【Ⅱ】ー3 正解

「起きなよ。いい加減蹴飛ばすよ」


 深く眠っていたようで、デリヤにそう声を掛けられるまで、ランテは目覚められなかった。空から差し込む明かりが橙に染まっている。夕暮れ時だ。


「今することはないとは言ったけど、それにしても君には緊張感がないな。眠りが深すぎるよ」


「ごめん、布団が気持ち良くて」


「暢気だね。上級司令官が来た。行くよ」


「うん」


 その日中に探し当ててくれたようだ。トウガという人へ感謝しつつ、ランテはデリヤを追った。協力者は一人でも多く欲しかったし、何より中央本部の詳細情報が手に入るのがありがたい。


 広間に戻れば、大きなテーブルの隅に、モナーダが座っていた。ランテの姿を認めると、モナーダは少し微笑む。先入観も手伝っているかもしれないが、人の好い笑みだと感じた。


「こんにちは」


 ランテが頭を下げると、モナーダも同じように挨拶を返してくれる。何の根拠もないけれど、この人は味方になってくれると、ランテはそう思った。


「あの、モナーダさんも中央に立ち向かおうとしているって聞きました。本当ですか?」


「ああ、遅くなってしまったが」


「嬉しいです。あ、それと、無事でよかったです、本当に。あの後、大丈夫でしたか?」


 笑みを刷いたまま、モナーダはほんの少し寂しい光を瞳に灯らせた。何も語りはしなかったが、何らかの犠牲があったのは知れた。


「何か、動こうとしているようだね。共に動けるのならそうしたい。私も協力できるだろうか?」


「はい、ぜひお願いします」


 勢いよく答えたランテだったが、ここでデリヤが割って入った。


「内容も伝えないで、協力の約束なんてできるわけがないだろう。要領が悪いな。聞いていて頭が痛くなる」


 補足をしてくれるつもりらしい。彼はモナーダを見つめた。


「今、各支部が協力して中央本部攻めを計画している。君は、五日後のそれに加われるかい?」


 モナーダもまた、デリヤを見つめ返した。机の上に出した両手を緩く組む。


「兵力の提供なら、多少は力になれるだろう。ただ……君たちは、今中央が何をしようとしているか、見当がついているのか?」


「白獣を呼ぼうとしているんじゃないかな、とは思っています」


 ランテの答えに、モナーダは深く頷く。


「私もそう見ている。中央本部の占拠は確かに大きな意味を持つだろうが、そのためには町を白獣から守りながら、中央本部を攻略しなければならない。失敗すれば各支部に大きなダメージを与えることになるだろう。各々、それも覚悟の上だろうか?」


 ランテは閉口した。北支部を出たときとは状況が変わっている。子細を伝えて各支部がどう判断するかは、ランテには分からない。


「明後日、貧民街の南側で軍議を持つ予定なんだ。そこで決を採ることになるだろうね。来られるかい?」


「ああ、行こう」


 デリヤに即答し、それからモナーダはランテを見遣った。


「セト君——副長殿は一緒ではないのか?」


 思わず暗い顔をしてしまった。そんなランテを見て、モナーダも顔を曇らせる。ランテは一度息を吸ってから言った。


「セトは、中央本部に捕まっているみたいなんです。ユウラとテイト……仲間二人と一緒に」


「そうか……」


「救い出したいんです。何か良い手はないでしょうか」


 そこまで聞いても、モナーダは瞳に影を落としたままだった。構わず、ランテは続ける。


「今はセトが準司令官になって、外門警備を任されているみたいで、傍には副官のユウラもいて、多分テイトが牢で人質になっていると思うんです。だからセトも命令に従うしかなくて」


「……そうだろうな。彼は兵としての能力も高いし、指揮が執れ、さらに癒し手だ。利用されないわけがない」


「どうにかしたいんです。たくさん助けてもらったから、今度はオレが」


 話している間に、ランテの声の熱が高まっていた。自覚して、落ち着くために深呼吸する。モナーダは、組んでいた指に力を込めた。そのまましばらく沈黙して、それから口を開く。


「救い出したいというのは、どういう意味で言っているのかな」


「え?」


 思わぬ質問に、ランテは言葉を失った。茫然としている間にモナーダは言う。


「ランテ君だったね。三人全員を無傷で救い出すことは難しい」


「……本部内に忍び込んで、テイトを救い出すことができたら、きっと」


「本部内の構造を伝えることはできる。もちろん、牢の位置も教えられる。しかし、本部内に入ったところで、牢からどう人質を逃がすのかという問題がある。本部の中にさえ入れればどうにかできるのなら、セト君が自力で救出しているだろう。彼にはそれができていない。それほど、難しいということだよ」


