、アージェは気安くデリヤの背を何度か叩いた。デリヤは煩わしそうにしているが、きっと気を悪くはしていないのだろう。こういう気安さがあった方が、デリヤとは上手くいくのかもしれないと、ランテはまた一つ学ぶ。


「無事で、良かった」


 会話が落ち着いたところで、奥からルノアが進み出る。薄暗い倉庫の中にいても、彼女の髪と瞳は変わらず美しくて印象的だった。いつものように微笑した後、ルノアはそっと瞳を伏せる。憂いを帯びた表情をするのもいつものことではあったけれども、今日のルノアはこれまでよりもずっと切ない悲哀を湛えているように映った。


 おそらくルノアには、ランテが全て思い出したことが分かっているのだ。それを嬉しいとは思っていないことは明らかだった。当然だ。ランテの記憶を奪ったのは、ルノアなのだから。


 しかしあれが本当に「全て」だったのだろうか。ランテが自分で自分を刺して、その後どうなったのかがまるで分からない。あれで死んだのだろうとは思う。いや、そもそもランテはもっと前に死んでいたはずだ。クレイドに首を刺されたときに、間違いなく。あの後なぜ動けて、そして自分を刺した後どうなって——その後七百年以上もの時を経て、こうして存在しているのだろう。これまで他のあらゆることで頭が一杯でつい後回しにしていたが、考えてみればまだまだ謎だらけだ。


「ランテ?」


 返事をしないランテを心配して、ルノアがますます近づいてきた。はっとする。急いで笑った。


「あ、ごめん、大丈夫。ちょっと考えごとをしてて」


「……女神の力を取り込んだのでしょう。身体は平気?」


「うん、そっちは全然平気。でも、呪が上手く使えなくなって。どうしたらいいかな」


 ルノアはゆっくりと首を振った。


「それについては、後で話しましょう。今は、この会議について考えないと。話ができるまでは、呪は使わないで」


「分かった」


 ルノアの言うとおりだ。とにかく、この会議で三人を救う手立てを見つけ、実行のための計画を作らなければならない。


 倉庫の中をぐるりと見渡した。ルノアとアージェの外に、フィレネと、そして既にモナーダもいた。


「良かった。モナーダさんももう来てるんだ」


「良い情報網を持っていたみたいで。ワグレでの出来事は、ランテたちが彼と交戦したときに私はいなかったけれど、想像はついたし……それに、彼にあなたの気配の名残も感じたから信じることにしたの。ランテが呼んだのね」


「うん、一緒に戦ってくれるって」


「本当に、あなたには人を惹きつける力があるわ。紫の軍のときも、そうだったけれど」


「ううん。モナーダさんはオレが動かしたわけじゃないんだ。その前から、中央に立ち向かおうとしていたみたいで」


「そう……」


 ルノアは眩しそうにランテを見つめ、それから目を伏せた。長い睫が瞳に影を落とす。しかし、先程までの憂いは少し薄れているように思われた。そっと浮かべていた微笑には、懐かしさが滲んでいる。


「失礼する」


 入口から突然響いた声に驚いて、ランテは振り返った。厳めしい風貌の男性が一人、立っている。


「西の副長さんです」


 ルノアが隣から小声で紹介してくれた。確かに、彼は山吹色の腕章をつけている。西支部のことはこれまでさほど話題に上ることがなかったため、ランテにはよく分からない。中央と距離が近いというのは聞いたことがある気がした。そんな立場にある西もまたここに現れた。今回は本当に、全支部が協力できるかもしれない。


「まだ全員揃っていません。少し待っていてください、サード副長」


 ルノアが静かに語り掛ける。サードは倉庫内をぐるりと見渡した。


「中央の上級司令官殿に、東の副長、そっちは北の連中で……指名手配犯が二人に、得体の知れない女か。面白い。で? 待っているのは南の人間か? 南が動くとは思えんが」


「いいえ、南は動きますわ。せっかちな殿方は嫌われましてよ。サード副長」


 フィレネは隅にあった木箱に腰かけたまま、優雅な所作で髪を払って言う。サードは鼻で笑った。


やかましい女もな」


 言葉だけ受け取ると険悪な仲に思えて、ランテは多少肝を冷やしたが、両者はそれ以上何も言わなかった。空気が悪くなったようにも思えない。きっと、さっきのデリヤとアージェのやり取りのようなものだったのだろう。そういえばフィレネはサードを見ても、さして驚いた様子がなかった。ということは、それなりに信の置ける相手なのだろうか。そう言えば、セトからの手紙にも、サードという名があったなとランテは思う。


