【Ⅱ】ー2 同志

 通されたのは、質素な応接間だった。屋敷の中も庭もそうだったが、ここの主人は華美を好まない気質らしい。使用人の姿もほとんど見当たらず、庭が荒れかけていることの理由はそれで知れた。


 スーツ姿の使用人——今のところ、ランテが見かけたのは、執事風のこの男性だけだ——が、茶を注いでくれる。向かいにはユイカが、そしてその隣には柔和そうな男性が座った。最初に、彼が口を開く。


「初めまして。ソノ・デワーヌと申します。この屋敷の主人であり、ユイカの夫です。ユイカの姉が世話になっているとのことで、お話を聞かせてくださいますか?」


 静かに微笑みながら、彼は話す。合わせてユイカが頭を下げて、ランテの隣ではデリヤが横目で視線を送ってくる。何から話そうと、ランテは思案した。残らず全て話してしまってよいのだろうか。ユイカとその夫を心配させやしないか。それに、中央が嫌がる情報まで与えてしまっては、二人を本格的に危険に晒してしまうことになる。


 ユウラが中央に捕まっているという事実は伏せて、北にいるとした方が? いや。一人のランテの提案は、すぐに別のランテによって打ち消された。いずれ分かってしまうことだ。人を騙すようなことはできればしたくないし、それに、と思う。強大な敵を相手に今、ランテにとっても、ユイカにとっても、大切な人を取り返せるかもしれないチャンスを迎えようとしている。待つしかできないノタナの苦しみを、多くを担わせてもらえないユウラの悔しさを、ランテは見て来た。何より、仲間を残し一人で帰らなければいけなかったあのときの無力感を、この身で知っている。何もできなかったという後悔は、後から大きな傷になってひどく痛む。大事な存在を守るための危険なら、ランテは身に受けたいと願うし、多くの人がそう思うだろう。きっと、ユイカだって。


「ユウラは今、中央によって自由を奪われているんです」


 切り出すと、ユイカは息を呑みソノは顔を俯けた。そのままランテは、ユウラが北支部で副長副官を務めていたこと、中央によって北の準都市エルティが危機に見舞われたこと、そこから中央の実態に迫り始め、敵対してきたこと、今その中央を相手に立ち上がろうとしていること——知っている情報の全てを、彼女とその夫に伝えた。


 聞き終えると、ユイカは瞳に溜めた涙を静かに零した。その表情は、ランテには上手く読み取れないほど複雑だった。不安と安堵、相反する二つの感情が両方表れているように思われた。


「エルティ襲撃の件と激戦区での北の敗戦、それから、その際行方不明になった副長副官の名がユウラであるということは、夫から伝え聞いていました。もしかしたらって……最悪の事態になっているという想像も、していたんです。だから少しは……命があって良かったって、思っている部分も、あるんです」


「今、ユウラはセト——あ、北の副長の名前なんですけど、セトと一緒にいるみたいです。セトはとても頼りになるし、ユウラだってそうだから、きっと大丈夫です。他支部の一斉蜂起のときまで二人を信じていようって、オレは思っています。もちろん、それまでにできることはするつもりです」


 ユイカは涙の残る瞳でランテを見て、頷いた。ずっと黙っていたソノも彼女に続く。


「ランテさんのお話には、納得できる点が多いです。私は武才にも呪才にも恵まれなかったので、中央では事務方をしていて、耳に入ってくる情報は少ないのですがね。我々文官はほとんどの人間が残っていますが、武官はかなりの人数が激戦区へ派遣されています。どうも、有能な方は大半が赴いているようです。ですから、必要な戦力だけをりすぐって避難させているというのは、分かります。さすがに中央全体を崩壊させるつもりだというのには、動揺もしますが」


 ランテは口を半開きにさせたまま、動けなくなってしまった。理解を得られるとは全く思っていなかったからだ。どのように説得しようかと考えていたのに。その心中はデリヤも同じであったらしく、やや険しい顔をしてソノを見た。


「いやに理解が早いね。少し疑いたくなるほどだよ」


「実は、似たような話をした人がいたんですよ」


「は?」


「え?」


 デリヤとランテの疑問の声が重なった。ソノは視線を下げて、少々後ろめたさを滲ませた表情になる。


「その時は、信じられませんでした。協力を求められたのに、頷けなかった。白軍に離反したという噂もあった方ですから、余計に」


「そんな人がいたんだ……一体誰が」


「モナーダ上級司令官です」


 身体中が空気で一杯になってしまうほど、ランテは長く息を吸い込んだ。彼は中央に処罰を受けなくて済んだのか。よかった、と素直に思う。あの人は決して悪い人ではなかったから。


「北の港町ワグレの黒軍残党征伐を任されていた方です。ただ、上手くいかず、結局クレイド聖者の手を借りることになりました。不始末と言えばそうなので、処罰があると思ったのですが、なかったようです。職を辞したという噂はありましたが。あの方のような、兵力も財力もある名門貴族が白軍を離れるなんて……普通は許可が下りません。ですから、離反ではないかと巷では言われています」


 確かに、モナーダは知っている。中央の実態も、そして白獣の脅威も。彼が動いている。それなら接触したい。目的は等しくなくとも、近いところにはあるはずだ。きっと協力できる。


「会えますか? モナーダさんと」


「中央内のどこかに拠点を構えているとは思うのですが、そこまでは分からなくて」


「そうですか……」


「こちらでも探してみます」


 すぐに会えないということで、落胆はしたものの、近い目的を持つ者が新たに確認できたという事実は、ランテを勇気づけてくれた。全員で動けば、もしかしたら。現れた希望が願いの成就に繋がるかどうかは、これからの動き次第だ。間違っては、いけない。緊張で強張った指を、ランテはゆっくりと握りこんだ。




