【Ⅲ】ー1 熱

 北部準都市エルティ、白軍北支部にて。


 ランテが行ってしまってからは大忙しだった。


「七日なんて、本当に無茶言ったわよねー」


「しゃーねえだろ。ああでも言わねえと、ランテが待てねえ。さすがにあいつ一人で本部に突っ込ませるわけにはいかねえだろうが」


「アージェも焚きつけるような真似するから」


「ああいう男気に弱えんだ、俺は」


 リイザから見ると、その男気とやらは、いつも怪我や無茶のもとになるなどしているわけで、心配でならなかった。ただ、そんな言葉だけで互いに通じ合えてしまう男性たちのことを、羨ましく思うこともあったりする。同時に「お馬鹿さん」とも思うが。


「各支部に書簡、送る? ああ、南はナバに頼めばいいんだっけ。じゃあ東はダーフに頼んで、早く行ってもらわないとねー」


「正式な文書の書き方が分からねえ。つーか、書き方が分かっても俺は書けねえ」


「そうねー。アージェの字は壊滅的に雑だしー。でも、これから書簡、書きまくらなくちゃだめよ? 各地から兵も集めなきゃいけないんだし」


「どうすっか。おめえの字も丸っこくて重々しさがねえしよ」


「可愛らしいって言ってくれるー? 文面については、副長室開けさせてもらったら、多分何か参考になりそうなものがあると思うけどー。長く離れるときには、セトはいつも鍵を事務に置いて行ってくれてるはずだし」


 その提案に、アージェは黙るのみだった。なんとなく理由は分かる気がした。


「勝手に入りたくないんでしょ」


「……あそこはセトの部屋だし、代わりはいねえ。つーかいらねえ」


「はいはい。そうねー。そういうこと、本人の前でも言ってあげたらいいのに」


「うるせえ」


 そのまままた少し黙ってから、アージェは面を上げた。


「おめえも来るか? 中央」


 きょとんとした。今更何を聞くのかしら、とリイザは思う。


「え、なになに? 私が行かないとでも思ってたのー?」


「おめえ、激戦区に行くの嫌がって中央抜けたんだろ。親父さんに続いて自分まで戦地で死んだら、お袋さんに合わせる顔がねえってよ」


「そうねー。だから、死ぬ気はないかなー」


 普段は何かと粗雑なくせに、こういうところでしっかりと気が遣えるあたり、やはりアージェは隊長たり得る人物だなと感じる。微笑んで、続けた。


「中央に思うところがあるのは私だってそうだしー、何より三人をこのまま放っておけないでしょー? 命は大事にするけど、行くに決まってるじゃない」


「おう、分かった」


 セトとユウラとテイトを救うためだと言えば、アージェやリイザだけでなく、兵は幾らでも集まるだろう。むしろ、エルティに残る兵の方を確保するのに気を揉むほどになるはずだ。それくらい三人は支部にとってなくてはならない存在だし、人望もある。


 しばらく何かを考えていたアージェが、突然動き始める。何か思いついたようだ。


「どこ行くの?」


「書簡は、レクシスに頼む。そういう堅苦しいものの書き方くらい知ってんだろ。あいつは良い肩書も持ってるしよ」


 中央に反旗を翻そうとしている自分たちに味方できるのかという問題を除けば、確かにレクシスは適任だろう。ただ、それが一番大きな問題なわけであって。


「アージェは、レクシス指揮官を信用してるのねー」


「規定じゃ、支部長と副長とが不在時は、その次の地位にある奴が支部を動かすことになってる。今はレクシスだ。だが、あいつはそれを辞退した。だから全権俺に降りてきてんだ。さすがにもう気づいたんだろ、中央の本質によ。だから、これまで間違っていた自分が支部を動かすわけにゃいかねーって思ってんだ。多分だけどな。どのみち、俺らがここを空けるんなら、あいつに色々頼まねえと」


 多分という言葉に多少不安は感じたが、確かに誰か支部を取り仕切る人間が必要なのもそうだ。何にせよ、無茶な計画のせいで悩める時間はそうなかった。レクシスを信じるアージェを信じることに決めて、リイザも彼に続いた。




 東部準都市レベリア、白軍東支部にて。


「はぁ!?」


 北からの書簡の冒頭三行を読んだところで、ナバは叫んでいた。目に入ってくる文字を何度も読み返すが、そうしたところで文字が変わるわけがない。分かっていても、まだ読み返す。


「おいおいおいおい、待て待て待て待て。これ本気か? 冗談だろさすがに?」


 目の前に立つ使者のダーフは、困った顔で首を横に振った。


「いえ、冗談ではありません。そこにあるように、我が支部は中央本部を落とすための兵を出すことになりました」


「いやそれはいい。いいが、何だこの行軍計画は。無茶だろ。無茶過ぎる。頼むから冗談だって言ってくれ」


「いいえ、ですから冗談ではないのです、ナバ殿。中央に悟られる前にとなると、可能な限り迅速に攻めなければならないのです。ああそうだ。中央軍が今朝大軍を激戦地へ向かわせた情報は、東には入ってますか? その兵を戻されては、厳しくなってしまうので……」


「理屈はまあ、分かるが……」


 四日後に軍議。それまでに東と南の両方を動かす。移動のことも考えたら、時間なんてほぼないようなものだ。そんな時間で、どうしろというのか。この決定にランテは絡んでいるのだろうか。だとしたら、両支部を動かさなければならない自分のことを、少しでも考えなかったのか……考えれば考えるほどに、溜息が止まらない。