「失礼いたします。皆様、よろしければこちらの席をお使いください」


 トウガの声がした。目を向ければ、机と椅子がきちんと並べて置かれていた。ここに着いてから、何か物を運び込んでいるのはちらりと見えていたが、会議用の準備をしてくれていたのだろう。よく見てみると、使われている家具はデワーヌ家から運ばれてきていたものだった。机や椅子が多いなと思っていたが、このためだったのか。大きなテーブルの上には、羊皮紙やインクも用意されてある。本当に気の利く人だな、とランテは思った。


「ありがとうございます」


「いいえ。お役に立てたのならば幸いでございます」


 用意された机と椅子に、全員が集う。各々腰かけて、それからは沈黙の帳が下りた。


「……南の者が来るまでに、話せることから話しておこうか」


 最初に口を開いたのは、モナーダだった。


「円滑に会議を進行させるためにも、進行役が必要だろう。ここは、最初に声を上げた者、つまり君がするべきだと思う、ランテ君。どうだろうか」


 突然全員の視線が集まってきて、ランテは思わず瞬いた。一呼吸遅れて反応する。


「え」


「隊の指揮をしたこともない新人に進行役が務まると思えんが」


 サードが口を挟んだ。ランテもその点が不安だったが、モナーダが首を振る。


「必要な知識は我々が補えばいい。我々にはそれぞれ立場があって、どうしても己や己の組織の利益を優先させようとする意識が働く。しかし、彼の場合は囚われた仲間を助けたいという思いが一番に来るはずだ。そういう意味においては、誰より信頼できると考えた。違うかな」


「……あ、はい、それはそうなんですけど。一つ訂正したくて。最初に声を上げたのはオレじゃないです。最初に立ち向かったのはルノアだと思うし、その次はデリヤです。その後動くのを決めたのはセトだし、だから」


「馬鹿だね。今の話を聞いていなかったのかい? 君が名指しされた理由は、捕虜たちを助けたい思いが強いからだよ。立ち向かった順番がどうとかは、周囲を黙らせる口実、おまけだ。分かったら大人しく受けなよ」


 他でもないデリヤにそう遮られて、ランテは押し黙った。周りもそれ以上何も言わなかった。不安はもちろんあったが、三人を助けたいという思いに嘘はないし、その思いの強さにも自信はあった。だから、頷くことに決めた。


「分かりました。色々足りないところがあると思うので、手伝ってもらえたら嬉しいです。よろしくお願いします」


 頷きが多く返ってくるのを見て、ランテは安心した。ちょうどそのとき、入り口付近が騒がしくなる。ランテが目を遣ったのと、そこから人が飛び出してきたのとは同時だった。


「すみません、遅くなっちまって。間に合いました?」


 現れた人物を確かめて、ランテは嬉しさを顔いっぱいに表現してしまう。


「ナバ!」


「ランテお前な……っと、やっぱ間に合ってなかったんすね。申し訳ないです」


 ナバは既に机を囲んでいる面々に目を走らせて、低頭するとそそくさと倉庫の中に入ってきた。余っていた椅子にもう一度頭を下げてから腰かける。


「揃いましたわね」


 フィレネがどこか満足そうに微笑んだ。彼女を見て、ナバも少し笑う。その様子を見て、ランテもなんだか笑いたい気持ちになったが、またしても自身に視線が集まっているのを悟って、慌てて口元を引き締めた。


「……えっと。それでは、軍議を始めたいと思います」


 やや締まりのない始まり方になってしまったが、ランテの宣言で、軍議は始まった。

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