【Ⅱ】ー1 妹

 段々と、ランテにも人の気配というものが分かってきた。それは人の発する微かな熱を感じているのか、それとも人が動くことによって起こる空気の流れのようなものを感知しているのか、あるいはその人の感じ——つまりは呪力——を知覚しているのか、それは定かではないけれども、とにかくランテは今、この薄い木の壁を隔てた向こう側に、人がやってきたのを認識した。


 傍に来た人に、見つかったらどうしよう。デリヤに声を掛けるべきだろうか。いや、今は少しでも音を立てる可能性のある行動は避けるべきだ。そっと、板の継ぎ目から外を窺うのに留める。


 狭い視界に屈んで花の世話をする女性の姿が映った。淡い黄色のドレスを着ている。髪の色は赤だ。ユウラの髪色と似ているような……


 あっ。


 次の瞬間、ランテは立ち上がっていた。急いで小屋から飛び出して、彼女の元へ駆けつける。そして、呼んだ。


「ユウラ!」


 呼ばれたのに、ユウラは硬直したまま動かない。きっと驚いているのだろう。ランテは視線を合わせるために屈みこんだ。


「ユウラ、大丈夫? 怪我は? どうしてこんなところに? セトも一緒に——あっ」


 目の高さを合わせて初めて気がついた。とても良く似ているけれど、目の前の女性はユウラではなかったのだ。標準的な女性の身体つきであるユウラと比べて線が細く、良く見てみれば髪の質も違う。瞳の形も、この人はやや垂れ目がちだ。ランテはさっと青くなった。やってしまった、別人だ。ならば早く逃げなければ。デリヤを起こしに——


 しかし、目の前の女性は驚きの表情が引いてなお、動かなかった。だからランテも動けなかった。しばらく見つめ合っていると、先に彼女がそっと手を伸ばして、ランテの服の袖を触って、握った。


「姉を、知っているんですか?」


「え」


「ユウラというのは、私の姉の名です。顔もよく似ていると思います。あなたは、私の姉を知っているんですね?」


 すぐには、言葉が出てこなかった。膨らんだ心臓が、どくんどくんと鳴るのを聞く。そういえば、ここはユウラの妹が囲われているデワーヌ家の屋敷だって、さっきデリヤと話をしたばかりだった。あまりにも彼女がユウラと似ていたから、期待で思考することをすべて後回しにしてしまったのかもしれない。


「もしかして、ユイカさん?」


「やっぱり! お姉ちゃんを知ってるのね!」


 ユイカは、今度は両手でランテの腕をとった。ランテの身体が揺れるほどの勢いで、思わず片膝をついてしまったほどだ。


「うん、知ってる。ユウラは、ずっとユイカさんを探してた」


「あなたも一緒に探してくれていたの? だからここに?」


「えっと、そういうわけじゃなくて」


 こつんと、頭の天辺に衝撃があった。ちょっと痛い。何事かと思って振り返れば、鞘をしたままの剣を握ったデリヤがいた。


「君ほど信頼できない見張りはいないよ」


「ごめん、ユウラだと思って」


 デリヤはそれ以上言わなかったが、吐いた長い溜息に彼の不満——不安かもしれない——は、全て詰まっていたのだろう。ごめん、と頭を下げておく。


「ここで長話して、他の人間に見つかったらまずいのが分からないのかい?」


「あ、そうか」


 つい目の前のことに夢中になってしまうのは、そろそろ改めなくてはならない。デリヤまで危険に巻き込むところだった。しかし、ユイカは首を振る。


「大丈夫です。私のお客さんだと言えば、お屋敷に招けると思います」


 揃って目を丸くしたランテとデリヤを前に、ユイカは優しく微笑んだ。


「今の夫は、私によくしてくれるんです。だから大丈夫。案内するので、早くお姉ちゃんの話を聞かせてください。ずっと会いたかったの」


 そのまま屋敷の方へランテたちを連れて行こうとするユイカを、デリヤは慌てて制した。そして言う。


「忍び込んだ屋敷が悪かったみたいだね」


 ランテは首を傾げた。


「どうして? この屋敷に忍び込んだから、ユイカさんの居場所が分かったのに」


「僕らがここにいたことが中央に知られたら、この人がどうなるか、足りない頭で少しは考えるんだね」


「あ……」


 ランテは浅慮を恥じた。また目の前のことに夢中になってしまっていた。先程、しっかり考えなければと思ったところだというのに。


「行くよ。君も、僕らの姿を見たことは忘れるんだね」


「待ってください」


 踵を返しかけたデリヤの手をとって、ユイカは一生懸命に首を振る。


「危険になってもいいんです。夫も分かってくれます。姉のことを教えてください。どこか隠れる場所が欲しいなら、提供します。お願いします」


 デリヤはまたも溜息をついてから、ランテを横目で睨んだ。ユイカは引き下がらないだろう。ランテがユウラの情報の片鱗を与えてしまったばかりに、彼女にも危険を移すことになった。


 しかし、とも思う。本当にここに白獣が呼び出されるのなら、ここにいても危険なのは同じではないか。それなら、ある程度の情報は伝えて、避難してもらうべきかもしれない。


「デリヤ、ユイカさんと話をさせて」


 返事はなかったが、デリヤは仕方ないなという顔をしていたように思う。夫に事情を伝えると言い屋敷へ向かったユイカの背中を見送りながら、ランテは姉妹の再会を切に願った。

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