 喉元から言葉が消えたきり、一向に帰って来ない。モナーダの意見にはどこにも抜け穴がなかった。


 どうにかなる。理由もなくそう信じ込んでいた自分が愚かに思えてきて、ランテは俯いた。でも、それでも、諦めるわけにはいかない。やっとのことで、言葉をかき集める。


「セトは今、ユウラと二人きりだから、思い切った行動が取れないのかもしれません。数が増えれば、きっと」


「ランテ君。酷なことを言うが、聞いてほしい。今、我々が救うべきは誰だろうか。囚われている三人か? それとも、中央に住む全市民や、中央に理不尽な支配をされている西大陸の民全てか? 後者の方が重いのは仕方のないことだよ。数が違う。優先されるべきはそちらだ。だから私は、君のその思いを応援はしたいが、支援はできない」


 命に、重いも軽いもない。出かかった言葉は、最後の最後でつっかえた。この人はそんなこと、とっくに知っているのだろう。分かった上で、選ばなくてはならないから数を取ったのだ。


 何も言えないでいるランテを見て、モナーダは悲しげに微笑し、つけ足した。


「中央を攻めることを前提に、私も動こう。兵を招集し、武器を集め、来たる日に備える。軍議にも参加しよう。中央本部の内部図もそのときまでには用意しておく。それでいいかな」


 頷くしかなかった。これ以上、この人を頼るのは違う。この人はきっと、既に大事なものを犠牲にしたのだ。もう、その覚悟が出来上がってしまっている。


「……難しいことだが、客観的に見ての最善は、接触しやすいセト君を寝返らせることだ、ランテ君。そうすれば、彼と副官殿は救える。犠牲は一人で済む。彼は頷かないだろうが……それしかないように私には思えるよ」


 そう言い残して席を立ったモナーダの背中を、ランテは大人しく見送るしかなかった。


 どうすればいい?


 彼の姿が見えなくなってしまってから、ランテは自分に繰り返し問うたが、答えが浮かぶことは一度としてなかった。これまでどんなに無茶だ無謀だと言われても、どこかでどうにかなるような気がしていた。中央まで来れば、何らかの道が拓けることを、信じて疑わなかった。しかしそれは、これまで常に目の前に何かできることがあり続けたからだったのだろう。今は立ち止まるしかなくなってしまったから、こんなにも焦るのだ。


 考えてみれば、今までランテは「どうすればよいか」ということを、考えたことがなかった。激戦区で別れるまではセトが方針を示してくれたし、それからはナバやアージェらの助言があった。三人を救い出したいというのは、ランテ自身の、個人の願いだ。同じ思いを持つ人も無論いることはいるだろうが、モナーダと同じで、秤の片側に大勢の命を載せられたら、きっと、数を取る者が多いだろう。だからランテは、今度こそ自力でどうするか考えなくてはならない。


 怖い、と思った。分かりやすい正解があるならいい。全部守れる方法があるなら、どんな苦労をしたってやりたい。しかし、今抱えている問題に、そんなものなんて存在しない気がした。どうしたらいいか全く分からない。それでも時間は経つし、ゆえに焦りを感じる自分がいて、思考は乱れる一方だった。ついさっきまで暢気に眠っていた自分が信じられない。別の生き物のようにさえ感じられた。


 ——向いてないんだよな。


 ランテの初任務の帰り道、セトが言っていたことをふいに思い出した。切り捨てができないといった彼は、これまでどんな思いで、取捨選択しながらランテたちを導いてくれていたのだろう。こんな不安と重責を一人で負い続けてきたのだろうか。彼は、結局一度も弱音を零さなかった。


 セトのことだ。今だってきっと、どうにか二人を救い出そうとしているに違いない。彼は、こうなって自分を責めているだろう。身体が一つしかない以上、あの場であれ以上、セトにできることはなかったはずだ。リエタは追って来なかった。彼は役目を果たしたし、それが最善だった。最善を選んでもこうなってしまっただけの話なのに、それでもきっと彼は自分を責め続けている。そういう人だから。


 皆の人柄も思想も、もう大分知っている。セトとユウラを助け、テイトを死なせたとしたら。ユウラは悲しむだろうし、悔いもするだろうが、いつかは受け入れる気がする。しかし、セトは……そうなってしまったら、その事実は彼の一番大事な軸を傷つける気がする。セトは自分自身に価値を見出せない分、周りの人間をとても重く見る。価値ある人間を守ること。それを自身の存在意義にしているように感じられるし、それができていたから、今まで辛うじて生きることを自分に許していたような——そう思えてならないのだ。だから、もし自分たちを救い出して、その結果テイトが死んだとセトが知ったら……今度こそ、彼は遠くに行ってしまう。そんな予感がした。


 テイトを切り捨ててしまえば、本当の意味ではセトは救えない。おそらく、そうだろう。やはり、モナーダの出した妥協案を受け入れるわけにはいかないのだ。そもそも、ランテとてテイトを死なせたくない。