 ユイカは、最初ソノの兄であるソニモにさらわれ、妾となったらしい。ソニモは年端のいかない女児を好み、どこかから拐ってくることを繰り返していたという。成長したユイカはようやくソニモの元を離れることができたが、それまで酷い暮らしを強いられていたということは、彼女自身が口にすることはなくとも、その表情から知れた。


「ソニモから離れられて急に自由になっても、私たちはちゃんとした教育を受けていないこともあって、全うには生きていけません。親元に帰ることができる子達も多少はいましたが……ほとんどが帰る場所も分からないような子達ばかりで。夫は、そんな子達の支援をしてくれていました」


 ユイカは病弱だった。よく身体を壊していて、そのたび薬師を手配してくれていたのもソノだったらしい。会って話をすることも多く、ユイカの方がソノの優しさに惹かれていき、彼女がソニモから解放されて以降、夫婦として共に暮らしているのだとか。


「今は、幸せに生きています。数年前までは、死んでしまいたいと毎日思っていたけど……いつかお姉ちゃんが助けに来てくれるって信じていたから、乗り越えられました。今度は、私がお姉ちゃんの力になりたい」


 ユイカは、膝の上に置いた手を強く握りしめた。その様子を隣から見ていたソノが、その手に優しく自分の手を重ねる。


「私は、兄のすることを止められませんでした。兄が……今でも恐ろしい。情けないことですが。……兄は、かつて己の横暴を止めようとした妹を——私にとっては姉ですが——殺害したことがあります。私は……死にたくないという保身から、多くの兄の罪を見逃してきた。被害者たちを陰で助けようとするのも、偽善に過ぎないのかもしれません」


 俯けた顔には、虚ろな無力感が滲んでいる。


「私は、兄や、多くの身勝手な人間と同じ中央貴族です。兄の振る舞いを見て見ぬ振りしてきた、貴族らしい非道なところも持ち合わせてしまっていると思います。しかし、落ちこぼれの私だからこそ、気づけることもあるのかもしれません。戦力としては、大きな力にはなれないと思いますが……ランテさん、デリヤさん、微力ながら、あなたがたの助けになりたい。一人ではてない臆病者の私ですが、こんな私にも、何かできることはありませんか」


 ちらりと、ランテはデリヤを見た。溜息が苛立っていた。同じ中央貴族として、今まで何もしてこなかった彼のことを、腹立たしく思ったのかもしれない。ランテの視線を煩わしそうに受け取って、デリヤは口を開く。


「悪いけど、君の罪滅ぼしには興味がないね。戦えない人間は邪魔になるだけだ。私兵がいるならそれを貸してもらいたいのと、数日間潜伏場所を貸してもらえれば十分だよ。食事もつくとなおいいけど。ああ……後は、二日後に貧民街に行きたいんだよね。行って帰るまで世話してもらえるかい?」


「ええ、それは全てお引き受けします」


「……あの、デリヤの言葉は勘違いされやすいんですけど、ユイカさんがユウラの妹だから、あなたにもあまり危険なことをして欲しくないんだと思います」


「君、うるさいよ」


 勝手に補足したら、デリヤに横目で睨まれた。でも否定はしなかったから、多分当たっていたのだろう。苦笑を返して、ランテはソノに向き直る。


「それから、やっぱりモナーダ上級司令官とは接触したいです。中央の内部事情に詳しそうなので……それから、信頼できる人だと思うので。居場所が分からないって言ってましたけど、今日か、明日には会いたいんです。どうにかお願いします」


「分かりました。急ぎます。……トウガ、屋敷のことはいい。早速動いてくれるか。モナーダ上級司令官殿をお探ししてくれ。見つけ出したら、どうにかここまで連れてきてほしい。頼めるだろうか?」


 指示を受けて、傍に控えていた男性が静かに頷いた。


「承知致しました。差し出がましいようですが、念のため客間はお使いにならない方がよいかと。使用人の部屋を一つ片しておきましたので、お客様にはそちらをお使いいただいた方がと思います。明かりがついていても不審がられることはないはずです。寝台も数はございますから。寝具も整えてあります。では、行って参ります」


「ああ、すまない。ありがとう。君がここにいてくれて本当に良かった」


「いえ。私にはもったいないお言葉です」


 そのまま一度深く頭を下げると、彼は部屋を後にした。見送ってから、ソノが言葉を継ぐ。


「トウガは、私の下で働くのがもったいないほど優秀な使用人です。信頼でき、機転も利きます。必ず明日の朝までには成果を上げてくれると思います。彼が上級司令官を連れて戻ってきたら、お声かけします。ですから今はお身体を休ませてください。使用人の部屋になってしまい、申し訳ありませんが……ああ、その前にお食事も準備します」


「ありがとうございます」


 ランテの礼を受け取ってからソノが立ち上がると、ユイカもそれに続いた。彼女は先に部屋を出て、おそらくは厨房の方へと——何か良い匂いがする——向かう。ソノは、ユイカとは逆方向へランテたちを導いた。使用人の部屋と聞いていたが、十分に立派で、調度品も整っている。ベッドも数があり、そのすべてに洗い立てのシーツが準備されていた。


「湯浴みの準備もしました。よろしければ、どうぞ」


 トウガが行ってしまったので、代わりに動いているのはソノとユイカらしかった。促されるままに食事を摂らせてもらい——パンとシチューにサラダ、加えてデザートと豪華だった——湯浴みもさせてもらう。こんなにくつろいでいてよいのだろうかと思うが、ありがたいのもそうだった。次にいつ休めるか分からない。デリヤも今は特にやることはないと言うので、ランテはその後すぐにベッドに横になった。そうすると驚くくらいに容易く眠りに落ちた。

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