「めちゃくちゃじゃねーかよ……」


 愚痴をこぼしながら、それでも頭ではもうどうするか算段し始めていた自分に気づいて、ナバは一人で笑った。不釣り合いな言葉と表情に、ダーフは怪訝な表情をしている。


「東は動かす。兵も千は出してもらう。南は五分だって伝えといてくれ。じゃ、オレはもう行くわ」


「いけそうですか?」


「やる」


 答えと同時に踵を返した。自分の動き次第で、今度の作戦の成否は変わってくるだろう。今までに感じたことがないほどの熱が、身体の中枢で渦を成している。ああ、と。ふいに理解した。きっと兄も、この熱に突き動かされたのだ。


「……やっぱ、オレは兄貴の弟だわ」


 この熱の名は何だろうと考える。兄の後背が過って、その後入れ違いに浮かんだ言葉を反芻する。


 使命感。


 それがこんなにも熱いものだなんて、知らなかった。




 熱に突き動かされるままに、副長室の扉を開け放った。


「フィレネ副長!」


「何ですの? ノックもせずに、騒々しい。処分保留の間は大人しくしていなさいと——」


 いつもの調子で貴族らしくおっとりと話すフィレネに痺れを切らして、ナバは声を被せた。


「いいから聞いてください。四支部が一斉蜂起して中央攻めをします。六日後に決行、その二日前に中央で軍議です。北からの書簡はここに」


「そんな急な」


「これからオレは南を動かしに行きます。時間ねーので。東のことは副長に任せますからね」


 早速去ろうとしたナバを、フィレネの常より高い声が引き留める。


「お待ちなさいな。そんな重大なことを、支部長も戻っていない間に決めるなどできませんわ」


「んなこと言ってたら間に合わねーんすよ!」


 思った以上に、大きな声が出た。目を見開いて押し黙ったフィレネを見てしまったと思ったが、時間を惜しむ気持ちの方が勝っていた。続けて言う。


「良く考えてください、フィレネ副長。今回もし中央を打倒できたら、新しい中央本部ができる。そのとき、今回兵を出さなかった支部に、どれだけの発言権が与えられると思います? このままじゃ北が全部牛耳っちまいますよ。あそこは人材も豊富なんですから。いいんすか?」


 ナバ自身はそうなることに何の不満もないが、フィレネは違うだろう。次期当主として——初の女性当主になるらしい——家の命運を背負う彼女は、こういったことを気にせざるを得ないところがある。フィレネに対しては情に訴えるより、理詰めで攻めた方が効果が高いだろうことは分かっていた。情に厚くないわけではない彼女は、だからこそ、情に引っ張られないように厳しく自分を律しているようなところがある。ナバはかつて分厚い手紙を受け取って、自身こそが東と南を動かさなければならないと、そう期待されていると知ったときから、フィレネを動かすための言葉をずっと考え続けていた。その成果が今日試されると思うと、自然と弁舌にも熱が籠る。


「北は確実に動きますからね。いいすか、四日後に中央貧民街で軍議です。あと、さっきも言いましたけど、オレはこのまま南に行きます。副長が命じてくれないなら職務放棄に当たると思うんで、いっそもう首にしてください。今までお世話になりました」


 早口で言うだけ言って、ナバは深く腰を折った。フィレネは相変わらず沈黙している。勢いに乗ってとんでもないことまで言ってしまった気がするが、後悔はなかった。それくらいの覚悟があった方が良いような気さえしてきた。顔を上げたときには、多分、満足気な顔をしていただろう。フィレネはそんなナバの様子を見つめて、なおもしばらく沈黙し、それから無表情で髪を払った。


「あなたの首一つで済む話ではありませんのよ。お分かり?」


「副長副官の首って安いんすね。安い給料でこんなに尽くしてるのに」


「そうしているのはナバ自身ですわ。反省なさい」


 瞬いた。今のは、上官としての言葉だ。少なくとも、罷免しようとしている人間にかける言葉ではない。


「良いでしょう。ナバ、副長の使いとして副官のあなたを南へ派遣します。必ず南を動かしておいでなさい。失敗したら、東にあなたの居場所はないと思うことです。成功したら……諸々の違反は、減給で手を打ちましょう」


「……あははっ!」


 止める間もなく、笑い声が零れてしまった。そんなナバを、フィレネは呆れたように見つめてくる。だって、仕方がない。笑いたくてどうしようもない気持ちだったのだから。


「何ですの?」


「いや、本当に減給好きっすよね。減給処置食らいすぎて、オレ、次の給料金貨四枚になりました」


「誰が二分の一と言いましたの? 四分の一ですわ、お馬鹿さん。無駄口叩いていないで、さっさとお行きなさいな。八分の一にされたくて?」


 ユウラ副官、オレの副長も、結構悪くないでしょう?


「じゃ、可哀想なあなたの副官は、金貨二枚のために身を粉にして頑張ります。四日後貧民街で。失礼しまーす」


 いつものように軽い挨拶を残して、ナバは副長室を飛び出した。そうしなくとも大差はないだろうに、全力で階段を駆け下りる。


 もっとも厩舎まで来たところで、副長名義の書簡を受け取るのを忘れたことに気づいて、取って返すことになったが。

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