「珍しく難しい顔で考え込んでいるじゃないか。妙案は浮かんだかい?」


 黙っていたデリヤが、頬杖を突きながらランテを見ていた。首を振って応じる。


「ううん。でも、やっぱりモナーダさんの案は受け入れられないなって」


「それで? どうする気だい?」


「うーん……デリヤの言ってた、勝たず負けずの均衡状態を維持する、っていうのは良いと思うんだけど」


「あれは人質の救出が前提の時間稼ぎだからね」


「……テイトを救い出すためには、まず居場所を特定すること、そこまで忍び込むこと、テイトの拘束を解いて、それから無事に逃げ出すこと。ここまでが必要なんだよね。モナーダさんの感じだと、やっぱり居場所は牢かな」


「あの分じゃ、通常はそうだってだけだよ。セトたちのことも、何も知らなかったじゃないか」


「今はもう、本部からは離れているみたいだったし、そうかも」


 どうすればテイトの居場所が分かるだろう。現役の、そこそこの立場にある者に接触すれば知ってはいるだろうが、立場のある者ほどきっと人質を取られているはずだ。容易く協力してくれるとは思えない。


 行き詰まってしまったので、考え方を変えることにした。そもそも、中央はセトに何をさせたくて人質を取っているのか。それは白獣召喚までの時間稼ぎをさせるためだったはずだ。白獣召喚はあくまでランテたちの推測によるものだが、何にせよ目的が果たされたら、人質を確保したがる理由もなくなるのではないだろうか。白獣が本当に呼び出されてしまったら町の被害は避けられないだろうから、それは止めなければならないが、白獣が呼ばれた後のことは何もかも砂にしてしまえばいいという考えで、テイトをどうこうしようという計画はない気がする。


「デリヤ、例えばなんだけど、白獣の召喚を止めた後、白獣が呼び出されたふり、みたいなことはできないかな」


「幻惑の呪の使い手がそれなりの数いれば、できるんじゃないかい?」


「幻惑の呪の使い手って、たくさんいるもの?」


「さあ。聞いてみないことには分からない。何がしたいんだい?」


「白獣召喚を止めた後、白獣が召喚されたふりをしたら、中央軍を混乱させられるんじゃないかなって思って」


「ああ……」


 中央軍の中に、本部上層部の真意を知って動いている者が何人いるだろう。白獣に町が破壊されていく様を見たら、真実を知らない者はさすがに動揺するのではないだろうか。証持ちが多くいるのだとしても、指揮をする人間は必要で、その人間たちに少しでも良心が残っていれば、襲われる町をそのままにはしないはずだと思う。その混乱に乗じて本部内に立ち入り、テイトを救い出す。それくらいしか思いつかない。


「混乱の隙に本部内に入ってテイトを救う。どうかな、デリヤ」


「問題は誰がそれをやるかだよ。君は行かせられない。僕も離れたところにいる。他に誰が三人のために命を懸ける?」


「北支部の人なら、多分、皆やると思う。でも、やっぱりオレが行きたい」


「本部前にはセトがいる。君は行かせないと思うよ」


 ルノアに声を届けてもらってセトと会話をしたときのことを思い出した。


 ——お前の一番の役目は、中央に捕まらないことだろ?


 あの調子だと、確かに、セトはランテを行かせないだろう。光速で逃げようにも、セトの疾風の方が随分速い。追いつかれてしまう。


「とにかく、それは一つの作戦候補としては、ありなんじゃないかい? 誰がやるかはひとまず置いておいていい。どうせ軍議までは決められないだろうしね」


「うん」


「作戦は、数があればあるほどいい。あと一日あるんだ。他を考えるよ」


「うん」


 ランテがこくりと頷きを落としたとき、ノックされた扉からトウガが現れた。


「失礼いたします。お食事の準備が整いました。食堂へご案内いたします」


 モナーダを探し当てた後すぐに、食事の準備をしていてくれたのだろう。ランテは立ち上がって、頭を下げた。


「モナーダさんを探してくれて、ありがとうございました。お陰で協力できそうで」


「それは良かったです。主人も喜ぶかと」


 品の良い笑みを浮かべて、トウガは答える。椅子に座ったままやり取りを見守っていたデリヤが、トウガに視線を留めた。


「君、やり手だね。下級貴族の出かい?」


「はい。コイズ家の者です。代々デワーヌ家にお仕えしております」


「どうやって上級司令官を見つけ出した?」


「使用人同士には横の繋がりがあって、案外情報が早いものです」


「へぇ。なら、捕虜になっている北支部の呪部門の教官が、本部内のどこに囚われているか、洗えないかい?」


 一度口を噤んで、トウガはデリヤを見続けた。無表情ではなかったが、感情はよく読み取れない。


「……できるとも、できないとも申し上げられません。その情報が使用人の誰かの耳に入るかどうか次第ですから。また、私はデワーヌ家の使用人でございます。主人からの命がなければ、申し訳ありませんが、動きかねます」


 トウガに探ってもらうつもりなのか。確かに、自由にここを行き来できないランテたちよりは、彼に動いてもらう方が情報が手に入る確率は高いだろう。


「これからその主人に話をするよ。食堂まで通してくれるかい?」


「かしこまりました」


 デリヤも本気で、三人を救おうとしてくれている。志を同じくする仲間がいてくれて、本当に心強かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る